隆慶一郎 隆慶一郎の概要

隆慶一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 03:12 UTC 版)

隆 慶一郎
(りゅう けいいちろう)
シナリオ作家協会『シナリオ』第16巻第10号(1960)より
ペンネーム 池田 一朗 (脚本家)
隆 慶一郎 (小説家)
誕生 池田 一朗 (いけだ いちろう)
(1923-09-30) 1923年9月30日
日本 東京市赤坂区
死没 (1989-11-04) 1989年11月4日(66歳没)
日本 東京都新宿区東京医科大学病院[1]
職業 脚本家小説家
言語 日本語
国籍 日本
最終学歴 東京大学文学部仏文科
主な受賞歴 1959年 シナリオ作家協会賞
1989年 第2回柴田錬三郎賞
1990年 日本映画プロデューサー協会賞特別賞
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東京市赤坂区生まれ[2]旧制同志社中学第三高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒。

来歴

戦時中は学徒出陣で出征、陸軍士官として中国大陸を転戦した。この時期に陣中に持って行った『葉隠』が、作家として『死ぬことと見つけたり』を書くきっかけとなった。終戦後、復学して1948年 東京大学卒業、大学時代に師事していた小林秀雄が参画していた創元社(のちの東京創元社)に入社する。短期だが大学講師でも勤務した。1950年頃、立教大学講師、中央大学助教授としてフランス語を、1959年まで教えていた。

1957年、脚本家としての活動を開始する。当初は『陽のあたる坂道』など日活の映画を中心に脚本を手がける。脚本家では、本名の池田一朗で活動しており、隆慶一郎を名乗って活動したのは、晩年の作家活動期となった約5年間だけである。1957年に脚本家としての活動を始めて以降、20世紀後半の日本のテレビ・大衆向けの文芸活動を広く長く支えた存在であった。

脚本家時代は映画、テレビドラマ問わず幅広い作品を手がけ、戦後日本のテレビドラマ史においても1970年代までを代表する脚本家の一人だった。脚本家としての代表作は映画『にあんちゃん』、テレビドラマ『鬼平犯科帳』。他にも『長崎犯科帳』・『破れ奉行』・『隠密奉行』・『大忠臣蔵』など多数あり、携わった作品の多くが、現在でもローカル局時代劇専門チャンネルなどで繰り返し再放送されている。近藤照男プロダクションの近藤照男プロデューサーから頼まれ、1本だけだが『Gメン'82』の脚本を執筆した。東映の作である『Gメン'75』は、執筆はしていない。此方を執筆していたのは、池田雄一氏であった。

1984年、『週刊新潮』で小説家として第1作『吉原御免状』を連載する。隆慶一郎は、この時より名乗った筆名である。小説家時代は時代小説を中心に執筆した。代表作として『吉原御免状』、『影武者徳川家康』、『一夢庵風流記』、『捨て童子・松平忠輝』が挙げられる。長らく脚本家として活動しており、小説家生活に入ったのが還暦を過ぎてからと遅く、小説家としては実働わずか5年だった。また急逝したこともあって、未完の作品、構想だけが編集者に語られるなどして残った作品も少なくない[注釈 1]。ちなみに、還暦を過ぎるまで小説を手掛けなかった理由については、かつて師事した小林秀雄(1983年逝去)が存命の間は、とても怖くて小説は書けないと思っていたからという旨のことを語っている。

1986年、処女作『吉原御免状』が第95回直木賞候補作となり、結局は選に漏れたものの[注釈 2]、下馬評の段階では新聞や文芸系のマスコミなどから最有力候補の一角に挙げられたことをきっかけとして、時代小説で一大センセーションを巻き起こした。

1989年11月4日、肝硬変のため東京都新宿区東京医科大学病院で死去[1]。同年、日本映画プロデューサー協会賞特別賞、『一夢庵風流記』で第2回柴田錬三郎賞受賞。

1996年新潮社で『隆慶一郎全集』全6巻が刊行された。2009年9月より2010年7月にかけ同社で、新版『隆慶一郎全集』全19巻が刊行された。

2010年10月に『「歴史読本」編 隆慶一郎を読む』(新人物往来社)が上梓された。

作風・評価

隆の小説作品の特徴は、人物描写でもとりわけ男の生きざまや人情を書くのに非常に秀逸な点が第一に挙げられ、その内容も大衆文芸としての要所を確実に抑えつつも極めて良質な仕上がりを見せている。その一つの象徴的な作品が『一夢庵風流記』である。「傾奇者(かぶきもの)」という言葉と前田慶次郎利益という歴史上の人物が平成の世でメジャーになった背景を語る際には、この作品とこれを原作とした漫画化作品『花の慶次 ―雲のかなたに―』、そして『花の慶次』のキャラクター群を用いて展開された様々な関連商品の存在を抜きに語ることはできない。また、網野善彦らの中世近世史研究を大胆に取り入れ、それまで大衆文学ではあまり描かれなかった非農業民を中心とした庶民の歴史を描くことに成功している[注釈 3]


  1. ^ 作品としては『花と火の帝』、『死ぬことと見つけたり』、『見知らぬ海へ』、『風の呪殺陣』などが未完で、編集者に托されたメモ書きで今後のストーリーの大枠のみ判明している。構想段階に終わったものとしては日蓮の小説がある。
  2. ^ 山口瞳は「第一位に推した。吉原を城に見立てて柳生一族と戦わせるという構想が面白い」と◎(積極的な賛成)をつけた。一方、村上元三は「資料の読みかたを誤っている。資料をそのまま鵜のみにするのではなく、自分の中で咀嚼するのを怠っている」と■(中立的な反対)だった[3]
  3. ^ 非農業民を主題とした大衆小説が書かれていないわけではない。いわゆる「サンカ」をめぐっては、椋鳩十の『山窩調』(1933年)や三角寛の一連の山窩小説などがある。また五木寛之は『戒厳令の夜』(1976年)で「海人族」「山人族」、『風の王国』(1985年)でも山の世界と里の世界の間(世間)で暮らす「世間師」(作中では「誤ってサンカと名指された一群」とされている)を描いている。
  1. ^ a b 史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月22日閲覧。
  2. ^ a b 週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年8月23日号「脚本家の横顔」65頁
  3. ^ 候補作家の群像 隆慶一郎”. 直木賞のすべて. 2023年1月26日閲覧。
  4. ^ 回想記に『未完の平成文学史 文芸記者が見た文壇30年』早川書房、2015年
  5. ^ シナリオ作家協会『シナリオ』第16巻第10号 (1960)
  6. ^ 日本冒険小説協会大賞受賞作一覧1-30回|文学賞の世界
  7. ^ NHK オーディオドラマ過去作品アーカイブ / 青春アドベンチャー「柳生非情剣」(2022年1月10日 - 14日放送)”. NHK 日本放送協会. 2022年9月19日閲覧。


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