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リベリア [Liberia]
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リベリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/19 02:44 UTC 版)
- リベリア共和国
- Republic of Liberia
-


(国旗) (国章) - 国の標語: The love of liberty brought us here.
(英語: 自由への熱愛が我々をここに導いた。) - 国歌: 万歳、リベリア

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公用語 英語 首都 モンロヴィア 最大の都市 モンロヴィア 独立 1847年7月26日 通貨 リベリア・ドル (L$)(LRD) 時間帯 UTC (0)(DST: なし) ISO 3166-1 LR / LBR ccTLD .lr 国際電話番号 231
リベリア共和国(リベリアきょうわこく)、通称リベリアは、西アフリカに位置する共和制国家。北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はモンロビア。
アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国である。1989年から2003年にかけて断続的に2度も起きた内戦により、戦争一色の無秩序な国と化していた。
目次 |
国名
正式名称は英語で、Republic of Liberia(リパブリク・オヴ・ライビリア)。通称、Liberia。
日本語の表記は、リベリア共和国。通称、リベリア。
国名は、ラテン語のLiber(自由な)から来ている。
歴史
詳細は「リベリアの歴史」を参照
建国まで
- 1816年 - アメリカ合衆国で設立されたアメリカ植民協会が、黒人解放奴隷のアフリカへの「帰還」を計画。
- 1820年 - 1月アメリカ植民協会、黒人のための「祖国再建運動」としてリベリア建国運動を開始。解放奴隷88人を乗せた「エリザベス号」がニューヨーク港を出港し、西アフリカのシエラレオネに向かう。
- 1822年 - 初のグループが上陸。再移住区を建設する。
- 1824年 - メスラド岬植民地がリベリア植民地に改名される。同時に米国が拿捕したコンゴ系奴隷がニュージョージアに入植。当初は「キリストの都市」と呼ばれていた首都の名前を、アメリカ合衆国第5代大統領のジェームズ・モンローからとったモンロビアに改名。白人系アメリカ人、ジェフディ・アシュマンとラルフ・ランドルフ・ガーリーも入植地の再建を行う。
- 1832年 - ニューヨークで設立されたペンシルベニア州植民地社会がエディナ植民地 (Edina) と、12月にはポートクレソン植民地 (Port Cresson) として入植。
- 1833年 - 再移住区をLiberty(自由)からとった「リベリア連邦」と命名。
- 1834年 - メリーランド州の植民地会社によりメリーランド・アフリカ植民地 (Maryland-in-Africa) として入植。
- 1835年 - ルイジアナ州の植民地社会がミシシッピ・アフリカ植民地(Mississippi-in-Africa)として入植。6月、先住民部族バッサ族の攻撃によりポートクレソンの植民地が破壊され、7月に新たにバッサケーブ植民地 (Bassa Cove) を設立。1837年にはバッサケーブ植民地がエディナ植民地を統合する。
- 1839年 - 4月1日ニュージョージア植民地とバッサケーブ植民地がリベリア連邦に統合。
- 1842年 - ミシシッピ・アフリカ植民地もリベリア連邦に統合。
リベリア成立
1847年7月26日、合衆国憲法を基本にした憲法を制定して独立を宣言した。初代リベリア大統領にジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ(任期1848年 - 1856年)が就任。1854年5月29日メリーランド・アフリカ植民地がメリーランド共和国として独立を宣言するが、1857年3月18日リベリア共和国に併合。1870年にエドワード・J・ロイが大統領に就任するが1871年に暗殺され、1872年から1876年の間は初代のロバーツが第6代大統領を務める。1878年にアンソニー・W・ガーディナーが大統領に就任。1896年にはウィリアム・D・コールマンが1900年まで大統領に就任した。1903年にはアーサー・バークレーが大統領に選ばれ、1904年も大統領に再選される。1910年アメリカのメソジスト教会の宣教師ウィリアム・ワド・ハリス牧師が「預言者」を自称し、リベリアで宣教活動し、グレボ族のメソジスト教化の為の教会運動を起こし、1913年にリベリアからコートジボワールにまで活動が広がる。1915年アメリコ・ライベリアンのリベリア政府に対して先住民のクル族とグレボ族の反乱を起こす。
