名古屋アベック殺人事件 その他

名古屋アベック殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 04:38 UTC 版)

その他

家庭裁判所では担当した少年事件の全記録(捜査書類や審判記録など)を26歳になるまで保存することになっており、本事件のように検察庁に逆送致された事件の場合は、検察官に送られた捜査記録を除き、少年の性格や生い立ちを調べた調査記録を一定期間保存することになっている[573]。このうち、「全国的に社会の耳目を集めた事件」[注 87]などについては事実上の永久保存に当たる「特別保存」に指定されることになっているが、名古屋家裁が2022年(令和4年)10月に調査したところ、「特別保存」に指定されていた事件は名古屋大学女子学生殺人事件(2015年発覚)の1件のみで、本事件や木曽川・長良川連続リンチ殺人事件(1994年)、西尾ストーカー殺人事件(1999年)、名古屋中学生5000万円恐喝事件豊川市夫婦殺傷事件(2000年)[注 88]などといった重大少年事件の記録が廃棄されていたことが判明した[573]

関連文献

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b メ〜テレ50年特別番組 ドデスカ!UP!増刊号 地元応援団宣言!”. 名古屋テレビ【メ~テレ】. 名古屋テレビ放送 (2012年1月9日). 2022年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月7日閲覧。 “20位 1988年 少年ら6人が名古屋アベック殺害事件”
  2. ^ 芹沢俊介 1992, p. 276.
  3. ^ 佐藤直樹 1993, p. 253.
  4. ^ 土井隆義「少年法の理念はいかに機能しているか デュルケム社会学の視座から」『社会学評論』第42巻第3号、日本社会学会、1991年12月31日、276頁、doi:10.4057/jsr.42.263 
  5. ^ 日垣隆 2000, p. 179.
  6. ^ 土井隆義 2007, pp. 333–334.
  7. ^ 國吉真弥 1997, p. 5.
  8. ^ 真神博 1990, p. 358.
  9. ^ 服部朗 1989, p. 56.
  10. ^ a b c 多田元 1990, p. 70.
  11. ^ 村井敏邦, 佐々木光明 & 服部朗 1991, p. 73.
  12. ^ 多田元 & 新倉修 1993, p. 96.
  13. ^ 新倉修 1993, p. 91.
  14. ^ 上野友靖 1995, p. 182.
  15. ^ 前田忠弘 1998, p. 224.
  16. ^ 村井敏邦, 佐々木光明 & 服部朗 1991, p. 74.
  17. ^ 鮎川潤 1992, p. 70.
  18. ^ 鮎川潤 1993, p. 162.
  19. ^ a b 宮澤浩一 1998, p. 223.
  20. ^ 新倉修 1998, p. 17.
  21. ^ a b c d 清水勇男 2007, p. 45.
  22. ^ a b c 『中日新聞』2022年8月29日朝刊市民版10頁「反骨の弁護士が見た戦後 ひまわりと羊 第五部 罪と罰 4 注目の裁判 突然の依頼」(中日新聞社 連載担当記者:吉光慶太)
  23. ^ 澤登俊雄 1990, p. 49.
  24. ^ 鮎川潤 1992, p. 71.
  25. ^ 神田宏 1996, p. 27.
  26. ^ 永田憲史 2010, p. 77.
  27. ^ a b 判例時報 1990, p. 42.
  28. ^ a b c d e f g h 判例時報 1990, p. 43.
  29. ^ a b c d e f g h i j k l m 中日新聞』1988年2月27日夕刊E版一面1頁「大高緑地ら致事件 アベック殺されていた 三重(大山田村)の山に遺体 愛知県警 男女5少年を逮捕 木刀で襲い現金奪う 名港事件も自供」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号995頁。
  30. ^ 中尾幸司 2004, pp. 302–306.
  31. ^ a b c d e f g 佐藤大介 2016, p. 252.
  32. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『中日新聞』1989年6月28日夕刊E版一面1頁「大高緑地アベック殺人 名地裁判決 主犯少年(当時)に死刑 『残虐、冷酷な犯罪』 共犯の5被告 無期―不定期刑に」「(解説)精神的未熟さ認めたが厳刑(永井 昌己記者)」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)6月号1181頁。
  33. ^ a b c d e f 判例時報 1990, p. 36.
  34. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 判例タイムズ 1990, p. 270.
  35. ^ a b c d e f g h i j k l m 判例タイムズ 1990, p. 266.
  36. ^ 朝日新聞』1996年12月27日名古屋朝刊第一社会面27頁「死刑破棄判決、確定へ 無期上告断念 アベック殺人で高検 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社
  37. ^ 中尾幸司 2004, p. 273.
  38. ^ a b 『読売新聞』2007年2月15日東京朝刊石川版31頁「金沢の夫婦刺殺 元少年の無期確定 遺族、絶えぬ苦しみ=石川」(読売新聞北陸支社
  39. ^ 『毎日新聞』1971年9月10日東京朝刊第14版第三社会面21頁「【松戸】女性三人殺しに無期の判決」(毎日新聞東京本社) - 『毎日新聞』縮刷版 1971年(昭和46年)9月号305頁。
  40. ^ 『朝日新聞』1971年9月10日東京朝刊第14版第二社会面22頁「【松戸】混血青年に無期の判決 3女性絞殺 千葉地裁判決」(朝日新聞東京本社)
  41. ^ 『読売新聞』2006年12月19日中部朝刊石川版31頁「夫婦殺害 犯行時17歳に無期判決 成年なら死刑に相当/金沢地裁」(読売新聞中部支社)
  42. ^ 『毎日新聞』2007年2月14日大阪朝刊第二社会面28頁「金沢・夫婦強殺:当時17歳に無期確定 控訴取り下げ」(毎日新聞大阪本社)
  43. ^ a b 判例タイムズ 1990, pp. 275–276.
  44. ^ 鮎川潤 1992, p. 72.
  45. ^ a b c 判例時報 1997, p. 38.
  46. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『中日新聞』1996年12月16日夕刊E版二面2頁「アベック殺人死刑判決破棄 少年への極刑に慎重 集団心理などを考慮」(社会部・伊藤博道)「アベック殺人事件控訴審判決の要旨 元少年被告 矯正で罪の償いを」「アベック殺人事件の訴訟経過」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1996年(平成8年)12月号694頁。
  47. ^ 『中日新聞』1990年9月12日朝刊第二社会面30頁「名古屋のアベック殺人 きょうから控訴審 名高裁」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1990年(平成2年)9月号536頁。
  48. ^ a b c d e f g h 『中日新聞』1996年12月16日夕刊E版一面1頁「主犯格19歳(当時)に無期 アベック殺人控訴審 死刑破棄し減軽 名古屋高裁 B被告も13年に」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1996年(平成8年)12月号695頁。
  49. ^ 判例時報 1990, p. 39.
  50. ^ a b c d e 『中日新聞』1997年1月7日夕刊第二社会面10頁「2被告の刑確定 アベック殺人事件」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1997年(平成9年)1月号310頁。
  51. ^ a b c d e f g h i 『中日新聞』2018年3月5日朝刊第11版第一社会面27頁「少年と罪 第9部 生と死の境界で(中) 贖罪 許されずとも 続ける」(中日新聞社)
  52. ^ a b c 佐藤大介 2021, p. 140.
