チューリング【Alan Mathison Turing】
チューリング
アラン・チューリング
チューリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 01:29 UTC 版)
「悪魔のメムメムちゃん」の記事における「チューリング」の解説
通称チュチュ。メムメムの友人の悪魔。可憐で華奢だが実は男の娘。
※この「チューリング」の解説は、「悪魔のメムメムちゃん」の解説の一部です。
「チューリング」を含む「悪魔のメムメムちゃん」の記事については、「悪魔のメムメムちゃん」の概要を参照ください。
チューリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 01:17 UTC 版)
「チューリング・テスト」の記事における「チューリング」の解説
イギリスの研究者たちは、AI研究という分野が確立する1956年より10年ほど前から「機械の知性」を研究していた。これはレイショウ・クラブ(英語版)のメンバーの共通のトピックであった。レイショウ・クラブは、イギリスのサイバネティクス・電子工学研究者による非公式の研究者グループであり、チューリングテストの名前の由来であるアラン・チューリングもメンバーの一人だった。 特にチューリングは、少なくとも1941年から機械の知性の概念に取り組んでおり、1947年に「コンピュータの知性(computer intelligence)」について触れているのは、知られている限りで最も早い。論文『知性を持つ機械』(Intelligent Machinery)の中で、チューリングは「機械に知性を持ったふるまいができるかどうかという問題」 について検討しており、この中で後に発表するチューリングテストの先駆けとも思われる提案をしている。 チェスでなかなかいい試合をするペーパー・マシーンを作るのは難しくない。さて、実験の被験者としてA、B、Cの三人を用意しよう。AとCはチェスがあまり上手くない。Bはペーパー・マシーンのオペレーターである。……手を伝えるための仕掛けを施した二つの部屋を使う。そしてC対AもしくはC対ペーパー・マシーンでゲームを行う。Cは自分の相手がどちらなのか、なかなか分からないかもしれない。 このように、チューリングは論文『計算する機械と知性』(Computing Machinery and Intelligence)を発表する以前から、数年間人工知能の可能性を検討していたのである。とはいえ、発表された論文 で、この概念のみに焦点を当てたのは、『計算する機械と知性』が最初である。 チューリングは、1950年の論文『計算する機械と知性』を「私は、『機械は思考できるか』という問題の検討を提案する」という主張で始めている。チューリングが強調しているように、このような問題への伝統的なアプローチは、「機械」と「知性」の定義から入ることである。だが、チューリングはあえてそうせず、代わりに問題を「緊密に関係しており、比較的厳密な言葉で表現されている」新しい問題に転換した。つまり、チューリングの提案は、「機械は思考できるか」という問題を「機械は我々が(考える存在として)できることをできるか 」に換えることであった。チューリングの主張するこの新しい問題の利点は「人間の、物理的な能力(capacity)と知的な能力の間の、公平で厳しい境界線」を引く、ということであった。 この方法を説明するために、チューリングは、「模倣ゲーム」というテストを提案している。模倣ゲームとは、本来、男性と女性が別々の部屋に入り、ゲストはいくつかの質問を書き、それに対するタイプ打ちの回答を読んで、どちらが男性でどちらが女性か当てるというゲームである。このゲーム中の男性は、ゲストに女性と思わせるのが目的となる。チューリングは、以下のように作り直した模倣ゲームを提案している。 ここで問題だが、「このゲームにおけるAの役を、機械がやったらどうなるだろうか」質問者は、男性と女性でゲームを行ったときと同じくらいの頻度で、間違った判断をするだろうか。この問題が、元々の「機械は思考できるか」という問題を代替するのである。 論文の後部で、チューリングは、二者間で行う「同じ」図式を提案しており、ここでは質問者はコンピュータか人間の、どちらかとだけ会話する。このどちらの図式も、現在一般に知られているチューリングテストと正確には一致しない。チューリングは1952年に3つめの図式を提唱している。この、チューリングがBBCのラジオ放送で語ったバージョンでは、審査員はコンピューターにいくつか質問をする。コンピューターの役割は、審査員たちの多くを本物の人間(man)と信じ込ませることである。 チューリングの論文では、9つの反論が想定されており、論文が初めて発表されてから出された、人工知能に関する主要な議論がこの中にすべて含まれている。
