田中美智子 田中美智子の概要

田中美智子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 15:21 UTC 版)

田中 美智子
たなか みちこ
生年月日 (1922-10-05) 1922年10月5日
出生地 広島県
没年月日 (2019-02-11) 2019年2月11日(96歳没)
出身校 日本女子大学家政学部社会福祉科
所属政党 日本共産党

選挙区 旧愛知1区
当選回数 5回
在任期間 1972年12月10日 - 1980年5月19日
1983年12月18日 - 1990年1月24日
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来歴・人物

広島県出身。父親は師範学校の校長だった[1]日本女子大学家政学部社会福祉科卒業。27歳のとき結核で3年間療養、右肺を切除した[2]日本福祉大学助教授名古屋家庭裁判所調停委員長などを歴任。

1972年12月の第33回衆議院議員総選挙旧愛知1区から、日本共産党員ではあったものの、無所属(日本共産党・革新共同推薦)で立候補し初当選した。この年の総選挙で現職の丹羽久章(旧愛知1区)と辻寛一(旧愛知6区)は落選。自民党は名古屋市内の議席をすべて失った。

在職中、アスベスト問題や高額療養費制度の是正などに取り組んだ。また、女性労働者30歳定年制や女の賃金格差の問題を国会で初めて取り上げたことでも知られる。

1986年第38回衆議院議員総選挙では、社会党11期目の横山利秋を85票差でかわし、5期目の当選を果たした。1990年の総選挙には出馬せず引退。

議員引退後は埼玉県秩父市に在住。大腸癌余命数ヶ月と診断されながらも手術を経て完治2006年5月、84歳にしてブログを開設。2009年、ブログに綴った文章を基にエッセイ集『まだ生きている』を新日本出版社から出版した[1]

2019年2月11日、死去[3][4]。96歳没。

選挙の記録

執行年 選挙 所属党派 得票数 当落 備考
1972年 第33回衆議院議員総選挙 無所属 95,106票 5名中2位
1976年 第34回衆議院議員総選挙 無所属 80,509票 6名中4位
1979年 第35回衆議院議員総選挙 無所属 75,602票 6名中2位
1980年 第36回衆議院議員総選挙 無所属 72,699票 6名中5位
1983年 第37回衆議院議員総選挙 無所属 72,782票 7名中3位
1986年 第38回衆議院議員総選挙 無所属 66,649票 8名中4位

著書

  • 『未婚のあなたに』 学習の友社、1979年8月
  • 『若い日々のために-性・モラルそして愛』 学習の友社、1981年7月
  • 『女は度胸』 学習の友社、1989年7月。
  • 『つれづれに』 学習の友社、1991年10月
  • 『新・未婚のあなたに』 学習の友社、1994年9月
  • 『さようなら さようなら さようなら』 あけび書房、2005年1月
  • 『まだ生きている』 新日本出版社、2009年3月



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