結縄 東アジア

結縄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/13 15:51 UTC 版)

東アジア

上述のように中国の古典籍に結縄の習俗が伝わっているが、近年に至るまで、琉球諸島台湾中国アイヌ社会、あるいは日本内地でも類例が報告されている。

北海道

アイヌの結縄文化については、1739年(元文4年)に坂倉源次郎が著した『北海随筆』や、1808年(文化5年)に最上徳内が著した『渡島筆記』に言及されている。これらによれば、和人山丹人オロッコとの交易において勘定用の結縄・刻木が用いられており、和人が交易に出向いた際には1年前の情報でも詳細に記憶していた。また、記録法は恣意的に運用されるのではなく、古い慣習に従って行われていた[22][23]。明治の人類学者の坪井正五郎は、帝国大学理科大学にアイヌの結縄を持ち帰っている[24]

日本(内地)

宮中行事大嘗祭の前日に行われる鎮魂の儀に「糸結び(御魂結び)」があり、結びを用いて百を数え、遊離する魂を鎮める習わしがある[7]。同様の鎮魂祭は、奈良の石上神宮・新潟の弥彦神社・島根の物部神社などにも伝わっている[25]

本居宣長の『玉勝間』第13巻には、讃岐の田舎に伝わる求婚の風習が記されている。男が女に2つ結び目のついた藁を送り、女は拒絶する場合には結び目を外して返し、承諾の場合には結び目を中央に集めて返すものという[26]。坪井正五郎が柏原学而から伝え聞いた話によると、現在の静岡市駿河区久能山付近では家々の勝手ロに縄が2本下げてあり、塩売りが塩を置いて行く際にその量に従って縄に結び玉を作り、勘定を受け取るときにはこの玉を数える習慣があった[24]

沖縄

藁算

琉球諸島では文字使用を許されなかった庶民の間の記録法としてスーチューマやカイダ文字などと並び、藁算(ワラザン・バラザン)と呼ばれる結縄の慣習が行われていた。スーチューマやカイダ文字は比較的上層の人々が用いたのに対して、一般庶民は、あるいはイグサの結び方によって数量を表す方法を用いたのである。これには人数を表すもの、貢納額を表すもの、材木の大きさを表すもの、祈願用のものがあった[27]。明治期に初めて藁算の考察を残した民俗学者の田代安定は、特に八重山地方において普及が著しく、ここでは会計上の意味を超えて、禁止や告訴、命令などの文書的通達に代わる「会意格」の用法があることを記している[28]

台湾

アミの人々は文字・数の表現の代用として結縄を多く使用し、大正時代、地域によっては昭和初期まで、相手への意思伝達や記録計算において結縄が用いられていた。計算のための結縄は太さの異なる3本の麻糸を束ねて作られ、それぞれの糸が位取りを表した(アミの経済観念は非常に単純で、3桁以上の演算を必要としなかった)。このほか、借用証書として、さらに男子の集会所における祭礼や作業負担の記録のために結縄が用いられている[29]

プユマ社会では、男女の情愛のほどを確かめるのに結縄が用いられる。男には赤色、女には青または黄色の糸を用い、男女2本の糸をつないで数ヶ所の結び目を作り、その結び目の位置や結び方の一致・不一致によって互いの愛情を確認しあった[30]

雲南・チベット

ワ族の貸借手形。貸した金額と利子、期間が記されている。

中国雲南地方やチベット少数民族には結縄の風習があり、トーロン族リス族ヌー族ワ族ヤオ族ナシ族プミ族ハニ族ロッパ族などは、中華人民共和国成立以前には縄によって日付をつけていた。リス族は会計に結縄を用い、ハニ族は同じ長さの縄に同じ形の結び目を作って共有し、貸借の証明書とした。寧蒗のナシ族やプミ族は、羊毛を編んだ縄を結って情報を伝え、人々を招集した[31]

チベット仏教の僧侶は、108個の結び目がついた数珠を用いて祈祷の回数を数えることがあった。また、黄色い紐は仏陀、白い紐は菩薩というように、祈祷の対象によって色の使い分けがなされていた。これと同様の習慣は、20世紀初頭までシベリアのマンシハンティツングースヤクートなどにも行われていた[20]


  1. ^ 壇辻 2001, p. 394.
  2. ^ 壇辻 2001, pp. 394–396.
  3. ^ 『易経』繫辞下伝
  4. ^ 『周易集解』巻15
  5. ^ 『老子』第80章
  6. ^ 布目 1996, pp. 90–93.
  7. ^ a b 布目 1996, p. 92.
  8. ^ 松平訳 1972, p. 68.
  9. ^ Gandz 1930, pp. 213–214.
  10. ^ Naveh & Shaked 2003, p. 111-112.
  11. ^ 宮田 2018, pp. 74–75.
  12. ^ 『民数記』15:37-39
  13. ^ 溝田 2008.
  14. ^ 壇辻 2001, pp. 394–395.
  15. ^ 池田 1952, p. 98.
  16. ^ 池田 1952, p. 101.
  17. ^ Wilford 2003.
  18. ^ Cossins 2018.
  19. ^ a b Radicati di Primeglio & Urton 2006, pp. 97–99.
  20. ^ a b c 宮田 2018, p. 74.
  21. ^ 壇辻 2001, p. 395.
  22. ^ 坂倉 1739, p. 410.
  23. ^ 最上 1808, p. 528.
  24. ^ a b 坪井 1891, p. 405.
  25. ^ 額田 1983, pp. 116–117.
  26. ^ 額田 1983, p. 13.
  27. ^ 高橋 2001, pp. 1122–1123.
  28. ^ 宮田 2018, pp. 19–21.
  29. ^ 中野 1981, pp. 2–5.
  30. ^ 長浜 1977, pp. 2–3.
  31. ^ 林 1986.
  32. ^ 長浜 1971, p. 2.
  33. ^ Gandz 1930, p. 204.
  34. ^ Gandz 1930, pp. 204–205.
  35. ^ 『エレミヤ書』2:32
  36. ^ Nastevičs 2016, p. 79.
  37. ^ Nastevičs 2016, p. 83.
  38. ^ Day 1957, p. 24.
  39. ^ Huylebrouk 2006, p. 149.
  40. ^ Jacobsen 1983, p. 55.
  41. ^ Jacobsen 1983, p. 56.
  42. ^ Day 1957, p. 14.
  43. ^ a b Brown 1924, p. 83.
  44. ^ Jacobsen 1983, pp. 54–55.
  45. ^ Day 1957, pp. 11–12.
  46. ^ Day 1957, pp. 12–13.
  47. ^ Knight 1835, pp. 517–518.
  48. ^ 筑波大学附属盲学校 2006.
  49. ^ Zarrelli 2017.





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