大山倍達 出演

大山倍達

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 03:01 UTC 版)

出演

映画
テレビドラマ
  • どっこい大作 第27話「世界一に負けぬ日本一!!」(1973年、NET) - 本人
  • 夜明けの刑事 第86話「地上最強のカラテ 仕組まれた札人のワナ」(1976年、TBS) - 本人

題材にした作品

アニメ
漫画
  • 「大野望(テーヤマン)」大韓民国にて、「空手バカ一代」と全く同じ期間(1971~1977年)に発表された「韓国版空手バカ一代」。大山の韓国名の一つである「崔倍達(チェ・ペダル)」を主人公として、空手バカ一代とストーリーはほぼ同じだが、主人公が使う武術がテコンドーである、朝鮮民族を押さえ付ける日本人に立ち向かうなど、全ての要素を韓国に置き換えて連載された[27]
映画

演じた俳優

脚注

注釈

  1. ^ この「朝鮮籍」とは北朝鮮国籍のことではない。朝鮮籍とは1947年以降の外国人登録制度において「旧朝鮮戸籍登載者及びその子孫(日本国籍を有する者を除く)のうち、外国人登録上の国籍表示を未だ『大韓民国』に変更していない者」が登録されることになった便宜上の籍である。
  2. ^ 大山茂が「大山倍達は当時『崔倍達』と名乗っていたがいつの間にか『大山倍達』と名乗るようになった」と某格闘技雑誌の中で述べている。
  3. ^ 早稲田大学高等師範部国民体錬科は、第二次世界大戦終戦後の1946年(昭和21年)に「体育科」と改称され、1951年(昭和26年)に高等師範部は「教育学部」に改組された。
  4. ^ 京都座における京都文化協会主催の体育大会を指すとして、はっきりとしたルールのある「大会」では無いとする説がある。なお、元極真会館本部直轄大阪道場責任者の岩村博文は、その大会の優勝後大阪に立ち寄った大山と出会ったとしている[1]
  5. ^ 対戦相手と自分の距離のこと。間合いを見極めることで自分の技を相手にヒットさせることができる。間合いには以下の3通りがある。
    • 限度間合い - 一撃では攻められず、かといって追撃をかけても逃げられる間合いで、相手の攻撃パターンを読むまでの一時的なものとして用いられる。
    • 誘導間合い - どちらか一方が誘いを入れる間合いで、待ち拳として用いる。
    • 相応間合い - 両者が互角の力量で戦う場合の、共に攻撃範囲内にある間合いのこと。
  6. ^ 手首を掌底とは逆にそらし、曲がった関節部分のこと。
  7. ^ 後屈立ちよりも歩幅が狭く、体重は100%後足にかけ、前足はつま先が床に触れている程度にする。
    後屈立ち - 前足はつま先につけ、前足と後足は30対70の割合で体重をかける立ち方である。
  8. ^ 構えた手を相手の顎や身体の肝臓などに下から突き上げる。ボクシングのアッパーカットに類似した技である。
  9. ^ a b 「龍尾の構え」とも呼ばれ、前足側の手で手刀受けから上体をひねり後ろ足の手を上から落としてくる構えのこと。
  10. ^ a b 手刀を前に出し、前足側の手をやや上にした防御力のある構えで後屈立ちか、猫足立ちで構える。
  11. ^ 複数の技を組み合わせ、連続で繰り出し攻撃すること。
  12. ^ 「上下の構え」とも呼ばれ、手刀受けから相手の突きを落としたり、蹴りへ移行する時などに使われる。両腕を地面に平行にして交互に円を描き、間合いをつめる。
  13. ^ 日本拳法の選手が握手をしてもらった後に、選手の手の平には手形の跡が残るほど強烈な握手だったとの伝聞が存在する。
  14. ^ a b 大山道場で師範代を務めた強豪。日本大学剛柔流空手道部出身で石橋雅史の後輩である。大学在学中に浅草の剛柔流本部で大山倍達と知り合い、大山が池袋立教大学裏で道場を開設した時に南本は道場での指導を頼まれ、大山道場初期の門下生を指導した。相手を羽目板まで追い込んでも攻め続けたという厳しい姿勢を持ち、大山道場に「負けてはいけないんだ」という闘争心を持ち込む指導をした。その後、仕事の都合で道場へ通えなくなったことから、指導の引継ぎを先輩の石橋に頼み、大山道場を去った。
  15. ^ 第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会から第6回まで連続出場し、第6回全日本選手権で4位に入賞した。現在は国際武道連盟・極真空手 清武会の師範である。
  16. ^ 故人。極真会館秋田支部所属で、第3回全日本空手道選手権に初出場。第4・5回全日本選手権は共に3位、第6回全日本選手権5位、第1回全世界選手権5位とそれぞれ入賞し、第8回全日本選手権で念願の初優勝を遂げた。正拳突き前蹴り・回し蹴りを得意とし、その戦いぶりから闘将と呼ばれた。第2回全世界選手権に推薦枠で出場。5回戦でウィリー・ウィリアムスと対戦し、延長戦でウィリーの正拳突きと下突きの連打で一本負けをし、引退。晩年は新極真会の秋田本庄道場の師範を務めていた。
  17. ^ 浜井識安の石川支部出身。第13回全日本選手権初出場し、4回戦で竹山晴友に敗退。しかし、第14回全日本選手権では中村誠を破ったブラジルアデミール・ダ・コスタ松井章圭に勝ち、決勝進出。三瓶啓二に惜敗したものの準優勝した。第3回全世界選手権にも出場し、第16回全日本選手権では竹山と再戦したが、判定負けで3位入賞。これを最後に選手権大会から退く。岡山県支部長に就任して、現在では極真会館 松井派から離れて、極真会館 極眞會の代表である。
  18. ^ 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)のインタビューで、本書に関しては真樹日佐夫が「俺がゴーストライターをやった」と証言している。逆に後述の『大山カラテもし戦わば』は「違うと思う」と否定している。

