豊里村_(福島県)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 豊里村_(福島県)の意味・解説 

豊里村 (福島県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 21:52 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
とよさとむら
豊里村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 新設合併
豊里村高城村矢祭町
現在の自治体 矢祭町
廃止時点のデータ
日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
東白川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 高城村、石井村塙笹原町
茨城県
豊里村役場
所在地 福島県東白川郡豊里村大字東舘
座標 北緯36度52分17秒 東経140度25分29秒 / 北緯36.87133度 東経140.42475度 / 36.87133; 140.42475 (豊里村)座標: 北緯36度52分17秒 東経140度25分29秒 / 北緯36.87133度 東経140.42475度 / 36.87133; 140.42475 (豊里村)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

豊里村(とよさとむら)は福島県東白川郡にかつて存在した村である。

地理

現在の矢祭町の南部に位置する。

村域は阿武隈高地に位置し、山がちな地形である。

村は久慈川の東岸に位置する。

歴史

村域の変遷

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、大垬村・上関河内村・下関河内村・小田川村・宝坂村・東舘村・金沢村・山下村・高野村が合併し東白川郡豊里村が発足。
  • 1955年(昭和30年)3月31日 - 豊里村は高城村の一部(茗荷・内川・関岡)と合併し矢祭村が発足。豊里村は消滅。

変遷表

1868年
以前
明治22年
4月1日
昭和30年
3月31日
昭和38年
1月1日
現在
大垬村 豊里村 矢祭村 町制 矢祭町
上関河内村
下関河内村
小田川村
宝坂村
東舘村
金沢村
山下村
高野村

大字

  • 大垬(おおぬかり)
  • 上関河内(かみせきごうど)
  • 下関河内(しもせきごうど)
  • 小田川(おだがわ)
  • 宝坂(ほうざか)
  • 東舘(ひがしたて)
  • 金沢(かねざわ)
  • 山下(やました)
  • 高野(こうや)

人口・世帯

人口

総数 [単位: 人]

1889年(明治22年) 2,817
1920年(大正 9年) 3,870
1935年(昭和10年) 4,614
1947年(昭和22年) 5,876

世帯

総数 [単位: 世帯]

1920年(大正 9年) 748
1935年(昭和10年) 814
1947年(昭和22年) 1,010

交通(廃止直前)

鉄道

道路

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「豊里村_(福島県)」の関連用語

豊里村_(福島県)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



豊里村_(福島県)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの豊里村 (福島県) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS