地球空洞説 古代の思想

地球空洞説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 04:57 UTC 版)

古代の思想

神話などで、地下世界(Underworld、netherworld)の存在が示唆されていた。古代ギリシアの死後の世界の考え方では、地下に冥界Greek underworld英語版が置かれていた。そのほか、北欧神話のスヴァルトアールヴヘイム、キリスト教やユダヤ教の地獄などである。また、北アメリカ南西部の諸民族は、地下に4‐5層の地下世界が広がり、祖先は地下から這い出てきたと考えられていた[2][3][4]

地球空洞説の歴史

ハレーの提唱した空洞地球のモデル。地球内部にはひとつの中心核と二層の中空の球核があり、それらが空気を挟んで隔てられて浮かんでいる。
オイラーが提唱したとされる空洞地球のモデル。地球の中心には直径1000kmほどの輝く星がある。

以下、まずは主な説を年代順に挙げる。

エドモンド・ハレー1692年
イギリス天文学者。極地方の変則的な磁気変動を説明するために地球空洞説を考案、イギリス学士院で「地球空洞説」を発表した[5]
これは、「水星と同じ直径の中心核と、金星および火星と同じ直径で厚さ500マイルの同心球状の二つの内核とからなる空洞地球」、という説であった。これらの殻同士は空気の層で切り離され、各々の殻はそれぞれ磁極を有しており、さらに異なる速度で自転しているとされた。
また、この説では、「地球内部は明るく、おそらくは居住可能であること」、さらに「そこから逃げてくる発光性ガスによって、揺らめくオーロラが生じる」とされた。
レオンハルト・オイラー1770年頃)
スイス数学者。地球空洞説を提唱したと主張されることがあるが、オイラー自身がそのような説を提唱した証拠となる文書は存在せず、後世の創作だと思われる。その主張によると、こちらは多重球殻を採用せず「地球内部の高度な文明を照らす、一個の内部太陽」を仮定していた。
ジョン・クリーブス・シムズ英語版1818年
アメリカ陸軍の大尉。『同心円と極地の空洞帯』という本で、地球空洞説をとなえた。これによると「地球は厚さ800マイル (1,300km)、各々の両極に直径1400マイル (2,300km) の開口部を持つ五層の同心球である」とされ、地表の海はそのまま裏側にまでつづいているとされた。このシムズの説は、初期の地球空洞説のなかでも最も有名なものになった[6]
シムズは自説を裏付けるために北極の探検行を計画し、「自分は精神病者ではない」という医師の診断書までつけた500部の趣意書を、アメリカやフランスの政界、財界、学者に配布した。結局、費用が集まらなかったため、この北極探検は頓挫した。
1828年、ロシア皇帝から文書が届き、ロシア帝国主催の北極探険隊の隊長就任を要請される。しかし、シムズは1829年に死亡し、この計画には参加できなかった[7]。現在、オハイオ州ハミルトンには、彼の地球空洞説を記念する碑が立っている[8]
ジョン・レスリー(1829年)
スコットランド物理学者。『Elements of Natural Philosophy』において地球空洞説を発表(pp. 449–53)。地球内部に2つの太陽を持つモデルであった。それぞれの太陽は、冥界の神その妃に由来してプルートとプロセルピナと名づけられていた。