独立以来、「胡椒海岸」の先住部族は移民アメリコ・ライベリアンから差別の対象となり、圧政が敷かれていた。20世紀となる頃には、差別と圧政への抵抗が強くなった。また産業が脆弱であり、財政が悪化した。1926年にアメリカのファイアストーン社に対し、ゴムノキ農園用地を99年間貸与する契約を結び、代替に財政援助を受ける。しかし、1931年にリベリアのゴム・プランテーションの労働は奴隷制と変わらないと国際連盟に告発される。
この頃、リベリア政府高官が加担して、リベリア人労働者がスペイン領フェルナンドポー島(現赤道ギニアのビオコ島)へ船積みされており、その状況は奴隷貿易と異ならないという噂が国際的に広まったため、政治的主権も危うくなった。チャールズ・D・B・キング大統領の要請により、国際連盟は調査団を派遣し、こうした国際的非難には、ある程度の根拠がある事、そして副大統領の関与をほのめかした。このため副大統領は辞任して、キング大統領も衝撃を受け、1930年に大統領を辞任する。後継者としてアーサー・バークレー元大統領の甥、エドウィン・バークレーが大統領となる。
さらに、1930年代の経済不況でリベリアは破綻寸前となり、1933年の政府歳入はわずか32万1000ドルに落ちこんだ。1934年にはファイアストーン社の新しいゴム農園が生産を開始し、国家は持ちこたえた。
1942年、第二次世界大戦中、アメリカの援助により、モンロビアにアメリカ空軍の着陸のため空港の建設と港湾施設が改築。 1944年、ウィリアム・V・S・タブマンが大統領に当選(5年任期で再選もする)。また、同年の第二次世界大戦で連合国 (第二次世界大戦)側に付き、ドイツ、日本、イタリアの枢軸国に宣戦布告を宣言する。タブマン大統領はアメリコ・ライベリアンと先住部族との経済的、政治的、社会的な大きな格差を緩和する事で、国家の統一を図った。その後、1971年に死去するまで、独裁的な政治運営を行い、国内は概ね安定した。タブマン大統領死去により、副大統領だったウィリアム・R・トルバートが大統領になる。トルバート大統領はタブマンの跡を継ぎ、すべてのリベリア人の平等を表明、縁故主義的支配廃止などを進めた。またトルバート大統領は1974年にソ連からの経済援助を受け入れるなど、関係強化をしようとした為、アメリカと疎遠状態となる。
クーデター
1973年、トバ・ナー・ティポテは反政府勢力「MOJA」を結成。1979年、政府の米価の値上げ発表に対して反対デモが起こる。トルバートの元国務次官書記で、MOJAの中心メンバーでもあったガブリエル・バッカス・マシューズが、トルバート政権への大規模な抗議運動を主導したとして、騒乱罪で死刑を宣告された。1980年、リベリア先住部族クラン族出身のサミュエル・ドウ曹長によるクーデターでトルバートは暗殺され、アメリコ・ライベリアンの支配が終わった。トルバート政権の崩壊でマシューズは釈放され、ドウ政権の下で外相・内閣官房長官を歴任する。1985年11月12日ギオ族出身のトーマス・クィウォンパがクラン族のドウ政権に反発し、シエラレオネからリベリアに侵入し軍事クーデターを試みるが失敗。15日にクィウォンパはクーデターに加わった他のギオ族とマノ族の同胞らと共に処刑。その後、ドウはクラン族中心のリベリア国軍をギオ族とマノ族が住むニンバ郡に派兵し、ギオ族とマノ族を復讐攻撃し、600人から1500人を大虐殺する。1986年ドウ政権下でリベリア第2共和国が発足し、ドウが第21代大統領に就任。
第一次内戦
詳細は「第一次リベリア内戦」を参照
1989年、チャールズ・テーラー率いる反政府組織「リベリア国民愛国戦線(NPFL)」がニンバ郡で蜂起して内戦が勃発した。西アフリカ諸国経済共同体 (ECOWAS) が政府支援のために軍事介入するが、1990年6月ギオ族のトム・ウォエウィユが停戦交渉にNPFL代表として出席。アメリカへ一時亡命していたクラン族のジョージ・ボレイがLPCという武装勢力を結成(後の93年にはテーラー率いるNPFLと交戦し武装勢力を拡大し成長させる)。戦闘が全土に拡大。カトリックのマイケル・フランシス大司教がモンロビアで、ギオ族とマノ族を大虐殺したクラン族のリベリア国軍に抗議。ブッシュ大統領「リベリアを途上国の優遇対象から除外する」と発言。5月28日日本政府が、在モンロビアの日本大使館員全員の国外避難を発表。