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関桂三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 00:38 UTC 版)

せき けいぞう

関 桂三
関 桂三
生誕 1884年1月3日
奈良県山辺郡
死没 (1963-05-02) 1963年5月2日(79歳没)
国籍 日本
民族 日本人
出身校 東京帝国大学法科大学
活動期間 1908年 - 1963年
配偶者 あり
子供 関集三(三男)
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関 桂三(せき けいぞう 1884年1月3日 - 1963年5月2日)は、昭和期の実業家東洋紡績元会長。大阪商工会議所会頭、関西経済連合会会長を歴任。

来歴・人物

奈良県山辺郡出身。旧姓森田。旧制奈良県郡山中学校第四高等学校を経て、1908年東京帝国大学法科大学法律学科を卒業後[1]、東洋紡の前身である大阪紡績入社。常務、専務、副社長をそれぞれ歴任し、1943年に退職。1950年に東洋紡へ復帰し、会長を務め、1957年より相談役を務めた[2]。この間、経済団体の役員にも推され1943年から1946年まで大阪商工会議所会頭を務めた[3][4]。同時に繊維統制会会長にも就く[5]。1946年から1947年まで関西経済連合会初代会長を務め、1951年には再度第4代会長を務めるほか[6]日本商工会議所会頭代理、大蔵省商工省両顧問、朝日放送取締役、東京大学講師などをそれぞれ務めた。1946年から1950年まで公職追放 [7]1955年学位論文「日本綿業論」により母校東京大学より経済学博士号を授与された[8]

俳句を野村泊月高浜虚子に師事。『ホトトギス』の同人となり野村とともに俳誌『桐の葉』を創刊・主宰した。句集『春日野』(1956年)がある。俳号は圭草[9]

脚注

  1. ^ 『東京帝国大学一覧 従明治41年至明治42年』東京帝国大学、1908年、p.128、法律学科/明治41年(1908年)7月卒業生/森田桂三
  2. ^ 關桂三氏追懐録 1965, pp. 463–472, 年譜.
  3. ^ 但しこの期間は商工経済会法の施行に伴い、大阪府商工経済会に改組されていた。※日本商工経済会
  4. ^ 『大阪商工会議所八十五年史』大阪商工会議所、1965年、pp.88-89
  5. ^ 關桂三氏追懐録 1965, p. 467, 年譜.
  6. ^ 『関経連四十年の歩み』関西経済連合会、1987年、p.341、役員一覧
  7. ^ 關桂三氏追懐録 1965, pp. 468–469, 年譜.
  8. ^ 論文ID:NAID 500002388998
  9. ^ 關桂三氏追懐録 1965, pp. 423–441.

参考文献

  • 『關桂三氏追懐録』關桂三氏追懐録刊行会、1965年。 

外部リンク

先代
片岡安
大阪商工会議所会頭
第14代:1943年 - 1946年
次代
田島正雄
先代
(新設)
中橋武一
関西経済連合会会長
初代:1946年 - 1947年
第4代:1951年 - 1956年
次代
飯島幡司
太田垣士郎
先代
(新設)
大阪日米協会会長
初代:1946年
次代
杉道助



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