  53. ^ a b c d e f g h i j 娘殺した無期囚と文通 父親「許せぬが人として接す」」『47NEWS』(共同通信社)、2008年11月29日。オリジナルの2008年12月1日時点におけるアーカイブ。
  54. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 判例タイムズ 1990, p. 267.
  55. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 判例タイムズ 1990, p. 268.
  56. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap 判例タイムズ 1990, p. 269.
  57. ^ a b 判例タイムズ 1990, pp. 270–271.
  58. ^ オール讀物 1989, pp. 266–268.
  59. ^ a b c d e f g オール讀物 1989, p. 268.
  60. ^ a b c d e f g h i j k l m 判例時報 1997, p. 43.
  61. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 判例時報 1997, p. 47.
  62. ^ a b オール讀物 1989, pp. 270–271.
  63. ^ a b c d e f g h オール讀物 1989, p. 271.
  64. ^ a b c d e f g h i j k 判例時報 1997, p. 46.
  65. ^ オール讀物 1989, pp. 271–272.
  66. ^ a b c 多田元 1990, p. 71.
  67. ^ a b c 真神博 1990, p. 374.
  68. ^ a b c 鮎川潤 1992, p. 79.
  69. ^ a b c d e f g h i j k l m 判例時報 1997, p. 48.
  70. ^ a b c d e f g h オール讀物 1989, p. 273.
  71. ^ a b c d e 『中日新聞』1988年3月1日夕刊E版第一社会面9頁「アベック襲撃殺人 主犯格少年は元組員 本家墓前でXさん殺害」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)3月号33頁。
  72. ^ a b c d e f オール讀物 1989, p. 274.
  73. ^ a b c d e f g h i j k l オール讀物 1989, p. 275.
  74. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 207.
  75. ^ a b c d e f オール讀物 1989, p. 276.
  76. ^ a b c d e f g h i j 判例タイムズ 1990, p. 272.
  77. ^ a b c d e f 『中日新聞』1988年2月23日夕刊E版第一社会面9頁「アベックを連続襲撃 木刀手に男女8人組 金城ふ頭2人けが」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号837頁。
  78. ^ a b c d e f g h 『中日新聞』1988年2月25日朝刊第12版第一社会面27頁「大高緑地 アベックら致?不明2日 窓ガラス割られた車放置 車内から血痕発見 『金城ふ頭』と手口似る」「近所の男性 争う数人を目撃」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号899頁。
  79. ^ a b c d e f 『朝日新聞』1988年2月25日名古屋朝刊第14版第一社会面19頁「大高緑地の駐車場 若いアベック不明 壊された車残し2日 襲われた? 金城ふ頭事件と類似 捜査本部設置」(朝日新聞名古屋本社)
  80. ^ a b c d e f 『中日新聞』1988年2月26日朝刊第12版第一社会面31頁「大高緑地のアベックら致 男2人はパンチパーマ 愛知県警断定 『金城ふ頭』と同一人物」「被害者の財布カラで発見」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号945頁。
  81. ^ a b c d e f g h i 毎日新聞』1988年2月27日中部夕刊第4版一面1頁「不明のアベック少年ら5人が殺害 三重の山中二遺体 少女含むグループ 公園で襲い金奪う 愛知県警逮捕」(毎日新聞中部本社
  82. ^ a b c d e 『中日新聞』1988年2月28日朝刊第12版一面1頁「アベック襲撃殺人 新たに組員逮捕 他にも共犯の可能性」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号1009頁。
  83. ^ a b c d e 『中日新聞』1988年2月29日朝刊第12版第二社会面26頁「アベック襲撃 新たに2少年浮かぶ 金城ふ頭事件に加担 愛知県警行方追及」「少年の背後に暴力団 シンナーえさ 操る」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号1074頁。
  84. ^ a b c d e f g h i 『中日新聞』1988年2月29日夕刊E版第一社会面11頁「アベック殺人で名古屋市 市営住宅の管理見直し」「組員のBを送検」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号1087頁。
  85. ^ a b c 『中日新聞』1988年3月20日朝刊第12版第二社会面22頁「名古屋のアベック襲撃 少年ら5人家裁送致」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)3月号838頁。
  86. ^ a b 『中日新聞』1988年4月14日夕刊E版第一社会面9頁「アベック殺しの5人 名地検へ逆送致」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)4月号557頁。
  87. ^ a b c 『中日新聞』1988年4月23日朝刊第12版第二社会面26頁「名古屋のアベック襲撃 少年ら5人家裁送致」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)4月号912頁。
  88. ^ a b c d 『中日新聞』1988年7月18日夕刊E版一面1頁「アベック襲撃殺人で初公判 名古屋地裁 5少年、罪状認める Bは一部否認」(中日新聞社)『中日新聞』縮刷版 - 1988年(昭和63年)7月号753頁。
  89. ^ a b c 『読売新聞』1989年1月29日中部朝刊第14版第二社会面22頁「アベック殺人あす公判 少年に極刑求刑か」(読売新聞中部本社)
  90. ^ a b c d 『毎日新聞』1989年1月29日中部朝刊第14版第二社会面22頁「アベック殺人 あす求刑 名地裁で6人 主犯格の少年、極刑も」(毎日新聞中部本社)
  91. ^ a b c d e f g 『中日新聞』1989年1月31日朝刊第12版一面1頁「大高緑地のアベック殺人 主犯少年に死刑求刑 名地検『まれにみる悪質さ』 残る5人も無期―5年」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)1月号1279頁。
  92. ^ a b c d e 『中日新聞』1989年3月3日夕刊社会面11頁「大高緑地のアベック殺人 有期刑への減軽訴え 元少年の最終弁論 名古屋地裁」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)3月号141頁。
  93. ^ a b 『中日新聞』1988年3月22日夕刊第二社会面12頁「名古屋・大高のアベック殺人事件で全員結審」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)3月号974頁。
  94. ^ a b 『中日新聞』1989年7月8日朝刊第二社会面30頁「死刑判決の少年控訴」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)7月号352頁。
  95. ^ a b 『中日新聞』1989年7月12日朝刊第二社会面30頁「アベック殺人の共犯控訴」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)7月号530頁。
  96. ^ a b c d e f g h 真神博 1990, p. 363.
  97. ^ a b c d e f 『中日新聞』1990年9月12日夕刊第二社会面12頁「計画、残虐性を否定 「虚勢張った」と弁護側 アベック殺人控訴審初公判」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1990年(平成2年)9月号550頁。
  98. ^ a b c d e f g 『中日新聞』1991年10月22日朝刊第二社会面26頁「裁判官忌避で紛糾 アベック殺人控訴審 来年1月結審」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1991年(平成3年)10月号980頁。
  99. ^ a b c d e 『朝日新聞』1992年1月9日名古屋夕刊第一社会面11頁「「アベック殺人」控訴中の被告、弁護団全員を解任【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  100. ^ a b c 『中日新聞』1992年1月10日朝刊第二社会面30頁「アベック殺害で死刑判決の被告 裁判手続きに抗議 弁護団全員を解任」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1992年(平成4年)1月号438頁。
  101. ^ a b 『中日新聞』1992年1月22日朝刊第二社会面26頁「後任弁護士に安田氏」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1992年(平成4年)1月号944頁。
  102. ^ a b 多田元 & 新倉修 1993, p. 98.
  103. ^ a b c d e f g h i j 内河惠一 & 雑賀正浩 2004, p. 75.
