居作昌果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 06:50 UTC 版)
いづくり よしみ 居作 昌果 | |
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生年月日 | 1934年3月31日 |
没年月日 | 2005年4月10日(71歳没) |
出生地 |
![]() (現:東京都中央区) |
職業 |
テレビプロデューサー 実業家 |
ジャンル | テレビ番組 |
活動期間 | 1960年代 - 2005年 |
活動内容 |
バラエティ番組の制作プロデュース 番組制作会社の経営 |
主な作品 | |
テレビ番組 『お笑い頭の体操』 『8時だョ!全員集合』 『8時だョ!出発進行』 『クイズダービー』 | |
備考 | |
TBS制作局長 タイクス創業者・代表取締役社長 |
元TBS[注 2]にてプロデューサー、演出三部長、第一制作局長、制作局長を歴任後、制作会社・タイクスを設立し、代表取締役社長を務めた。
バラエティ番組のプロデューサーとしての手腕を、日本テレビの井原高忠、フジテレビの横澤彪、テレビ朝日の皇達也としばしば比較される。
経歴
1934年、東京府(現在の東京都)生まれ[4]、東京府東京市京橋区銀座(現在の東京都中央区銀座)出身[2]。早稲田大学第一文学部英文科卒業[5][6]。
1956年、ラジオ東京(後のTBS)に入社[1]。ラジオ東京放送効果団(効果音を製作する部署)、番組宣伝課、教養部(後の情報番組制作部門)を渡り歩いた後、主にバラエティ番組制作担当の演出課に異動。以降テレビのバラエティ番組のディレクター・プロデューサーとして活動する。
1968年に『お笑い頭の体操』のプロデューサーへ就任。人気番組にさせる。1969年、TBSテレビ土曜20時枠の建て直しを命じられ、『8時だョ!全員集合』をプロデュース。高視聴率を稼ぐ驚異のお化け番組として一時代を築く。以後、『クイズダービー』『飛べ!孫悟空』『ザ・チャンス!』などヒット番組を連発する[3]。
1979年、自ら監督を務めた映画『ピーマン80』(東宝)[1] が公開。
1981年2月、仲本工事・志村けんとともに競馬のノミ行為を行った事で摘発され、仲本とともに書類送検となり罰金刑を受けた(志村は賭金が少なかったため、起訴猶予処分)[7]。
1982年9月、制作局(当時は第一制作局[8])次長演出三部部長となり、制作現場の第一線から離れる[9]。1983年4月1日、第一制作局長へ就任[10]。1985年6月28日から1986年5月1日までは制作局長を務めた[10]。
1989年7月20日[11](自著では1987年[1])にタイクスを設立、社長を務めた(TBS社長室付人事労政局付出向という形で務めた時期あり[12])。1999年、元タイクスの百武健之とともに制作会社ティー・ゾーン(T・ZONE)を設立[13]。
2005年4月10日、肺がんのため、東京都新宿区の病院で死去した[3]。71歳没[3]。
作品
テレビ番組
- 歌まね読本[14]
- お笑い頭の体操[3]
- 8時だョ!全員集合[3]
- 8時だョ!出発進行[15]
- 学校そば屋テレビ局[1]
- せんみつ・湯原ドット30[16][17]
- 新せんみつ・湯原ドット30[18]
- ばあちゃんの星(プロデューサー)[19]
- クイズダービー[3]
- クイズテレビずき!
- 飛べ!孫悟空[20]
- ザ・チャンス![21]
- びんた(1990年1月 - 3月。企画)[19]
- 遥かなるわが町(1990年3月12日、『月曜ドラマスペシャル』枠で放送された単発ドラマ。企画)[19]
- 4・10月だョ!全員集合
映画
- ピーマン80(製作・監督)
著書
- これがドリフターズだ(1981年、サンケイ出版)…国立国会図書館の所蔵情報
- 8時だョ!全員集合伝説(1999年9月30日[注 3]、双葉社)ISBN 4575290165
- (双葉文庫版。2001年発行)ISBN 4575711950
注釈
出典
- ^ a b c d e 自著『8時だョ!全員集合伝説』奥付プロフィールより。
- ^ a b c 外部リンク(KINENOTE)を参照。
- ^ a b c d e f g h 外部リンク(訃報)を参照。
- ^ 自著『8時だョ!全員集合伝説』奥付プロフィールより、「東京生まれ」と明記。
- ^ 外部リンク(訃報…nikkansports.com)では「早大文学部卒業」と記述。
- ^ 自著『8時だョ!全員集合伝説』より、奥付プロフィールでは「早稲田大学英文科卒業」、P180では「早稲田大学英文科の学士である」と記述。
- ^ 『8時だョ!全員集合伝説』P224-239「三人だけのドリフ」より(書類送検については、P236を参照)。
- ^ 『TBS50年史』資料編および同DVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録の人事組織図と併記された、1981年7月15日 - 1986年4月1日の主な組織変更をまとめた年表を参照。
- ^ 『8時だョ!全員集合伝説』P241-242
- ^ a b 『TBS50年史』資料編P46。
- ^ 『TBS50年史』資料編P54より、「(株)タイクス」の情報を参照。
- ^ 『all TBS 紳士・淑女録』第5回より、「出向(社長室付人事労政局付)の巻」(P1-7=原資料:P22-28)の中で、タイクスの代表取締役社長として居作昌果が紹介されている(P6=原資料:P27)。
- ^ Works - T・ZONEのウェブサイト より。
- ^ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、『歌まね読本』のデータカードを参照(制作としてクレジット)。
- ^ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、『8時だョ!出発進行』のデータカードを参照(制作としてクレジット)。
- ^ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、『せんみつ・湯原ドット30』のデータカードを参照(プロデューサーとしてクレジット)。
- ^ 自著『8時だョ!全員集合伝説』より、P152-153および奥付プロフィールを参照(タイトルは「せんみつ湯原のドット30!」と表記)。
- ^ 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』より、『新せんみつ・湯原ドット30』のデータカードを参照(プロデューサーとしてクレジット)。
- ^ a b c 外部リンク(テレビドラマデータベース)を参照。
- ^ 自著『8時だョ!全員集合伝説』より、P152-153および奥付プロフィールを参照(P152-153でのタイトル表記は「飛べ! 孫悟空」)。
- ^ 自著『8時だョ!全員集合伝説』より、P152-153および奥付プロフィールを参照(タイトルは「ザ・チャンス」と表記)。
- ^ 『8時だョ!全員集合伝説』P21-27「エノケンに口答え」より、P24-25の記述を参照。
- ^ 『8時だョ!全員集合伝説』P42-45「月とスッポン事件」より参照。
- ^ a b 『ゲバゲバ70年! 大橋巨泉自伝』
- ^ 谷啓+景山民夫対談「テレビが輝いていたころ」(講談社『IN POCKET』1991年6月号)
固有名詞の分類
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