禁色 禁色の概要

禁色

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/26 23:55 UTC 版)

位色と禁色

黄櫨染(平安) (webcolor)
  16進表記 #dd9159
黄丹 (webcolor)
  16進表記 #fc7f31
深紫 (webcolor)
  16進表記 #561649
深蘇芳 (webcolor)
  16進表記 #790505
深緋 (webcolor)
  16進表記 #a40522

8世紀初頭に制定された律令制では、「衣服令」によって、服色の順位が黄丹蘇芳、黄橡、葡萄(以下略)と定められた。また、位階に応じての色(位色(いしき)、当色(とうじき)とも)が定められ、位色以上の色を用いることは禁じられた。黄丹皇太子の位色として皇太子のみに許され、以下、親王諸王および諸臣三位以上は紫、諸臣四位五位は緋、六位七位は緑、八位初位は縹を位色とし、それぞれ、位色より上の色は禁色となった[1]。天皇の位色については「衣服令」に規定がないものの、9世紀初頭の嵯峨朝において黄櫨染天皇の正式な袍の色と定められ、この色は天皇以外の着用が許されない色となった。この黄櫨染と黄丹はいくら官位が上がっても臣下には決して許されない色であることから、近代以降の用語として「絶対禁色」と呼ぶ者もある。

多様な禁色

赤白橡 (webcolor)
  16進表記 #e06351
青白橡 (webcolor)
  16進表記 #bfbd9e

時代が進むにつれ、朝廷の服装に変化が生じる中で、さまざまな服装に関する規則が生じ、それらの一部も禁色と呼ばれた。

「禁色」の範囲としては、特に、支子色黄丹、赤色、青色深紫、深緋、深蘇芳の7色と、文様のある織物をあげる考え方があり、かつては、これらをまとめて禁色勅許と関わるものと理解する説もあった。しかし、この7色と有文織物の禁止の経緯や時期、対象はそれぞれであり、すべてが禁色勅許と関わるわけではない[2]

7色のうち、黄丹、深紫、深緋、深蘇芳は、当色以上の服色を着てはならないという規定によるものに過ぎない[3]。支子色については、支子紅花を交染すると黄丹とよく似た色になることから、元慶5年(881年)に禁令が出され、『延喜式』にも禁止の規定が掲載された[4]

赤色(赤白橡)、青色(麹塵青白橡とも)は、天皇に用いる色であるところから、禁色に含めて考えられたが、歴史的には常に天皇のみに許された色ではない。赤白橡の袍は、10世紀の『延喜式』においては参議以上の着用が認められたが、平安時代後期には、天皇、太上天皇のほか、内宴や、行幸御幸等(ただし天皇・上皇が赤色袍を着ていない場合)に摂関が着用するのみとなった[5]。青色は青摺との関連が指摘され、また「衣服令」服色条の黄橡に相当するとも言われる。青色袍内宴や賭弓等の特定の行事に際して官人が着用したほか、雑色や女性の着用例もある。しかし、平安時代後期にはこういった行事が衰退したため、青色の袍を着用するのは主に天皇と蔵人となった。ただし、の使用の制限により、綾の青色袍は公卿以上に限られていたため、六位蔵人がこれを着用できたのは禁色勅許によるものであった[6]。また、赤色袍、青色袍とともに、元服前の童の装束(童装束)としても用いられた。赤や青の唐衣は上臈の女房に許される「禁色」ともなった(後述参照)。

『延喜式』にはその他にも、を位袍に用いることができるのは五位以上であるとか、蘇芳色は公卿以上のみに許されるといった規定が見え、また禁色は下衣にも及ぶことや、女性は父親の位階に応じて服装が許されたことが示されている。また、深紅は染料の紅花が高価であること等から度々禁令が出された[7]。違反する服装の取り締りの厳しさは時代や状況によって異なるが、弾正台検非違使等によって破却されることもあった。


  1. ^ a b 増田 2010.
  2. ^ 小川 1985, pp. 63–4. 小川によれば、江戸時代の有職故実研究の影響のもとに、井野辺 (1900)において「特種の色」の禁色と有文織物の禁色があったという認識が示された後、関根・加藤 (1917)によって1) 当色以上、2) 7色の特殊の色、3) 有文の織物の3種が禁色であると提示され、その後、この説が通説として長く踏襲された。なお、井野辺が特種の色としてあげたのは、黄櫨染、支子色、黄丹、紅、青、深紫であった。
  3. ^ 小川 1985, p. 63.
  4. ^ 井野辺 1900.
  5. ^ 小川 1991; 末松 2010.
  6. ^ 小嶋 1966; 津田 2009.
  7. ^ 鈴木 1984.
  8. ^ 大丸 1964; 小川 1985, p. 41; 茨木 1994. 知られる最も早い例は、仁寿1年(851年)の蔵人頭藤原氏宗、従五位下藤原仲縁六位蔵人藤原良縄に対する禁色宣旨である。
  9. ^ 小川 1985. 蔵人ではない殿上人への禁色勅許として知られるもっとも早い例は、仁和3年(887年)1月の藤原時平(従四位下)と源興基(正四位下)に対する宣旨である。
  10. ^ 小川 1985, pp. 60-2等.
  11. ^ 小川 1990.
  12. ^ 知られる最も早い例は、延喜3年(903年)の源封子、源周子、藤原淑姫(いずれも醍醐天皇更衣)に対する勅許である。
  13. ^ 鈴木 1984; 天野 2007.
  14. ^ 津田 2002; 天野 2007.


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