  104. ^ a b 『日本経済新聞』1992年4月28日名古屋夕刊社会面36頁「「アベック殺人」控訴審、審理再開へ、7月28日公判」(日本経済新聞名古屋支社)
  105. ^ a b c d e 内河惠一 & 雑賀正浩 2004, p. 73.
  106. ^ a b c d e 『毎日新聞』1995年7月19日中部夕刊社会面6頁「「アベック殺人」控訴審の審理再開ーー名古屋高裁」(毎日新聞中部本社)
  107. ^ a b c d e f 『中日新聞』1996年9月26日夕刊第二社会面12頁「アベック殺人 「殺害共謀なかった」 控訴審最終弁論 ××(Bの実名)被告側が陳述」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1996年(平成8年)9月号1168頁。
  108. ^ a b c d e 『中日新聞』1996年9月27日朝刊第二社会面34頁「アベック殺人 控訴審最終弁論 殺害に計画性ない 当時少年の弁護側主張」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1996年(平成8年)9月号1204頁。
  109. ^ a b c d e 『中日新聞』1996年9月28日朝刊第二社会面34頁「判決は12月16日 アベック殺人 控訴審が結審」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1996年(平成8年)9月号1260頁。
  110. ^ a b 『中日新聞』1996年12月27日朝刊第14版一面1頁「アベック殺人事件 検察側が上告断念 死刑破棄 元少年の「無期」確定へ」 - 『中日新聞』縮刷版 1996年(平成8年)12月号1099頁。
  111. ^ a b c d e 山口地裁 2000, 量刑の理由.
  112. ^ a b c 中尾幸司 2004, p. 274.
  113. ^ a b c 伊勢新聞』1988年2月29日朝刊11頁「【名古屋】名古屋のアベック殺害 共犯の組員逮捕 少年5人を送検」(伊勢新聞社)
  114. ^ a b c d e f g h i j k l m 判例タイムズ 1990, p. 275.
  115. ^ a b c d e f g h i 判例タイムズ 1990, p. 274.
  116. ^ a b c d e f 『中日新聞』1988年2月28日朝刊第12版第一社会面27頁「アベック襲撃殺人 市営住宅 巣に非行の数々 部屋中シンナー臭 もぐり入居 ずさん管理が助長」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号1035頁。
  117. ^ ゼンリン港区 2022, 123頁B-4およびB-5付近.
  118. ^ ゼンリン港区 1987, 229頁B-5.
  119. ^ ゼンリン港区 1988, 229頁B-5.
  120. ^ a b c 『朝日新聞』1988年2月28日名古屋朝刊第14版第二社会面20頁「”悪の巣“は市営住宅 空き家に出入り 放置した管理側」(朝日新聞名古屋本社)
  121. ^ a b c 『朝日新聞』1988年3月2日名古屋夕刊第4版第一社会面7頁「アベック襲撃殺人 「住民に見られた」 発覚恐れ2人ら致」「県・市議会で質問相次ぐ」(朝日新聞名古屋本社)
  122. ^ a b c d 『読売新聞』1988年3月2日中部朝刊第12版中京読売18頁「名古屋のアベック殺害で対策 市営住宅の管理強化へ 少年ら“空き家”を不正使用」(中部読売新聞本社・名古屋総局)
  123. ^ 『朝日新聞』1988年3月3日名古屋朝刊第14版第一社会面23頁「アベック殺人の少年ら 「テレビ塔族」自認と供述」(朝日新聞名古屋本社)
  124. ^ 判例タイムズ 1990, pp. 267–269.
  125. ^ a b c d e f g h i j k 判例時報 1997, p. 39.
  126. ^ 判例タイムズ 1990, pp. 271–272.
  127. ^ a b c 中尾幸司 2004, p. 279.
  128. ^ a b 死刑廃止の会「日本における死刑の判決と執行」『JCCD 犯罪と非行に関する全国協議会機関誌』第59号、犯罪と非行に関する全国協議会、1991年12月、26頁、doi:10.11501/2855519NDLJP:2855519/14 
  129. ^ a b c 年報・死刑廃止 1996, p. 315.
  130. ^ a b 年報・死刑廃止 1997, pp. 219–220.
  131. ^ a b c 「刑事雑(全) > 特別抗告 > 事件番号:四(し)九八 事件名:強盗致傷、殺人、死体遺棄、強盗未遂被告事件についてした証拠調べ請求却下決定に対する異議申立棄却決定に対する特別抗告 申立人又は被告人氏名:K・S〔被告人Kの実名〕 裁判月日:(平成4年)一〇・一四 法廷:一 結果:棄却 原審:名古屋高 謄本綴丁数:二七七」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成4年10月分』、最高裁判所事務総局、1992年10月、17頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第261号(平成4年9月-12月)の巻末付録。
  132. ^ 高刑速 1998, p. 150.
  133. ^ a b オール讀物 1989, p. 258.
  134. ^ a b c d e 週刊新潮 1989, p. 140.
  135. ^ a b c 真神博 1990, p. 359.
  136. ^ 佐藤大介 2021, p. 139.
  137. ^ a b c d e f 判例時報 1990, pp. 36–38.
  138. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 判例時報 1997, p. 45.
  139. ^ a b c 週刊文春 1988, p. 40.
  140. ^ 鮎川潤 1997, p. 117.
  141. ^ 『中日新聞』1988年2月29日朝刊第12版第二社会面26頁「なんで殺すのか! アベック襲撃事件(中) 集団の狂気 刺激が刺激を生み…」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号1074頁。
  142. ^ a b c d e 『朝日新聞』1988年2月27日名古屋夕刊第4版第一社会面11頁「発生5日最悪の事態 アベック遺体発見 「いちるの望みかけ…無事祈ってきたのに」 肩落とす家族」「雪の下、並んで埋められ 発見現場 遺体、めった打ちの傷」「犯人グループ 補導歴や非行歴」(朝日新聞名古屋本社)
  143. ^ a b c d e 長倉正知 1988, p. 192.
  144. ^ 『朝日新聞』1989年6月28日名古屋夕刊第一社会面11頁「名古屋のアベック殺人で死刑判決 悲しみ、恨み消えぬ遺族【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  145. ^ a b c d 中尾幸司 2004, p. 280.
  146. ^ 小笠原和彦 1989, pp. 25–26.
  147. ^ 小笠原和彦 1989, p. 37.
  148. ^ a b 小笠原和彦 1989, p. 24.
  149. ^ 小笠原和彦 1989, pp. 28–29.
  150. ^ a b c d e 中尾幸司 2004, p. 281.
  151. ^ 判例タイムズ 1990, pp. 267–268.
  152. ^ a b c 真神博 1990, p. 377.
  153. ^ 小笠原和彦 1989, p. 31.
  154. ^ 小笠原和彦 1989, pp. 32–33.
  155. ^ 加藤幸雄 2003, p. 116.
  156. ^ a b オール讀物 1989, p. 259.
  157. ^ a b c d 『中日新聞』1988年3月3日朝刊第12版三面3頁「核心 アベック襲撃殺人 わが子の犯罪 親たちの証言 気弱な子が…優しい子が… あまりに早い転落 シンナー、暴走…暴力団」(中日新聞社 社会部・取材班) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)3月号79頁。
  158. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 282.
  159. ^ a b c 非行問題研究 1991, p. 5.
  160. ^ a b 真神博 1990, p. 379.
  161. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『毎日新聞』1989年1月31日中部朝刊第14版第一社会面21頁「アベック殺人論告求刑 母親「一生にくみます」 証人席で声絞り「子供を返して」」「論告要旨 綱引き「鬼畜の所業」」(毎日新聞中部本社)
  162. ^ a b c オール讀物 1989, p. 257.