出典

  1. ^ 官報「昭和43年5月16日第12423号」
  2. ^ a b 大山倍達総裁 紹介”. 極真会館. 2022年11月30日閲覧。
  3. ^ 小島一志, ‎塚本佳子 (2006). 大山倍達正伝. 新潮社 
  4. ^ 大山 倍達とは”. コトバンク. 2022年7月31日閲覧。
  5. ^ 崔永宜”. world.kbs.co.kr (2013年6月27日). 2022年7月31日閲覧。
  6. ^ 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』458~459頁。同書では女性の名は実名。この引用はムック本『最強最後の大山倍達読本』からだが、著者の増田はこの本を、大山を盲目的に持ち上げる類のものではなく、かなり抑制の効いた検証本だと評している。
  7. ^ 増田俊也〈木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか〉460~461頁。著者の増田は「混乱した時代に生きた修行中の若い格闘家にとって、この悪評は勲章である。」と肯定的に評している。
  8. ^ 在米期間は公称1年であるが、実際には6ヶ月弱で帰国し『東亜日報』『週刊サンケイ』等の取材を受けている
  9. ^ https://www.youtube.com/watch?v=Y9tdov_8r_Q
  10. ^ 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』457頁
  11. ^ a b c d e 斎藤貴男 『梶原一騎伝』 新潮社2001年(平成13年)4月1日発行、311頁、337頁、348頁、357-359頁、372頁。
  12. ^ 斎藤貴男 『梶原一騎伝』 新潮社2001年(平成13年)4月1日発行、466頁。なお梶原もそのハガキが大山の物からであることに気付いており、妻に「これは大山館長からだよ。俺にはわかるんだ」と涙ぐみ語っていたという。
  13. ^ 「[改訂版]今度、某TVに出ますよ!!”. 小島一志-公式BLOG (2014年9月25日). 2015年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月23日閲覧。
  14. ^ 小島一志 『芦原英幸正伝』283頁
  15. ^ 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』480頁
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『拳聖 大山倍達 地上最強の空手』 福昌堂1998年(平成10年)4月1日発行、3-19頁、23-46頁、117頁。
  17. ^ 山崎照朝 『無心の心』 スポーツライフ社、1980年(昭和55年)、156頁。
  18. ^ 増田俊也 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 新潮社2011年(平成23年)477頁。
  19. ^ 同書471~473頁。空手専門誌『ワールド空手』における基佐江里のインタビュー引用だが、著者増田が基に直接聞いたという。
  20. ^ a b 『蘇る伝説「大山道場」読本』 日本スポーツ出版社2000年(平成12年)1月4日発行、42-49頁。
  21. ^ 吉行淳之介 対談 浮世草子三笠書房集英社1971年(昭和46年)。
  22. ^ おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』(100回記念の回のゲスト)
  23. ^ 消費税が日本を救う(日経プレミアシリーズ)p297
  24. ^ 渡邊一久 著「梶原一騎氏に伝えた実戦談」、フル・コム 編『幻の大山道場の組手 かつて地上最強の空手は実在した』(初版第1刷)東邦出版〈BUDO-RA BOOKS〉(原著2013-5-6)、54 - 55頁。ISBN 978-4-8094-1118-2OCLC 841143377。C0075。 
  25. ^ 「空手バカ一代」では『サンダクレス
  26. ^ a b 『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、1997年(平成9年)、49頁、60頁、114頁、116-117頁、150-151頁。
  27. ^ 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』456~457頁

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