その他の出来事と以後の流れは、次の通り。

1826年
アメリカのジェームズ・マクブライトは、シムズの講演を筆記して『シムズの同心球理論』(Theory of Concentric Spheres) を出版[8]
1868年
W・F・ライオンズ (W. F. Lyons) が『空洞地球』(Hollow Earth) を出版。
1878年
シムズの息子アメリクス・シムズ (Americus Symmes) は、ライオンズの書籍に父親の名が抜けていることに激怒し、『シムズの同心球理論-地球が空洞であり内部は居住可能で、両極に広大な口があることの論証』を出版[8]
1906年
アメリカのウイリアム・リード (William Reed) が、『極地の幻影英語版』を出版。内部の太陽を持たない、単層の空洞地球のアイデアを提唱した。
1908年
アメリカのウィリス・ジョージ・エマーソン英語版の『煙の神、ザ・スモーキー・ゴッド』(The Smoky God) は、地下の文明があるという発想の源泉となった文学作品のひとつである。本書はオラフ・ヤンセンという名のノルウェー人船員の手記という体裁を取っている。この本はヤンセンの帆船が北極にある地球中央への入り口を通って航行したと主張している。彼は地下コロニーのネットワークにいる住人と2年間を共に過ごした。エマーソンは彼らの身長が12フィートもあり、その世界は「煙がかった (smoky)」中心太陽に照らされていたと書いている。エマーソンは彼らの首都が本来のエデンの園(のちに「アガルタ」)であると主張した。(Agartha - Secrets of the Subterranean Cities)
1913年
アメリカのマーシャル・B・ガードナー (Marshall Gardner)[注 1] は、『地球内部への旅・両極は実際に発見されたか』を自費出版。1920年には、挿絵や図版を大幅に増やした改訂第二版を出版した[9]。彼のモデルは、両極に直径1400マイルの開口部をもつ厚さ800マイルの殻と、直径600マイルの内部太陽を配置したものであり、彼はこの模型を造って特許を取得した。
ガードナーの書籍にはリードへの言及はなく、シムズ説が採られている。
1920年
ポーランドのフェルディナンド・アントニー・オッセンドフスキーは1920年の旅行記『獣・人・神々』において、当時広く信じられていた地下の理想郷神話「アガルタ」について記している。「アガルタ」神話はインドで「シャンバラ」 Shambhala とも呼ばれており、そこはイニシエートたち(initiates、秘儀参入者)が住まい、人類の霊的指導者である「大師たち」(the Masters) が率いるという。
1927年
フランスのルネ・ジャン・マリー・ジョゼフ・ゲノンは『世界の王』(The King of the World) で、世界の王の資質を語るにあたり、中央アジアにある「シャンバラ」から至る地球内部にある理想の王国「アガルタ」を引用し深く考察している。
第二次世界大戦終結時
アドルフ・ヒトラーと少数の側近が、南極にある開口部を通って地球の空洞内部に脱出した」という空想的な記事が流布された。
1968年11月23日
気象衛星「ESSA-7」が鮮明な“北極の穴”を撮影したとされ、世界中が大騒ぎになった。当時の気象衛星の軌道から写真撮影すると、カメラアングルの関係で極地方は写らない。このため写真を一枚に合成すると、撮影されていない極地方は真っ黒になり、ちょうど、ポッカリと穴が開いているように見える。また、写真撮影の時期は北極で日が昇らない極夜にあたり、この時期に太陽光が届かない地域が穴が開いているように見えるともいう[10][11]
1969年
アメリカのレイモンド・バーナード英語版が、『空洞地球――史上最大の地埋学的発見』(The Hollow Earth - The Greatest Geographic Discovery in History) を出版。これは極地探検で有名なリチャード・バード少将が、「1947年[注 2]の南極探検飛行の最中に大穴の中へ迷いこみ、氷原のあるはずの場所に緑あふれる谷間を発見した」、という内容であった。
この書籍にはリードとガードナーのアイデアが使われており、シムズの存在は完全に無視されている。焼き直されたアイデア以外に、バーナードが独自のアイデア(UFOは地球内部からやって来る、内部世界には環状星雲 (Ring Nebula) が存在する、など)を付け加えている[注 3]
フィクションでの扱い
「隠された智慧を護る秘密の賢人たちや超人的な種族が、秘密の地下都市、もしくは空洞地球の内面に住んでいる」という説は、作家によってしばしば書かれた[誰によって?]。それらによれば、「南極、北極、チベットペルーシャスタ山カリフォルニア州)などはすべて、これらの地下の領域への入口となっており、UFOは地球内部の空洞を基地としている」とされた。

凹面の地球(類似例)