  163. ^ a b c 中尾幸司 2004, p. 272.
  164. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 286.
  165. ^ a b c d 真神博 1990, p. 380.
  166. ^ a b c d e オール讀物 1989, p. 260.
  167. ^ 中尾幸司 2004, p. 283.
  168. ^ 鮎川潤 1992, p. 76.
  169. ^ 中部読売新聞』1988年3月3日朝刊第4版第二社会面22頁「アベック殺人 犯行車から木刀を押収」(中部読売新聞本社)
  170. ^ a b c d 『中部読売新聞』1988年3月2日朝刊第4版第一社会面19頁「アベック襲撃全容解明 アジトにBさん監禁 放置の車に遺体残し 殺害即決準備周到 スコップ盗み調達」(中部読売新聞本社)
  171. ^ 真神博 1990, p. 368.
  172. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』1988年2月27日名古屋夕刊第4版第一総合面「名古屋の不明男女 少年グループが殺害 三重山中に遺棄 少女含む5人逮捕 他に数人関与? 名港の連続強盗も自供」(朝日新聞名古屋本社)
  173. ^ 判例タイムズ 1990, pp. 268–269.
  174. ^ ゼンリン港区 1987, 76頁E-3.
  175. ^ ゼンリン港区 2022, 38頁B-3.
  176. ^ a b 小笠原和彦 1989, p. 38.
  177. ^ a b c 『中日新聞』1988年3月2日夕刊E版市民版8頁「アベック襲撃無職の少年 殺害直後に「元気だ」 平然と母へ電話」「犯行車公開 凶器の木刀など押収」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)3月号74頁。
  178. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 277.
  179. ^ ゼンリン中村区 1988, 23頁B-1.
  180. ^ ゼンリン中村区 2021, 14頁B-1.
  181. ^ 判例タイムズ 1990, pp. 269–270.
  182. ^ a b 溝渕啓修 et al. 1989, p. 23.
  183. ^ a b c d 溝渕啓修 et al. 1989, p. 22.
  184. ^ 加藤幸雄 2003, pp. 115–116.
  185. ^ a b c 『朝日新聞』1988年2月23日名古屋夕刊第4版第一社会面7頁「恋人たちの名所・金城ふ頭 アベック2組襲われる 8人組 車のガラス割り強盗」(朝日新聞名古屋本社)
  186. ^ 真神博 1990, p. 366.
  187. ^ a b c d e f オール讀物 1989, p. 264.
  188. ^ a b 鮎川潤 1992, p. 80.
  189. ^ a b c 『中部読売新聞』1988年2月25日朝刊第4版第一社会面23頁「車残しアベック不明2日 大高緑地公園 襲われた? 窓割られ座席に血痕 早朝の駐車場 「若者数人けんか」目撃」(中部読売新聞本社)
  190. ^ 大高緑地トップページ > 利用案内 > 営業時間と利用料金”. おでかけナビ・名古屋と愛知の公園であそぼう!. 公益財団法人 愛知県都市整備協会. 2022年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月11日閲覧。
  191. ^ a b c d e オール讀物 1989, p. 265.
  192. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 判例タイムズ 1990, p. 271.
  193. ^ a b c d e f 判例時報 1997, p. 44.
  194. ^ a b c d e f オール讀物 1989, p. 266.
  195. ^ 中尾幸司 2004, p. 292.
  196. ^ a b c d e f g h 判例タイムズ 1990, p. 273.
  197. ^ a b オール讀物 1989, p. 267.
  198. ^ オール讀物 1989, pp. 267–268.
  199. ^ a b c d e オール讀物 1989, p. 269.
  200. ^ a b c d 判例時報 1997, p. 51.
  201. ^ 加藤幸雄 2003, pp. 116–117.
  202. ^ 加藤幸雄 2003, p. 117.
  203. ^ 『愛知県海部郡2 蟹江町・弥富町・十四山村・飛島村 1988』ゼンリン株式会社(発行人:大迫忍)〈ゼンリンの住宅地図〉、1989年1月、124頁H-5頁。国立国会図書館書誌ID:000003582935全国書誌番号:20462923 
  204. ^ 『愛知県 弥富市 2021 01』ゼンリン〈ゼンリン住宅地図〉、2021年1月、93頁G-3頁。ISBN 978-4432505593国立国会図書館書誌ID:031195044全国書誌番号:23493646 
  205. ^ a b c d e f g h i 判例時報 1990, p. 44.
  206. ^ 真神博 1990, p. 370.
  207. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 判例時報 1990, p. 45.
  208. ^ 加藤幸雄 2003, p. 118.
  209. ^ a b c d 判例時報 1997, p. 42.
  210. ^ a b c 判例時報 1990, pp. 44–45.
  211. ^ 判例時報 1997, pp. 45–46.
  212. ^ a b 判例時報 1997, pp. 46–47.
  213. ^ a b c d e f g h i j オール讀物 1989, p. 270.
  214. ^ ゼンリン中村区 1988, 36頁C-2.
  215. ^ ゼンリン中村区 2021, 20頁I-1およびI-2.
  216. ^ a b c 『毎日新聞』1988年2月29日中部夕刊第4版第一社会面7頁「アベック殺し 悲しみと怒り新た X、Yさんの葬儀」「“根城”市営住宅 退去指示したが有効措置とれず 市、管理強化へ」「「ホテルに入った不審車」 従業員のメモが逮捕へ 中村区」(毎日新聞中部本社)
  217. ^ 真神博 1990, p. 371.
  218. ^ ゼンリン熱田区 1988, 29頁B-4.
  219. ^ ゼンリン熱田区 1988, ビル・マンション・アパート別記11頁「394 メゾン西野 1F 喫茶まいか」.
  220. ^ ゼンリン緑区 1988, 172頁B-3.
  221. ^ 『愛知県 名古屋市 14 緑区 2022 01』ゼンリン〈ゼンリン住宅地図〉、2022年1月、83頁B-3頁。ISBN 978-4432520220国立国会図書館書誌ID:031898712全国書誌番号:23644602 
  222. ^ ゼンリン緑区 1988, 66頁D-4.
  223. ^ ゼンリン緑区 1988, ビル・マンション・アパート別記22頁「290 ハイツ幹 1F 喫茶とと」.
  224. ^ 『愛知県 名古屋市 熱田区 1987』ゼンリン株式会社(発行人:大迫忍)〈ゼンリンの住宅地図〉、1987年6月、41頁B-5頁。国立国会図書館書誌ID:000003581427全国書誌番号:20476295 
  225. ^ 『愛知県 名古屋市 9 熱田区 2022 04』ゼンリン〈ゼンリン住宅地図〉、2022年4月、18頁H-5頁。ISBN 978-4432524006国立国会図書館書誌ID:032066681全国書誌番号:23685845 
  226. ^ ガスト 熱田一番店(から好し取扱店) | ガスト店舗検索”. すかいらーくグループ. 2022年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月8日閲覧。 “愛知県名古屋市熱田区一番1丁目21-18”
  227. ^ a b オール讀物 1989, p. 272.
  228. ^ 加藤幸雄 2003, pp. 119–120.
  229. ^ a b 加藤幸雄 2003, p. 120.
  230. ^ 鮎川潤 1997, p. 119.
  231. ^ 加藤幸雄 2003, pp. 120–121.
