結縄 結縄の概要

結縄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/13 15:51 UTC 版)

南米のキープ

結縄は刻木英語版などとともに事物文字の一種に分類され、文字使用に至る先行段階と見なされる。言語の形式の単位、すなわち音素の単位や意味の単位との対応関係は一定ではなく、恣意的であったため、本来の意味での文字のレベルには達しなかったものと考えられている[2]。しかし、なかには言語との対応関係が見られるものもある。

古代の結縄

史料

結縄が記録媒体として用いられた最も古い記録の1つとして、中国では『易経』の繋辞・下伝に、

上古結縄而治。後世聖人易之以書契。[3]
上古は縄を結びて治まる。後世の聖人、之れに易(か)うるに書契(文字や割符を以てす。

の記述がある。代の易の注釈である『周易集解』は『九家易』(前漢、逸書)を引き、「古は文字無く、其れ約誓の事有らば、事の大ならば其の縄を大結し、事の小ならば其の縄を小結し、結の多少は物の衆寡に随う」[4]と述べる。ここから、文字のなかった時代の政治を「結縄の政」と言い、特に老荘の書にはその理想が垣間見える。例えば、『老子』第80章「小国寡民」には「民をして復た縄を結いて之れを用いしむ」[5]などとある。

日本に関して、『隋書』巻81東夷伝倭国条には、倭人の風俗として「文字無し、唯だ木を刻み縄を結ぶのみ」と記している。関連は定かでないが、唐古・鍵遺跡や鬼虎川遺跡など弥生時代の遺跡からは、結び目の付いた大麻の縄やイグサの結び玉と考えられるものも発見されている[6]。また古来日本では草結びと言って、菖蒲などの長い葉を取って2・3か所玉結びにして、その結び方や場所によって祝意や恋愛などの様々な意味を表したとされている[7]

古代ギリシアにおいては、ヘロドトスの『歴史』(紀元前5世紀)に記録がある。アケメネス朝ペルシアの王ダレイオスは、同盟のギリシア軍に橋頭の防衛を任せてスキュティアに進軍する際、60個の結び目がついた革ひもを渡しながら、次のような言葉を残したとされる。

そなたらはわしがスキュタイ人攻撃に出発するのを見たならば、その時から始めて毎日結び目を一つずつほどいていってくれ。その期間にわしが戻ってこず、結び目の数だけの日が経過したならば、そなたらは船で帰国してくれてよい。[8]

古代エジプトヒエログリフには、結び目の付いた紐を模したものがある。エジプトの測量術において、結び目のついたロープを使って直角三角形を作っていたことは知られているが、こうした測量技師は同時に結び目を作り計数管理をする技術者であった可能性もある[9]。広義の死海文書に類する、ナハル・ヘヴェルから出土したヘブライ語の貸借契約書の中では、領収書を「結び目 קשׁר‎」や「断片 שובר‎」という言葉で表しており、これは読み書きが普及していなかった頃に結縄や木片をもって数量を記録していた状況の名残と見るべきである[10]

宗教儀礼と結縄

アシュケナジム系とセファルディム系のツィーツィート

記憶手段としての結び目の利用はユダヤ教の衣装タッリートにも痕跡を見ることができる。律法に従えば、すべてのイスラエル人男子は朝の祈祷の際に肩に房飾り(ツィーツィート)を下げることになっているが、この房飾りに下がっている糸のうち、その四隅の紐は常に一定の数になるように結ばれている。セファルディムの伝承では26、アシュケナジムの伝承では39で、これはユダヤ教において重要な数と見なされている[11]

主はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々に命じて、代々その衣服のすその四すみにふさをつけ、そのふさを青ひもで、すその四すみにつけさせなさい。あなたがたが、そのふさを見て、主のもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたが自分の心と、目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。」[12]

カトリック教会のロザリオや仏教の数珠、イスラム教ミスバハ英語版など、多くの世界宗教に共通して見られる数珠状の祈りの用具は元来祈りの回数を数えるための道具であり、ロザリオであれば150、数珠であれば108というように各教派の儀礼に応じて珠の個数が定まっている。同様の道具はヒンドゥー教ジャイナ教シク教でも用いられている。コンボスキニオンと呼ばれる東方正教会の道具には、珠ではなく結び目を利用しているものもあり、これは伝承によれば4世紀のエジプトの聖者パコミウス英語版に端を発するとされている[13]

南北アメリカ

インカ帝国

結縄として世界的に最も著名なのがキープQuipu)である。キープは「結ぶ」あるいは「結び目」を意味し、租税管理や国勢調査などの統計的記述に用いられ、固有の文字を持たなかったインカ帝国の集権的行政において重要な役割を担った。キープの紐には羊毛が用いられ、色、結び目の距離、数、大きさ、形あるいはねじれ方などによって膨大な情報を記録することができた[14]。帝国ではキプカマヨク(結縄司)と呼ばれる役人が統計管理や会計にあたったが、その精度はスペイン人が驚嘆するほどであった[15]

