生國魂神社 概要

生國魂神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 10:37 UTC 版)

概要

大阪市中心部、難波宮跡大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して大坂本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に西成郡西高津村の現在地に遷座されている。

この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即位儀礼の一つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町坐摩神社とともに、難波宮との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代表的な古社の一つである。

古くからの社殿・神宝は幾多の火災・戦災によって失われたが、現本殿には「生國魂造(いくたまづくり)」と称する桃山時代の独特の建築様式が継承されている。また、7月11日12日の夏祭など古くからの祭りが現在まで続けられている。

名称

古代の史料から見出すことのできる当社の名称には次のようなものがある[1]

近世には「生玉宮」「生玉社」「生玉明神」などとも称された[1]。現代の名称としては、「生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)」のほかに、別称の「難波大社(なにわのおおやしろ)」[2]、主に地元の通称としての「いくたまさん(もしくは「いくだまさん」)」がある。なお当神社の公式サイトでは「いくたまさん」「ikutamajinja」がそれぞれ用いられている。

また、当社に由来する地名としては、近世に見られる「生玉(いくたま、いくだま[3])」という社名に通じる語形が用いられてきた[4]

祭神

祭神は次の3柱[2]

主祭神
  • 生島大神(いくしまのおおかみ、生嶋大神)
  • 足島大神(たるしまのおおかみ、足嶋大神)
相殿神

延長5年(西暦換算〈以下同様〉:927年)成立の『延喜式神名帳[原 8]における祭神の記載は2座[1]。同帳では「難破坐生国咲国魂神社二座」と記載されるが、その社名は「難波に鎮座する生国魂神・咲国魂神の社」という意味になり、同帳のうえでは祭神は「生国魂神」と「咲国魂神」の2神になる[5][6]。現在の祭神である生島神・足島神は、その2神と表記は異なるが実体は同神とされる[1][6]

かつて祭神の本地仏薬師如来とされ、現在も元神宮寺法案寺南坊では本尊に祀られている[1]

祭神について

平安京神祇官西院における奉斎神[7][8]
名称 神格 難波京関係社
御巫祭神八座 天皇の身体を司る
座摩巫祭神五座 天皇の住居を司る 坐摩神社
御門巫祭神八座 天皇の住居の門を司る
生島巫祭神二座 天皇の統治国土を司る 生國魂神社

祭神とする生島神足島神の2神は、『古事記』・『日本書紀』等の神話に記されない神々である。『延喜式』祝詞[原 9]では生島御巫が生国・足国の2神を祀ると記されるほか、『延喜式』神名帳[原 10]では生島巫が神祇官西院で生島神・足島神の2座を祀ると記されており[7]平安京の宮中で「生島巫(いくしまのみかんなぎ)」という専門の巫女により奉斎される重要な神々であった[9]。その神格については、『古語拾遺』に「生島 是大八洲之霊、今生島巫所奉斎也」とあるように「大八州」すなわち日本国土の神霊であるとも[9]、またその国土にあるものを生成・充足する神々ともされる[10]

この生島神・足島神については、天皇の即位儀礼の一つである八十島祭(やそしままつり、八十嶋祭)との関わりが知られる[9]。八十島祭は、新天皇による大嘗祭が行われた翌年、生島巫らが宮中から難波津に赴き、天皇の衣の入った箱を揺り動かすなどの神事を行う祭りである[9]。史料上は平安時代嘉祥3年(850年[原 11]から鎌倉時代元仁元年(1224年)まで、約400年間の実施が認められている[9]。八十島祭の目的は諸説あるが、一般的には生島神・足島神が主神であったとされており[注 1]、この2神を祀ることで大八州の神霊を天皇の体に取り入れ、天皇の国土支配権の裏付けを企図するものであったとされる[11]。史料の上では八十島祭と生國魂神社の関係は明らかでないが、祭場・祭神からして生國魂神社の祭祀にも関わると考えられており、生國魂神社で行われていた「原」八十島祭が宮中に取り入れられて「宮廷」八十島祭になったとする説も挙げられている[12][5]

坐摩神社
(大阪市中央区久太郎町)
生國魂神社同様、坐摩神社祭神の座摩神も宮中で祀られていた。

難波では、生國魂神社の類例として坐摩神社(大阪市中央区久太郎町、式内大社)の鎮座も知られる[12][8]。坐摩神社祭神の座摩神は、宮中で「座摩巫」という専門の巫女により奉斎される重要な神々であった[7]。後述のように生國魂神社は上町台地北端部(現在の大坂城の地)から現社地に鎮座したとされるが、この坐摩神社もかつては大坂城付近に鎮座したとされる[12]。上町台地北端部では難波宮も営造されていることから、生國魂神社・坐摩神社とも難波宮との関わりが指摘される[12][5][8]。遡れば難波には上古天皇の宮の伝承が多く残され、下って平安時代に港湾としての難波の重要性が薄れても上述の八十島祭が代々続けられていたことから、宮中の座摩神・生島足島神自体が元来は難波地方の地主神(国魂)であったとする説や[9][12][8][6][注 2]、それらの祭祀の淵源が5世紀河内王朝の時代まで遡ると見る説が挙げられている[12][8]。以上のほか、『神社覈録』では祭神を「天活玉命」とし、本居宣長は『古事記伝』において『先代旧事本紀』に見える十種神宝のうちの「生玉」との関連可能性を指摘する[1]

相殿神の大物主神は後世の配祀で、社伝では永禄元年(1558年)の社殿造替時に境内社から本殿に遷座・配祀されたとする[1]








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