  232. ^ a b c 『朝日新聞』1989年1月31日名古屋朝刊第12版企画・解説面4頁「アベック殺人の検察側論告要旨」(朝日新聞名古屋本社)
  233. ^ 加藤幸雄 2003, p. 121.
  234. ^ a b c d e f 判例時報 1997, p. 53.
  235. ^ オール讀物 1989, pp. 274–275.
  236. ^ ゼンリン中村区 1988, 23頁A-1.
  237. ^ ゼンリン中村区 2021, 14頁A-1.
  238. ^ かつや 名古屋本陣通店 | 【公式】店舗情報”. かつや 公式ウェブサイト. アークランドサービスホールディングス株式会社. 2022年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月20日閲覧。
  239. ^ 第1章 防災上注意すべき自然的条件 > 第 1 節 山崩れ・がけ崩れ注意箇所 > 第 2 項 崩壊土砂流出危険地区」『三重県地域防災計画添付資料【第2部 災害予防編】』(PDF)三重県防災会議(三重県防災対策部防災企画・地域支援課)、 日本:三重県津市、98頁https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/001007675.pdf#page=1142022年12月22日閲覧。"上阿波奥那須ケ原"。 
  240. ^ a b 位置図 1:50000” (PDF). 三重県 (2020年). 2022年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月9日閲覧。 “工事箇所 第上ー1号工事(奥那須ヶ原)” - 「「みえ森と緑の県民税」を活用した県で取り組む事業」 > 令和2年度災害に強い森林づくり推進事業実施箇所一覧表 ①災害緩衝林整備事業 > 「伊賀市 上阿波 奥那須ヶ原」を参照。
  241. ^ 第4 資料編 > 2 令和2年度みえ森と緑の県民税基金事業の内容 > 2-1 県営事業」『みえ森と緑の県民税 令和2年度事業成果報告書 森林づくりを県民みんなの力で』(PDF)三重県、 日本:三重県津市、2022年1月、31頁https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/001002985.pdf#page=332022年12月22日閲覧。"奥那須ヶ原"。 
  242. ^ a b c 『中日新聞』1988年2月27日夕刊E版第一社会面13頁「アベックら致 「無事でいて」祈りむなしく 不明5日、最悪の結末 『むごい 犯人憎い』 悲報に泣き崩れる家族」「女性の目前で絞殺」「【上野】頭部やや露出し折り重なるよう 埋められた2人の遺体」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号1007頁。
  243. ^ a b c 『中日新聞』1988年2月28日朝刊第12版第二社会面26頁「二遺体 殴打の跡生々しく 『ひどい』息のむ鑑識課員」「泣き崩れる母 悔しさ胸に無言の父 悲しみの対面」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号1034頁。
  244. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 289.
  245. ^ a b 『毎日新聞』1988年2月27日中部夕刊第4版第一社会面11頁「アベック襲撃殺人 狂気の若者 残虐の限り 女性の前で恋人をめった打ちのあげく」「2人の遺体 人里離れた山中に」「識者ら 襲うことが目的では… 病める現代の縮図だ」「逮捕会見 捜査陣、“異常事件”に気づかい」(毎日新聞中部本社)
  246. ^ 『朝日新聞』1988年2月28日名古屋朝刊第14版第一社会面21頁「キバむいた「非行の群れ」 組関係者にも逮捕状 ばれるの怖くて 少年ら自供」「無残、下着一枚で 泣き崩れる両親」(朝日新聞名古屋本社)
  247. ^ a b c d e f g h オール讀物 1989, p. 277.
  248. ^ オール讀物 1989, pp. 277–278.
  249. ^ a b c d オール讀物 1989, p. 278.
  250. ^ a b 『中日新聞』1988年3月1日朝刊第12版第二社会面22頁「アベック襲撃少年らが自供 「もう私を殺して」 衰弱しYさん訴える」「噴水族らにシンナー 密売組員4人を逮捕 3ヵ月で500人以上」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)3月号22頁。
  251. ^ a b c d e f g h オール讀物 1989, p. 279.
  252. ^ a b 『朝日新聞』1988年2月25日名古屋夕刊第4版第一社会面11頁「アベック不明 同一犯の先、濃く 名港襲撃 主犯格、白セーター」(朝日新聞名古屋本社)
  253. ^ a b c d 『朝日新聞』1988年2月27日名古屋朝刊第14版第一総合面1頁「大高緑地公園の男女不明 少年ら数人取り調べ 車を押収」(朝日新聞名古屋本社)
  254. ^ 『朝日新聞』1988年2月26日名古屋朝刊第14版第一社会面23頁「アベック不明 名港襲撃と同一犯 塗膜片から車種絞る」(朝日新聞名古屋本社)
  255. ^ 『中日新聞』1988年2月27日長官第12版第一社会面27頁「アベックら致事件 犯人の車を発見」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)2月号993頁。
  256. ^ 『中日新聞』1988年3月2日朝刊第13版第一社会面31頁「アベック襲撃殺害事件 全容を自供 殺害決意はら致直後 夜が明け発覚恐れ」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)3月号65頁。
  257. ^ 『朝日新聞』1988年3月2日名古屋朝刊第14版第一社会面23頁「アベック殺人全容わかる 逃亡寸前だった 身支度最中に踏み込む」(朝日新聞名古屋本社)
  258. ^ 間島英之 1988, p. 155.
  259. ^ 三原憲三 2010, p. 631.
  260. ^ 小笠原和彦 1989, p. 35.
  261. ^ a b c 『毎日新聞』2009年2月21日東京朝刊社会面30頁「正義のかたち:死刑・日米家族の選択/7止 塀の中生活21年の元少年【武本光政】」(毎日新聞東京本社
  262. ^ a b c d 真神博 1990, p. 364.
  263. ^ a b c 『毎日新聞』2010年3月16日中部朝刊総合面27頁「明日への伝言:昭和のあの日から 1988(昭和63)年 名古屋アベック殺人事件 弁護士に届いた償いの手紙 人間は変わることができる【永海俊】」(毎日新聞中部本社)
  264. ^ 『朝日新聞』1989年6月28日東京夕刊第一社会面19頁「残虐な暴走に極刑 宣告に少年「えっ」 名古屋のアベック殺人判決」(朝日新聞東京本社)
  265. ^ 『中日新聞』1989年6月28日夕刊E版第一社会面13頁「イガグリ頭に極刑の断 アベック殺人判決」「宣告 主犯おさな顔そう白 残虐指弾 少女らも髪震え」「遺族 『全員死刑に』 6被告見すえ怒り」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)1月号1193頁。
  266. ^ 中尾幸司 2004, p. 301.
  267. ^ a b 佐藤大介 2021, p. 145.
  268. ^ a b c d 佐藤大介 2021, p. 146.
  269. ^ a b c d e f g h 『毎日新聞』1989年6月28日中部夕刊第4版第一社会面9頁「アベック殺人主犯少年死刑 「極刑」に表情変えず 遺族と視線さけ 被告ら必死に耳すます」「それでも無念さ癒えぬ ○○(被害者Bの父親)さん「娘の最期、聞けなかった」」「自問、反省する少年たち」(毎日新聞中部本社)
  270. ^ 鮎川潤 1992, p. 84.
  271. ^ a b c d e f g 中尾幸司 2004, p. 302.
  272. ^ a b c d 真神博 1990, p. 378.