※この「チューリング」の解説は、「チューリング・テスト」の解説の一部です。
「チューリング」を含む「チューリング・テスト」の記事については、「チューリング・テスト」の概要を参照ください。
チューリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 17:26 UTC 版)
第二次世界大戦中、アラン・チューリングはイギリスの政府暗号学校(ブレッチリー・パーク)の暗号解読部門 (Hut 8) の中心メンバーとしてドイツ海軍のエニグマ暗号の解読を行い、1942年夏にはローレンツ暗号の解読にも参加した。当時アメリカでもエニグマの解読を進めており、アメリカとイギリスとの間の暗号に関する情報交換の一環として、チューリングは1942年11月7日にクイーン・エリザベス号に乗り込み大西洋を越えてアメリカに渡った。エニグマ暗号の解読方法やイギリスからの情報を元にアメリカでも開発を行っていたエニグマ暗号の解読機Bombeについての情報交換を行い、またSIGSALYに関する情報の提供を受け分析を行った。この時ベル研究所のシャノンにも会っている。 チューリングは兵員輸送船のエンプレス・オブ・スコットランド号で1943年3月29日に無事帰国し、ブレッチリー・パークに戻った。その後SIGSALYに関する情報を利用して1943年5月から無線式の秘話装置 Delilah(デリラ)の開発を開始した。チューリングはしばらくブレッチリー・パークにいたが、Delilahの開発に専念するため1943年末に無線諜報を扱うMI8(Military Intelligence, Section 8、Radio Security Service)の拠点があったハンスロープ・パークに移動した。 この秘話装置の名前は旧約聖書に登場する「人を欺く」女性デリラにちなんだもので、その当時のハンスロープ・パークの同僚で戦後もチューリングの下で研究を行うことになるロビン・ガンジー(Robin Oliver Gandy)が名付けた。 ベル研究所でSIGSALYに必要な膨大な装置類やサンプリング定理の説明を受けたチューリングは、より単純でコンパクトな秘話装置の作成を目指した。SIGSALYで使われている音声信号の圧縮技術ボコーダーは暗号化のための本質的な部分ではないと考え、Delilahでは音声信号を十分高いレートで直接サンプリングし乱数を加えることで暗号化する方式とした。 暗号化に必要な大量の乱数(共通鍵)は、何らかの暗号化処理を行った後に音声とは別の無線回線で同時に送る方式を考えていたが、後に短い周期の乱数を複数組み合わせて長い周期の擬似乱数を内部で生成する方式に改められた。1944年末には暗号化のコア部分が完成し、送信側と受信側に有線で乱数の信号を直接送る形で試験が行われた。実際の装置では受信側と送信側とが独立して擬似乱数を生成し、両者をサンプリング周期以下の誤差で同期させる必要がある。その後乱数の同期方法についての検討と試行錯誤を行っていたが、1945年5月にドイツが降伏しヨーロッパでの戦闘が終了したため、全体のシステムが完成する前に秘話装置の開発は中止された。 Delilahの開発で電子回路についての知識と経験を得たチューリングは、その数か月後にイギリス国立物理学研究所 (NPL) に招かれ、彼が考案した万能チューリングマシンのハードウェア版とも言えるプログラム内蔵式コンピュータ(ACE)の設計を始めることになる。
※この「チューリング」の解説は、「SIGSALY」の解説の一部です。
「チューリング」を含む「SIGSALY」の記事については、「SIGSALY」の概要を参照ください。
「チューリング」の例文・使い方・用例・文例
チューリングと同じ種類の言葉
論理学者に関連する言葉 | スコーレム チャーチ チューリング パトナム ブル |
- チューリングのページへのリンク