8月20日リベリアのモンロビアに派遣されていた200人のアメリカ海兵隊の部隊が在モンロビアのアメリカ人800名以上をヘリコプターで国外へ避難させる。1991年クラン族のジョン・ヘゼキア・ボーウェンがAFLの指導者になる。NPFLから分裂したプリンス・ジョンソン率いるINPELの派閥がドウ大統領を捕らえ拷問の末にドウを処刑。ドウ政権は崩壊し、エーモス・ソーヤーが暫定政権を立てる。NPFLはこれを認めず、1992年からソーヤー派の戦線との戦闘が激化、NPFLが隣国シエラレオネ政府のリベリア内戦への派兵に抗議してシエラレオネに進入する。NPFLの同胞だったシエラレオネ反乱軍のアハメド・フォディ・サンコー率いる統一革命戦線 (RUF) も戦闘に参加し、戦乱は国境を越えて広がった。アルハジ・クロマー率いるマンディゴ族のムスリム系組織ULIMO「軍事派」も内戦をジハードととらえ蜂起。また3月にクロマーのULIMO「軍事派」から分裂したルーズベルト・ジョンソンがULIMO-Jの新勢力を結成し蜂起し始める。ナイジェリアとガーナが主体のECOMOG軍がリベリアに派遣される。アメリカはこれまでの、リベリアへの巨額な経済支援の失敗などの経験から、対リベリア関係の見直を宣言し、リベリアへの経済支援などをしないと宣言した。またリベリア内戦などの介入なども関わることにしないと宣言した。1993年ウォエウィユとテーラーが組織の政治目標をめぐり対立。当事者代表が包括和平交渉に合意、10月アメリカがリベリアに派遣されているECOMOGに1980万ドル追加支援。内戦以来、アメリカのリベリア援助が総額2億7000万ドル。1995年に和平協定に調印。9月ウィルトン・サンカウロがCS議長に就任。1996年に停戦が発効された。内戦により15万人以上が死亡し、30万人以上が国外へ難民となるなど、西アフリカ最悪の紛争地域と言われた。9月サンカウロ、ECOWAS会議の席上でテーラーの傀儡と告発され辞任し、ルース・ペリーが暫定政権首班下で文民代表としてCS議長に就任。アフリカ初の女性国家元首になる。
1997年に大統領・副大統領・上院・下院の統一選挙が実施され、NPFLのチャールズ・テーラーが大統領就任して第3共和制が成立した。台湾と交関係を結んでいた為、中国はリベリアと断交(しかし、2003年に中国と国交回復し、台湾と断交した)。
第二次内戦と国連展開
詳細は「第二次リベリア内戦」を参照
2003年、セクー・コネ率いる反政府勢力「リベリア民主和解連合」(LURD) とトーマス・ニメリー率いる「リベリア民主運動」(MODEL) が蜂起し、首都へ侵攻する。6月17日には政府と停戦合意するが、7月8日にアフリカを訪問したブッシュ米大統領に対し、対リベリア平和維持部隊への米軍の参加を求める声が高まった。7月25日、ブッシュ大統領はリベリアの沖合いに米海軍を配置するよう正式に指示、8月には米軍を始めとする平和維持軍が上陸し、テーラー大統領はナイジェリアに亡命、モーゼス・ブラー副大統領が暫定的大統領に就任する。9月19日の国連安保理決議1509により、国際連合リベリア・ミッション (UNMIL) が派遣され、10月にはリベリア行動党のジュデ・ブライアント議長による暫定政府が発足した。
2005年10月11日、暫定統治下において第一回大統領選が行われた。元サッカー選手のジョージ・ウェアが得票率で上回ったが、11月8日に決選投票を実施、11月23日の最終開票結果で、国連開発計画の元アフリカ局長エレン・ジョンソン・サーリーフが、アフリカ初の選挙による女性大統領となった。2006年3月29日、隣国シエラレオネの内戦に関与していたとして、戦争犯罪などで起訴されていたテーラー前大統領が、亡命先のナイジェリアで身柄を拘束され、リベリア経由でシエラレオネに移送された。その後、オランダのハーグにある国際刑事裁判所で開かれることになったシエラレオネ国際戦犯法廷で審理が行われている。
政治
詳細は「リベリアの政治」を参照
リベリアは建国以来、アメリカ合衆国の議会制度にならい、上下院の二院をもつ。内戦終結後は一院制の暫定議会を有し、2005年10月に上下院および大統領選挙を行った。2006年に正式政府が発足した。 2011年10月に選挙が行われる予定である。
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- 1 リベリアの概要
- 2 国際関係
- 3 経済
- 4 交通
- 5 日本国との国交など
「リベリア」の用例一覧
国際連合安全保障理事会決議第千六百四十三号(コートジボワールに対する制裁に関する決議)に関する件 (Wikisource)
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