隅田川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/20 15:22 UTC 版)
隅田川を舞台・背景とした作品
※節順も含め、発表年順。
文学
- 伊勢物語 - 在原業平の作と伝えられる(「名にしをはば、いざ言問はむ都鳥、わが思ふ人はありやなしやと」と百合鴎を詠う)。平安時代初期。
- 更級日記 - 菅原孝標女の日記。1020年(寛仁4年)に父の赴任先の上総国府から京へ戻る途中、隅田川を渡る際の様子を描写。
- 「ことゝへど こたへぬ月の すみだ河 都の友と 見るかひもなし」(『玉葉和歌集』旅歌・1149) - 二条為子(二条派歌人・尊治親王(後醍醐天皇)妃)による和歌。江戸時代に、隅田川の歌として江戸っ子の間で著名だった(二条為子#すみだ河)。
- すみだ川 - 永井荷風の小説。1911年。
- 長命寺にある野口雨情の詩。1933年 ‐ 「都鳥さへ夜長のころは水に歌書く夢も見る」。
- 幸福号出帆 - 三島由紀夫の小説。1955年
- トランプ台上の首 - 横溝正史の推理小説。1957年
- 貸しボート十三号 - 横溝正史の推理小説。1957年
能・絵画
歌舞伎
- 隅田川花御所染(女清玄)- 文化十一年(1814年)
- 桜姫東文章 - 文化十四年(1817年)
- 都鳥廓白波(忍の惣太)- 安政元年(1854年)
- 花街模様薊色縫(十六夜清心)- 安政五年(1858年)
- 八幡祭小望月賑(縮屋新助)- 万延元年(1860年)
- 青砥稿花紅彩画(白浪五人男)- 文久二年(1862年)
落語
- 文七元結 - 明治二十二年(1889年)文七が吾妻橋から身を投げようとする場面がある
- 唐茄子屋政談 - 吾妻橋から身投げしようとした若旦那が叔父に助けられる
- たがや - 川開きの花火でごった返している両国橋の上が噺の舞台
- 永代橋 - 実際にあった落橋事故を題材にした粗忽噺
音楽
- 花 (瀧廉太郎) - 1900年
- すみだ川 - 東海林太郎、1937年
- すみだ川 - 島倉千代子、1969年
- 隅田川 - 城之内早苗、2000年
- Sumidagawa - 飯塚まもる、2011年。アルバム「My Songs」収録
- 隅田川 - 飯塚まもる、2017年。シングル「ディスタンス」収録
- のびしろ - Creepy Nuts、2021年。アルバム「Case」収録
ドラマ
注釈
- ^ 水神大橋より上流300メートルの地点。
- ^ 石浜の地名が残る。
- ^ 待乳山、浅草弁天山、鳥越など
- ^ さらにその西側の上野台地との間は江戸時代に埋め立てられるまでは沼沢地だった(千束池、姫ヶ池)。
- ^ 隅田川東岸が下総国葛飾郡(隅田、寺島、小村井、亀戸島など)だった。
- ^ 西岸は江戸時代に橋場と呼ばれた。
- ^ 桜橋より上流500メートルの地点。
- ^ 牛嶋、請地(浮地)、柳島などの中洲があった(どれも武蔵国豊島郡に属した)。牛嶋は浅草・柳橋の対岸に2キロメートル以上細長く延び、現在の墨田区横網から古墳時代の壺が出土している。
- ^ 縄文時代までの旧利根川が現在の東京湾へ注ぐ主河道であり、澪筋が海底に残る。
- ^ 請地村飛木稲荷はこの河道の中洲に当たる。
- ^ この下総国と武蔵国の国境を流れる旧利根川の河道は、現在の古利根川の埼玉県加須市琴寄、川口より下流、埼玉県春日部市の古隅田川、越谷市の元荒川、三郷市・八潮市の中川、東京都足立区・葛飾区境界の古隅田川、足立区・墨田区境界の旧綾瀬川であり、部分的に「隅田川」の名が残っている。その後、荒川瀬替え後の1683年(貞享3年)もしくは一説によれば寛永年間(1622年-1643年)に下総国と武蔵国の国境が変更された。
- ^ 埼玉県の古隅田川も併せて考えると、「隅田川」とは、古くは旧利根川が春日部付近から南流し旧入間川と合流し東京湾へ注ぐまでを指していたらしい。
- ^ 江戸時代の橋場の渡し。
- ^ なお鎌倉時代以降になると、奥州へ向かうには、『吾妻鏡』によれば、岩渕から川口へ旧入間川を渡り北上する鎌倉街道#中路および奥大道(後に日光御成道)の経路が使われている。
- ^ 伊勢物語(東下りの段)で主人公が赴いている。
- ^ 日本武尊の一行が渡河した伝説も当地に伝わっている。
- ^ 治承4年〈1180年〉10月2日に隅田に宿泊)。
- ^ 今でも古典落語などでは「大川」が出てくる。また、大川右岸、特に吾妻橋周辺から佃周辺までを
大川端 ()と称する。今でも佃に、大川端リバーシティ21にその名が残る。 - ^ 荒川に面せず、隅田川に面している荒川区が「荒川」の名を持つのは、こうした事情による。
- ^ 足立区と葛飾区の境界を流れ、現在は多くの区間が暗渠化されている
- ^ 隅田川を渡る鉄道路線では唯一の地下鉄路線である。
出典
- ^ a b “荒川水系隅田川流域河川整備計画”. 東京都. 2021年12月24日閲覧。
- ^ 谷口栄「低地の景観と開発」『水の中世 治水・環境・支配』(高志書院、2013年)
- ^ 『特別展 隅田川流域の古代・中世世界 水辺から見る江戸東京前史』の図録本(足立区立郷土博物館, すみだ郷土文化資料館, 宮本記念財団編、2007)では、現隅田川を宮戸川(別称ではなく正式名称として)、分流を(中世の)隅田川と位置づけ、中世においてはこの定義での隅田川(最下流は横十間川付近の河口)を国境としている(関連リンク 中世から江戸初期にかけての隅田川 - 消えた隅田川/ スカイツリー634m 一考 - 武蔵・下総の国境、隅田川)。
- ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868→1925』河出書房新社、2000年、414頁。ISBN 4-309-22361-3。
- ^ 『明治・大正家庭史年表:1868→1925』p.417
- ^ 東京都建設局・隅田川はどんな川?
- ^ 武部健一 2015, p. 171.
- ^ 武部健一 2015, pp. 171–172.
- ^ 隅田川の「歩ける橋」をぜんぶ渡る朝日新聞社withnews
- ^ 石飛徳樹「渋い外見の奥に在る弱さと温かさ」『2021 キネマ旬報 11月上旬特別号』通巻2692号第1878号、キネマ旬報社、2021年11月1日、31頁、ASIN B09HG6KDDX。
- ^ ウォーターフェア・隅田川レガッタ開催記念展墨田区 2022年6月18日閲覧
- ^ (社)東京都ボート協会 設立以来の歩み一般社団法人 東京ボート協会 2022年6月18日閲覧
- ^ 下川耿史『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』(河出書房新社刊、2003年11月30日) 317頁 全国書誌番号:20522067
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