  273. ^ 『朝日新聞』1989年1月31日名古屋朝刊第14版第一社会面21頁「アベック殺人に求刑の声厳しく… 余りに残忍「人間性なし」 「少年でも何の情状にも値せず」 全員死刑に…法廷で涙 許せないと両親悲痛」「検察 検討重ね異例の決断」(朝日新聞名古屋本社)
  274. ^ 『朝日新聞』1988年4月14日名古屋夕刊第4版第一社会面9頁「アベック殺し少年ら逆送致 刑事処分相当と名家裁」(朝日新聞名古屋本社)
  275. ^ 『朝日新聞』1988年4月23日名古屋朝刊第14版第二社会面22頁「大高緑地公園アベック殺人 少年ら5人起訴」(朝日新聞名古屋本社)
  276. ^ 『毎日新聞』1988年4月23日中部朝刊第14版第一社会面19頁「アベック殺人 少年ら5人起訴」(毎日新聞中部本社)
  277. ^ 『毎日新聞』1988年7月18日中部夕刊第4版第一社会面7頁「シンナー族のアベック殺人 名地裁初公判 残虐な犯行状況再現 少年少女は犯行認める B被告は一部を否認」「遺族「八つ裂きにしたい」 犯人への憎しみ新た」(毎日新聞中部本社)
  278. ^ a b c 産経新聞』1989年6月28日東京夕刊11頁「アベック殺人で名古屋地裁 少年(犯行当時)に死刑判決 「犯行は執ようで残虐」」「なぜ殺した?に「冗談で」 理解を超えた6被告の言葉」(産経新聞東京本社
  279. ^ 司法研修所 2012, p. 108.
  280. ^ a b c d e 司法研修所 2012, p. 115.
  281. ^ 司法研修所 2012, pp. 115–116.
  282. ^ a b 司法研修所 2012, pp. 248–249.
  283. ^ a b c 司法研修所 2012, p. 116.
  284. ^ 司法研修所 2012, pp. 212–213.
  285. ^ 司法研修所 2012, pp. 252–253.
  286. ^ 司法研修所 2012, pp. 254–255.
  287. ^ a b c 司法研修所 2012, p. 118.
  288. ^ 司法研修所 2012, pp. 240–241.
  289. ^ 司法研修所 2012, pp. 116–118.
  290. ^ 司法研修所 2012, pp. 204–205.
  291. ^ 司法研修所 2012, pp. 118–119.
  292. ^ 司法研修所 2012, pp. 216–217.
  293. ^ a b c 司法研修所 2012, p. 120.
  294. ^ 司法研修所 2012, pp. 266–267.
  295. ^ 司法研修所 2012, pp. 272–273.
  296. ^ 司法研修所 2012, pp. 119–120.
  297. ^ 三春町ひき逃げ殺人事件の控訴審判決 - 仙台高等裁判所第1刑事部判決 2023年(令和5年)2月16日 、令和3年(う)第97号、『窃盗、道路交通法違反、殺人』。
    • 判決主文:原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する。原審における未決勾留日数中250日をその刑に算入する。
    • 裁判官:深沢茂之(裁判長)・梶直穂・鏡味薫
  298. ^ a b 日弁連 2011, p. 146.
  299. ^ a b c d e 『中日新聞』1989年1月29日朝刊第12版第一社会面27頁「大高緑地のアベック殺人 主犯少年に極刑求刑へ 名地検」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)1月号1231頁。
  300. ^ a b 最高裁 1983, p. 689.
  301. ^ a b 『中日新聞』1989年6月28日夕刊E版市民版12頁「少年死刑 根強い慎重論 過去20年で確定4件 『犯罪の背景に未熟さ』」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)6月号1192頁。
  302. ^ a b c d 永田憲史 2010, p. 88.
  303. ^ 永田憲史 2010, p. 243.
  304. ^ 永田憲史 2010, pp. 90–91.
  305. ^ a b 永田憲史 2010, p. 91.
  306. ^ 永田憲史 2010, pp. 91–92.
  307. ^ a b 永田憲史 2010, p. 92.
  308. ^ 宮坂果麻理 2002, p. 113.
  309. ^ a b c 田中彰 1989, p. 19.
  310. ^ 産経新聞』2001年7月10日大阪朝刊総合一面1頁「連続リンチ殺人 当時少年1人に死刑 2被告は「追従」、無期 名古屋地裁判決」「<視点>死刑と無期分かりにくい線引き(社会部 皆川豪志)」(産経新聞大阪本社
  311. ^ a b 『産経新聞』2001年7月10日東京朝刊総合一面1頁「【視点】連続リンチ殺人 少年法か永山判決か 揺れる司法判断(皆川豪志)」(産経新聞東京本社)
  312. ^ a b 判例タイムズ 1990, p. 276.
  313. ^ 日本経済新聞』1988年7月19日名古屋朝刊社会面21頁「未成年の5人は起訴事実認める アベック殺人初公判」(日本経済新聞名古屋支社
  314. ^ 『中日新聞』1988年7月18日夕刊E版市民版8頁「検察側冒陳 被害者の叫び凝縮 兄ちゃんと一緒に埋めて」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)7月号760頁。
  315. ^ a b 週刊文春 1990, p. 41.
  316. ^ a b c 週刊新潮 1989, p. 143.
  317. ^ 佐藤大介 2021, p. 142.
  318. ^ 週刊文春 1990, pp. 41–42.
  319. ^ a b c d 多田元 1999, p. 31.
  320. ^ 『朝日新聞』1989年6月24日東京朝刊解説面4頁「19歳への死刑 名古屋の「アベック殺人」28日に判決」(朝日新聞東京本社 田中彰)
  321. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『中日新聞』1989年1月31日朝刊第12版第二社会面26頁「アベック殺人 論告要旨」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)1月号1304頁。
  322. ^ 『毎日新聞』1989年1月31日中部朝刊第14版一面1頁「アベック殺人 主犯少年に死刑求刑 名地検 共犯2被告は「無期」」(毎日新聞中部本社)
  323. ^ 真神博 1990, p. 381.
  324. ^ 『読売新聞』1989年1月31日中部朝刊第14版第一社会面23頁「アベック惨殺「極刑」求刑 でも…遺族の心情晴れず 論告中、居眠りの被告も 「生きていれば成人式」」(読売新聞中部本社)
  325. ^ 判例時報 1990, p. 38.
  326. ^ 判例時報 1990, pp. 43–44.
  327. ^ 判例タイムズ 1990, pp. 273–274.
  328. ^ 判例タイムズ 1990, pp. 274–275.
  329. ^ 判例時報 1990, pp. 37–38.
  330. ^ 週刊読売 1989, p. 24.
  331. ^ a b 『読売新聞』1990年7月20日東京朝刊一面1頁「女子高生監禁殺人 主犯格に懲役17年 他3少年にも実刑/東京地裁判決」(読売新聞東京本社)
  332. ^ 週刊新潮 1997, p. 183.
  333. ^ 週刊新潮 1997.
  334. ^ 『読売新聞』1991年7月12日東京夕刊一面1頁「コンクリ詰め殺人の主犯格に懲役20年 犯情悪質と一審破棄/東京高裁」(読売新聞東京本社)
  335. ^ 鮎川潤 1993, p. 164.
  336. ^ 『毎日新聞』1990年6月26日東京夕刊社会面11頁「リーダー格、最終陳述 コンクリ詰め殺人事件結審--東京地裁」(毎日新聞東京本社)
  337. ^ 週刊文春 1990, p. 40.