キープはインカ帝国の口承伝承や法律保存のうえで、記憶を補助するための手段としても機能していたと考えられている[16]。しかしながらほとんどの場合キープは計数の道具であって、言語情報を伝える文書とは見なし得ないと考えられてきた。一方で、キープの一部に二進法に基づく原始的な書記体系の形式をなしているものがある、という説も近年有力視されつつある[17]ゲイリー・アートン英語版サビン・ハイランド英語版などの研究者が、キープに刻まれた名前や文字的情報の解読に成功したと主張している[18]

中南米

歴史家のエルランド・ノルデンシェルド英語版は、結縄が中米のコロンビアパナマインディオメキシコ中部~北部、アマゾンからポリネシアにまで存在したと指摘したうえで、十進法を知らなかった点で中米の結縄はペルーのそれとは区別されるべきであると主張する。ルイ・ボーダンも、コロンビアのポパヤンオリノコ川カリブ、北米のインディアンの一部、文字出現前のメキシコに結縄が使われていたと述べる。16世紀イエズス会士のホセ・ゲバラ神父はトゥピ・グアラニー語族がキープを使う伝統について語っており、ペドロ・ロサノ英語版神父も、アンダルガラ英語版(アルゼンチン)のインディオが1611年現在でもそれを使っていたと報告している。驚くべきことに、インカ帝国の版図に組み込まれなかった地域でもキープが使われており、チリのマプチェの間では19世紀にもその慣習が行われていた[19]

それがインカ帝国に由来する、あるいは独自に発生したにせよ、類似する風習は今日まで南米に伝わっている。例えば仏領ギアナのトゥピ・グアラニー系の民族の間では、宗教儀礼の順序を示すための記録あるいはロザリオとしてウドゥクル(udukuru)と呼ばれる結縄が用いられる[19]

北米

インディアンからペンシルベニア植民地総督ウィリアム・ペンに寄贈されたワムパム帯(1682年)

北米インディアンの間でも結縄はしばしば見られる習慣であった。これが認められる部族としては、ワシントン州東部のヤキマアリゾナ州ワラパイ英語版ハヴァスパイ英語版カリフォルニア州ミウォク英語版マイドゥ英語版ニューメキシコ州アパッチズニ英語版などがある[20]

結縄に類するインディアンの文化にワムパム英語版がある。ワムパムはビーズや穴を開けた貝殻に樹皮や麻などの植物性繊維や鹿皮などの紐を通したもので、ワムパムは「貝殻」を意味しているとされる。貝殻やビーズ玉の色の相違によって様々な意味を表すことができ、部族の歴史、部族間の条約や協定に相当する取り決めや領土の境界、さらには個人の特徴をも記録するのに用いられた[21]


  1. ^ 壇辻 2001, p. 394.
  2. ^ 壇辻 2001, pp. 394–396.
  3. ^ 『易経』繫辞下伝
  4. ^ 『周易集解』巻15
  5. ^ 『老子』第80章
  6. ^ 布目 1996, pp. 90–93.
  7. ^ a b 布目 1996, p. 92.
  8. ^ 松平訳 1972, p. 68.
  9. ^ Gandz 1930, pp. 213–214.
  10. ^ Naveh & Shaked 2003, p. 111-112.
  11. ^ 宮田 2018, pp. 74–75.
  12. ^ 『民数記』15:37-39
  13. ^ 溝田 2008.
  14. ^ 壇辻 2001, pp. 394–395.
  15. ^ 池田 1952, p. 98.
  16. ^ 池田 1952, p. 101.
  17. ^ Wilford 2003.
  18. ^ Cossins 2018.
  19. ^ a b Radicati di Primeglio & Urton 2006, pp. 97–99.
  20. ^ a b c 宮田 2018, p. 74.
  21. ^ 壇辻 2001, p. 395.
  22. ^ 坂倉 1739, p. 410.
  23. ^ 最上 1808, p. 528.
  24. ^ a b 坪井 1891, p. 405.
  25. ^ 額田 1983, pp. 116–117.
  26. ^ 額田 1983, p. 13.
  27. ^ 高橋 2001, pp. 1122–1123.
  28. ^ 宮田 2018, pp. 19–21.
  29. ^ 中野 1981, pp. 2–5.
  30. ^ 長浜 1977, pp. 2–3.
  31. ^ 林 1986.
  32. ^ 長浜 1971, p. 2.
  33. ^ Gandz 1930, p. 204.
  34. ^ Gandz 1930, pp. 204–205.
  35. ^ 『エレミヤ書』2:32
  36. ^ Nastevičs 2016, p. 79.
  37. ^ Nastevičs 2016, p. 83.
  38. ^ Day 1957, p. 24.
  39. ^ Huylebrouk 2006, p. 149.
  40. ^ Jacobsen 1983, p. 55.
  41. ^ Jacobsen 1983, p. 56.
  42. ^ Day 1957, p. 14.
  43. ^ a b Brown 1924, p. 83.
  44. ^ Jacobsen 1983, pp. 54–55.
  45. ^ Day 1957, pp. 11–12.
  46. ^ Day 1957, pp. 12–13.
  47. ^ Knight 1835, pp. 517–518.
  48. ^ 筑波大学附属盲学校 2006.
  49. ^ Zarrelli 2017.





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