「凹面」地球のアイデア。画像の左上に、歩いている人の姿が小さく描かれている。つまり、外側の茶色の部分が地面で、内側にポッカリ開いた部分が空、という考え方。

「我々は、中空の惑星の外部表層に住んでいる」という代わりに、「我々の世界は、凹面の内部に存在する」と考えた者がいる(「凹面」地球理論と言える)。これは、人類の居住している地球表面が、実は「無限に続く岩塊の中に存在する、泡状の球体の内部であり、太陽や月や星は、空間内部に浮かぶ雲のようなもの」という奇想天外なものである。

アメリカの医師であり、自称錬金術師のサイラス・リード・ティード(Cyrus Reed Teed、1839-1908。別名コレシュ)は、1869年、凹面地球モデル『空洞宇宙起源論』を提唱し、「コレシュ・ユニティ」(Koreshan Unity) というカルトを設立した。彼らのコロニーはフロリダ州の史跡として保存されていたが、ティードの信者は全員が故人となっている[12]

その後、1897年にアメリカのU・G・モロウが同様の主旨を発表。1925年、ドイツ人のカール・ニューバートが、研究書を刊行した[13]

「ティードの凹面地球モデルに影響されたヒトラーが、カメラの狙いを空に定めることによって英国艦隊を発見しようとした」というウワサが根強く残っている。ジェラルド・カイパー「第二次世界大戦中のドイツ天文学」(『ポピュラー・アストロミー』1946年6月号)によれば、1942年4月に、赤外線写真の専門家であるハインツ・フィッシャー博士を最高責任者とするドイツ海軍の特別研究チームが、バルト海リューゲン島に研究所を開設し、海岸で水平線から仰角45度を特注の赤外線カメラで撮影することによって、「はるか遠方(=凹面の対岸)にいるイギリス海軍の艦船を察知」しようとした試みを行ったという[14]

凹面地球説では、太陽などの天体が沈む現象を説明する必要がある。これについて、光は屈曲して進むので天体の光が届かない場所が生じる、上空に行くほど距離は指数的に割り増しされるため、空洞の中心付近を通る光は減衰して見えなくなる、といった説明がなされる。


注釈

  1. ^ サイエンス・ライターのマーティン・ガードナーとは別人。
  2. ^ バロウズ(1971)、245頁、「地球空洞説の系譜」では1956年
  3. ^ バロウズ(1971)、245頁、「地球空洞説の系譜」では、野田昌宏が本書に対し「阿呆らしい」とまで述べている。
  4. ^ 匿名作家のペンネーム。

出典

  1. ^ 地球の重力について | 新潟工科大学 情報電子工学科 竹野茂治 2013年1月6日
  2. ^ 世界大百科事典 宇宙の項目
  3. ^ Martha Warren Beckwith, Mandan-Hidatsa myths and ceremonies, G. E. Stechert, 1937, p. 10
  4. ^ William Martin Beauchamp, Iroquois folk lore: gathered from the Six Nations of New York, I. J. Friedman, 1965, pp. 152–153
  5. ^ ガードナー(2003)、48-49頁。
  6. ^ ガードナー(2003)、45-49頁。
  7. ^ バロウズ(1971)、243-244頁、解説「地球空洞説の系譜」(野田昌宏
  8. ^ a b c ガードナー(2003)、47頁。
  9. ^ ガードナー(2003)、49-51頁。
  10. ^ と学会(1997)、337-339頁
  11. ^ X51 (2003年11月22日). “地球空洞説、地底の小太陽、そして地底人”. X51.ORG. 2011年6月18日閲覧。
  12. ^ ガードナー(2003)、51-59頁。
  13. ^ バロウズ(1971)、246頁。
  14. ^ 志水一夫「奇想天外宇宙論 ナチスと宇宙氷論・地球裏返し説」『歴史読本臨時増刊 '89-3 特集超人ヒトラーとナチスの謎』第497巻、新人物往来社、1989年3月、pp. 144-145。 
  15. ^ ガードナー(2003)、47-48頁。
  16. ^ “ジョブズ教”月面を支配!? 「アイアン・スカイ/第三帝国の逆襲」衝撃映像 - インプレス 2019年6月20日、2020年7月28日閲覧。





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