  338. ^ 『読売新聞』1990年7月20日東京朝刊二面2頁「女高生コンクリート詰め殺人事件 中間的な判断示す/東京地裁判決」(読売新聞東京本社)
  339. ^ 『読売新聞』1991年7月12日東京夕刊第一社会面15頁「女高生コンクリ詰め殺人 世論考慮の厳刑 視線落とす4被告/東京高裁」(読売新聞東京本社)
  340. ^ 週刊文春 1990, p. 42.
  341. ^ 非行問題研究 1991, p. 9.
  342. ^ 『朝日新聞』1989年6月28日名古屋夕刊第4版第一総合面1頁「名古屋のアベック殺人 主犯の少年(当時)に死刑 名地裁判決 「執ようで冷酷」 「極刑」10年ぶり 永山被告以来 他の5人は懲役刑」(朝日新聞名古屋本社)
  343. ^ 福島章 1991, p. 112.
  344. ^ 『毎日新聞』2017年11月22日大阪朝刊高知地方版25頁「憲法ルネサンス:死刑廃止運動 大切に思われることに感謝 被害者に心から謝罪するよう支援」(毎日新聞大阪本社・高知支局)
  345. ^ a b c 高田章子 2012, p. 47.
  346. ^ 高田章子 2012, pp. 45–46.
  347. ^ a b 佐藤大介 2021, p. 147.
  348. ^ a b 佐藤大介 2009, p. 70.
  349. ^ 佐藤大介 2009, p. 71.
  350. ^ 『朝日新聞』1990年9月6日名古屋夕刊第二社会面12頁「アベック殺人、12日から控訴審(ニュース三面鏡)【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  351. ^ a b c d e 『朝日新聞』1990年9月12日名古屋夕刊第二社会面6頁「「死刑重すぎ不当」初公判で弁護側 アベック殺人控訴審【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  352. ^ a b 『中日新聞』1991年4月19日朝刊県内版18頁「【愛知県】大高緑地アベック殺人で研究誌発刊 東海非行問題研究会」(中日新聞社)
  353. ^ 非行問題研究 1991, p. 7.
  354. ^ a b 判例時報 1997, p. 40.
  355. ^ 多田元 1999, p. 30.
  356. ^ 『朝日新聞』1989年11月16日名古屋夕刊第一社会面11頁「アベック殺人控訴審、90年3月に初公判 名高裁が決定 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  357. ^ 真神博 1990, p. 362.
  358. ^ a b c d 『中日新聞』1990年11月6日朝刊第二社会面30頁「B被告の一部無罪主張 アベック殺人控訴審」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1990年(平成2年)11月号254頁。
  359. ^ a b 『朝日新聞』1990年11月6日名古屋朝刊第二社会面22頁「「死刑当然」と検察が反論 アベック殺人控訴審 名高裁【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  360. ^ a b c d e f g 多田元 & 新倉修 1993, p. 97.
  361. ^ a b 『朝日新聞』1991年1月29日名古屋朝刊第一社会面23頁「主犯被告が「生きて罪償う」 名古屋のアベック殺人控訴審【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  362. ^ 『朝日新聞』1991年10月8日名古屋朝刊第二社会面26頁「共犯4人を証人に 弁護側、控訴審で意見書 アベック殺人【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  363. ^ 『読売新聞』1991年10月24日中部朝刊第二社会面26頁「アベック殺人 裁判官忌避却下で弁護団が異議申し立て/名古屋高裁控訴審」(読売新聞中部本社
  364. ^ 『朝日新聞』1991年10月26日名古屋朝刊第一社会面31頁「裁判官忌避却下の異議申し立て棄却 アベック殺人で名高裁【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  365. ^ 『日本経済新聞』1991年10月26日名古屋朝刊社会面21頁「アベック殺人で名高裁、異議申し立て棄却」(日本経済新聞名古屋支社)
  366. ^ 『日本経済新聞』1991年10月22日名古屋朝刊社会面21頁「アベック殺人控訴審公判、主犯格の情状鑑定行わず――実質審理なく判決へ」(日本経済新聞名古屋支社)
  367. ^ 『日本経済新聞』1992年1月10日名古屋朝刊社会面21頁「名高裁で公判中、「アベック殺人」の被告――弁護団全員を解任」(日本経済新聞名古屋支社)
  368. ^ 『朝日新聞』1992年1月22日名古屋朝刊第二社会面20頁「死刑判決の被告が新たな弁護人選任 アベック殺人事件【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  369. ^ 基準無視、極刑相次ぐか  「避けられぬ国民的議論」」『47NEWS』(共同通信社)、2009年3月13日。オリジナルの2009年3月27日時点におけるアーカイブ。
  370. ^ 加藤幸雄 2003, p. 186.
  371. ^ 加藤幸雄 2003, p. 112.
  372. ^ 加藤幸雄 2003, p. 125.
  373. ^ 加藤幸雄 2003, pp. 112–113.
  374. ^ a b c d 『朝日新聞』1995年1月5日名古屋夕刊第二社会面8頁「被告、弁護団を解任 88年の緑区「アベック殺人」 【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
  375. ^ a b 内河惠一 & 雑賀正浩 2004, p. 76.
  376. ^ 加藤幸雄 2003, pp. 124–125.
  377. ^ 加藤幸雄 2003, pp. 125–126.
  378. ^ a b FRIDAY 1995, p. 56.
  379. ^ a b FRIDAY 1995, p. 57.
  380. ^ 加藤幸雄 2003, p. 123.
  381. ^ 『中日新聞』2022年8月30日朝刊市民版14頁「反骨の弁護士が見た戦後 ひまわりと羊 第五部 罪と罰 5 「生きて償う」意味問う」(中日新聞社 連載担当記者:吉光慶太)
  382. ^ a b c 『日本経済新聞』1996年9月28日名古屋朝刊社会面21頁「アベック殺人控訴審が結審 名古屋高裁」(日本経済新聞名古屋支社)
  383. ^ a b c 『中日新聞』1996年12月16日夕刊E版第一社会面13頁「アベック殺人控訴審減軽判決 「2人は帰って来ない」 遺族いえぬ心の傷 事件から9年近く「長い…』」「主文言い渡し 被告、落ち着かず」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1996年(平成8年)12月号705頁。
  384. ^ 宮坂果麻理 2002, pp. 113–116.
  385. ^ 判例時報 1997, pp. 51–52.
  386. ^ a b c d 判例時報 1997, p. 52.
  387. ^ a b c 判例時報 1997, pp. 52–53.
  388. ^ a b c 佐藤大介 2021, p. 159.
  389. ^ 年報・死刑廃止 1996, p. 316.
  390. ^ a b 年報・死刑廃止 1996, p. 310.
  391. ^ 年報・死刑廃止 1996, p. 313.
  392. ^ 年報・死刑廃止 1996, p. 311.
  393. ^ 年報・死刑廃止 1996, p. 314.
  394. ^ 年報・死刑廃止 2022, p. 223.
  395. ^ 年報・死刑廃止 2022, p. 225.
  396. ^ a b 佐藤大介 2009, p. 74.
  397. ^ a b c 『中日新聞』2022年8月31日朝刊市民版14頁「反骨の弁護士が見た戦後 ひまわりと羊 第五部 罪と罰 6 少年事件 厳罰化に疑問」(中日新聞社 連載担当記者:吉光慶太)
  398. ^ a b 三原憲三 2010, p. 654.
