矢祭町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 07:48 UTC 版)
やまつりまち ![]() 矢祭町 | |||||
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国 |
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地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 福島県 | ||||
郡 | 東白川郡 | ||||
市町村コード | 07482-9 | ||||
法人番号 | 5000020074829 | ||||
面積 |
118.27km2 | ||||
総人口 |
4,994人 [編集] (推計人口、2024年5月1日) | ||||
人口密度 | 42.2人/km2 | ||||
隣接自治体 |
東白川郡棚倉町、塙町 茨城県:常陸太田市、久慈郡大子町 | ||||
町の木 | アカマツ | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
町の鳥 | ヤマバト | ||||
矢祭町役場 | |||||
町長 | 佐川正一郎 | ||||
所在地 |
〒963-5118 福島県東白川郡矢祭町大字東舘字舘本66番地 北緯36度52分17秒 東経140度25分29秒 / 北緯36.87133度 東経140.42472度座標: 北緯36度52分17秒 東経140度25分29秒 / 北緯36.87133度 東経140.42472度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
町のほぼ中心に矢祭山があり、矢祭山を回り込みながら久慈川が南北に流れる。西端にある八溝山は南方を茨城県、西を栃木県とする県境の山で、東側の茗荷川流域のみが矢祭町に属する。町の東は阿武隈山地になっており、町の東西は山がちで、久慈川に沿ってJR水郡線や国道118号が走る。
久慈川とその支流沿いに開けた村落であり、道路沿いに田畑や集落が広がる。東館駅周辺に小さな商店が点在する。
2002年には、日本国政府が主導する「平成の大合併」で小規模町村が切り捨てられるとの懸念から、『合併しない宣言』を出して話題になった[2]。現在[いつ?]、自立財政確立のため、全国の自治体から注目を集めるほどの行政改革を遂行中である。
行政上は福島県に入れられているが、県の最南端に位置しており、久慈川の中・下流域である茨城県北西部(大子町、常陸太田市、水戸市など)との関係が深い。阿武隈山地を越えた沿岸地域でも、国道289号を通じた勿来(福島県いわき市)へは70km離れているが、茨城県道36号を通じた茨城県日立市へは45kmしか離れていない。
- 地形
隣接する自治体
歴史
- 関ヶ原以前
- 戦国時代には、常陸国北部(現在の茨城県)を本拠地とした佐竹氏の領土であった。この佐竹氏の統治下に付けられた地名として、中心部の「東舘」がある。東舘は、白河の結城氏の力で廃城となったが、その後、佐竹氏が前線拠点や補給線として活用していたものである。ただ、舘跡はリフレッシュふるさとランドという施設になっているため、主要な遺構は視認できなくなっている。[3]
- 関ヶ原合戦で敗れた西軍寄りの中立だった佐竹氏は常陸から出羽国へ国替えとなり(秋田藩)、棚倉藩に入れられた。1729年(享保14年)には棚倉藩領から江戸幕府直轄地(天領)に代わり、1868年(明治元年)の戊辰戦争終結まで塙代官所の統治下に入れられた。
- 戊辰戦争後
- 1953年(昭和28年) - 国道118号が制定。
- 1930年(昭和5年)4月16日 - 水郡線の常陸大子駅 - 東館駅間が開業。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 豊里村と高城村の一部(茗荷・内川・関岡)が合併して矢祭村が発足。
- 1957年(昭和32年)1月10日 - 塙町の旧・石井村の一部(中石井地区、下石井地区、戸塚地区)が分離され、矢祭村に編入。
- 1963年(昭和38年)1月1日 - 町制施行で矢祭町となる。
- 2001年(平成13年)10月31日 - 市町村合併をしない矢祭町宣言を町議会が可決[2]。
行政区域変遷
- 変遷の年表
矢祭町町域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現矢祭町町域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村が発足。[4][5] |
1955年(昭和30年) | 3月31日 |
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1957年(昭和32年) | 1月10日 | 塙町の旧・石井村の一部(中石井地区、下石井地区、戸塚地区)が分離され、矢祭村に編入。 |
1963年(昭和38年) | 1月1日 | 矢祭村が町制施行で矢祭町となる。 |
- 変遷表
矢祭町町域の変遷表 | |||||||
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1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
大垬村 | 豊里村 | 豊里村 | 昭和30年3月31日 矢祭村 |
昭和38年1月1日 町制 |
矢祭町 | 矢祭町 | |
上関河内村 | |||||||
下関河内村 | |||||||
小田川村 | |||||||
宝坂村 | |||||||
東舘村 | |||||||
金沢村 | |||||||
山下村 | |||||||
高野村 | |||||||
茗荷村 | 高城村の一部 | 高城村の一部 | |||||
内川村 | |||||||
関岡村 | |||||||
中石井村 | 石井村の一部 | 石井村の一部 | 昭和30年3月31日 塙町の一部 昭和32年1月10日 矢祭村に編入 | ||||
下石井村 | |||||||
戸塚村 |
- ^ 図典 日本の市町村章 p54
- ^ a b c “千万人と雖も吾往かん~平成大合併・矢祭町の選択~”. フジテレビジョン (2002年10月23日). 2014年9月7日閲覧。
- ^ a b 「YAMATSURI TOWN Tour Guide book」 矢祭町観光協会発行
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 7 福島県』、角川書店、1981年 ISBN 4040010701より
- ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より
- ^ 「合併しない宣言」と同様の政策を掲げる市町村には、新潟県加茂市や沖縄県中頭郡読谷村、群馬県多野郡上野村などがある。
- ^ 【地域のチカラ】福島・矢祭/子育て町ぐるみ 出生率アップ/町職員削減など節約徹底■保育料 周辺の1/3『東京新聞』夕刊2018年7月30日(1面)2019年1月5日閲覧。
- ^ JANJAN - コラム・Samurai Mayors・福島県矢祭町(1)、(2)、(3)、(4)。
JANJAN - 政治・高杉晋作になった「合併しない」町長。 - ^ 約9年ぶり 国立市、住基ネットを再接続 (テレビ番組). 東京メトロポリタンテレビジョン. 1 February 2012. 2014年9月7日閲覧。
- ^ 「住基ネット、最後の未接続自治体が30日接続へ」『YOMIURI ONLINE』読売新聞社、2015年3月20日。2015年3月20日閲覧。
- ^ “マイナンバーで遂に住基ネット接続、国に反旗を翻した東北の町の13年”. ITpro (日経BP社). (2015年5月11日) 2015年5月14日閲覧。
- ^ 根本良一 (2006年10月16日). “合併しない宣言により矢祭町は腹を決めた”. 全国町村会. 2014年9月7日閲覧。
- ^ 「矢祭町視察報告」(前編)、(後編)
- 1 矢祭町とは
- 2 矢祭町の概要
- 3 現在の町勢
- 4 行政
- 5 姉妹都市・友好都市
固有名詞の分類
- 矢祭町のページへのリンク