摘発・事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:27 UTC 版)
1954年、最高裁判所は「(競輪の)私設車券場はノミ行為の有無を問わず違法」との判断を示したが、第二次世界大戦前から存在した競馬法には馬券購入の委託禁止の規定がなかった。このため私設車券場は私設馬券場へ転業、既存の私設馬券業者と合わせて事実上野放しとなった。警察が私設馬券売場の手入れを行っても競馬場で拾ってきたハズレ馬券の山を示し、実際に買っていると主張すれば摘発されなかったのである。警視庁は、馬券を買わなかった証拠を積み上げるなどでノミ屋の摘発を続けたが、浅草のノミ屋は1954年に約100軒、1955年には約400軒と急成長、全国の各都市でも同様に増加して最盛期を迎えた。農林省は1955年に競馬法を改正し、委託禁止規定を盛り込んだため大っぴらでできるものではなくなった。 1981年、当時TBSプロデューサーの居作昌果とザ・ドリフターズの仲本工事・志村けんがノミ行為で書類送検(連行・逮捕)[信頼性要検証]された。仲本・居作は略式起訴され罰金刑、志村は金額が小さかったことから起訴猶予となった。 1985年2月23日、高知競輪場内で山口組系暴力団員が一和会系団員に発砲、死者2名重傷1名を出した。当時両団体は山一抗争と呼ばれる大規模な対立抗争中にあったが、この事件は団体間での対立の他にもノミ屋の縄張り争いも絡んでいたことから、これ以降公営競技での積極的な暴力団・ノミ屋排除が行われるようになった。
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