  399. ^ 『朝日新聞』1997年1月29日東京朝刊第12版主張・解説面4頁「コラム 私の見方 死刑で少年犯罪は減るか 久保田正(社会部)」(朝日新聞東京本社) - 『朝日新聞』縮刷版 1997年(平成9年)1月号1328頁。
  400. ^ 『読売新聞』1994年4月5日東京朝刊第14版第一社会面27頁「市川の一家4人殺し 当時19歳少年に死刑求刑 酌量の余地ない/千葉地裁」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1994年(平成6年)4月号217頁。
  401. ^ 『読売新聞』1994年8月8日東京夕刊第4版一面1頁「犯行時19歳少年に死刑判決 市川の一家4人殺害 未成年、5年ぶり/千葉地裁」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1994年(平成6年)8月号333頁。
  402. ^ 『朝日新聞』1996年12月16日名古屋夕刊第4版第二社会面8頁「解説 少年保護の理念重視 「成人並み」に歯止め」「判決理由の要旨」(朝日新聞名古屋本社)
  403. ^ 『読売新聞』2001年7月10日東京朝刊解説面15頁「(解説)4人リンチ死事件で元少年3被告に「死刑」「無期」判決(中部本社社会部・三戸慶太)」(読売新聞東京本社)
  404. ^ a b 千葉日報』2017年12月20日朝刊一面1頁「市川一家4人殺害 元少年の死刑執行 永山元死刑囚以来20年ぶり 再審請求中、群馬3人殺害も」(千葉日報社)
  405. ^ 『産経新聞』1996年12月27日東京朝刊第一社会面「名古屋高検 上告を断念 アベック殺人事件」(産経新聞東京本社)
  406. ^ a b 『中日新聞』1996年12月17日朝刊第12版第一社会面29頁「アベック殺人控訴審判決 命の重み 法廷に交錯 言葉失う遺族 被告はホッと」「死刑廃止の団体は評価」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1996年(平成8年)12月号737ページ。
  407. ^ 『日本経済新聞』1996年12月27日名古屋朝刊社会面21頁「名古屋のアベック殺人、検察が上告断念――主犯格の被告、無期確定へ」(日本経済新聞名古屋支社)
  408. ^ a b 読売新聞社会部 2006, pp. 31–32.
  409. ^ 読売新聞社会部 2006, p. 31.
  410. ^ a b c d e 『読売新聞』2005年5月3日東京朝刊第14版第二社会面30頁「検察官 第1部 被害者を前に 7 国民は無期では納得していない 「死刑求刑」異例の連続上告」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 2005年(平成17年)5月号114頁。
  411. ^ 石塚伸一 2008, p. 90.
  412. ^ 石塚伸一 (2010年7月5日). “【市民の司法を考える】 殺人狂時代の終焉~裁判員と死刑~(その1)”. WEB市民の司法. 法学館憲法研究所事務局. 2023年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月1日閲覧。
  413. ^ a b 『産経新聞』2006年6月29日東京朝刊オピニオン面「【正論】白鴎大学法科大学院教授・土本武司 画期的意義もつ光市母子殺害判決 厳罰化の量刑傾向を決定づける 《量刑不当での上告は異例》」(産経新聞東京本社)
  414. ^ 読売新聞社会部 2006, p. 32.
  415. ^ 読売新聞社会部 2006, pp. 32–33.
  416. ^ a b c d 『読売新聞』2005年5月19日東京朝刊第14版総合面3頁「スキャナー 「死刑」拡大の流れ? 被害者1人でも高裁“逆転”判決 「被害者感情・社会の関心反映」と専門家」(読売新聞東京本社 社会部:田中史生) - 『読売新聞』縮刷版 2005年(平成17年)5月号877頁。
  417. ^ 本庄武 2004, p. 51.
  418. ^ 平川宗信 et al. 1998, p. 61.
  419. ^ 山口新聞』2000年3月23日朝刊一面1頁「光市の母子殺害 19歳少年に無期懲役 山口地裁判決 「残忍だが更生可能」」「司法に裏切られた 遺族の本村洋さんの話」「首相「被害者への救済このままでいいか」」(みなと山口合同新聞社
  420. ^ 『読売新聞』2000年3月22日東京夕刊第一社会面19頁「光市の母子殺人 19歳少年に無期判決 「冷酷、残忍だが反省」/山口地裁」(読売新聞東京本社)
  421. ^ 『読売新聞』2002年3月15日東京朝刊第一社会面39頁「山口の母子殺人事件、二審も無期判決 「更生、ないとは言い難い」/広島高裁」(読売新聞東京本社)
  422. ^ 山口母子殺害、元少年の無期判決破棄 死刑の公算大」『asahi.com』朝日新聞社、2006年6月20日。2006年6月22日閲覧。オリジナルの2006年6月22日時点におけるアーカイブ。
  423. ^ 最高裁第三小法廷 2006, pp. 3–4.
  424. ^ 最高裁第三小法廷 2006, p. 4.
  425. ^ 最高裁第三小法廷 2006, pp. 4–5.
  426. ^ 最高裁第三小法廷 2006, p. 6.
  427. ^ 光市母子殺害事件の経過」『中国新聞』中国新聞社、2019年11月7日。2022年10月10日閲覧。オリジナルの2022年10月10日時点におけるアーカイブ。
  428. ^ a b 光市母子殺害事件、元少年の死刑確定へ 最高裁が上告棄却」『MSN産経ニュース産経デジタル、2012年2月20日。2012年2月20日閲覧。オリジナルの2012年2月21日時点におけるアーカイブ。 - 光市母子殺害事件の第二次上告審判決を伝える記事。画像2枚目(参照)には「永山判決」(1983年7月)以降、死刑が求刑された少年事件に対する判断の一覧が掲載されている。
  429. ^ 山口新聞』2012年3月16日朝刊1面1頁「光母子殺害 元少年の死刑確定 最高裁が申し立て棄却」(みなと山口合同新聞社
  430. ^ 『日本経済新聞』2012年2月21日東京朝刊第14版社会面35頁「光市母子殺害 最高裁判決 死刑 薄まる年齢配慮 更生見極め難しく 裁判官1人が反対意見」「死刑悩み続けた13年間 本村さん「うれしい感情はない」」「被告、命日に献花・祈り 過去には遺族中傷」(日本経済新聞東京本社)
  431. ^ a b 『中日新聞』2016年6月17日朝刊第12版三面3頁「核心 石巻殺傷、死刑確定へ 悪質性 少年でも重視 更生見極め、裁判員判断困難」(中日新聞社 東京社会部・清水祐樹) - 『中日新聞』縮刷版 2016年(平成28年)6月号697頁。石巻3人殺傷事件(2010年発生)の関連記事。
  432. ^ 永田憲史 2010, p. 132.
  433. ^ 『読売新聞』2008年4月23日東京朝刊三面3頁「[スキャナー]光母子殺害差し戻し審判決 被害感情を重視、少年事件厳罰化へ」(読売新聞東京本社)
  434. ^ 『産経新聞』2007年7月10日東京朝刊オピニオン面「【正論】白鴎大学法科大学院教授・土本武司 差し戻し審が審理すべき「範囲」 母子殺害事件は量刑のみを審理せよ 厳罰化の量刑傾向を決定づける 《異例の「量刑不当」上告》」(産経新聞東京本社)
  435. ^ 『読売新聞』2006年6月21日東京朝刊解説面13頁「山口の母子殺害で最高裁「死刑回避は不当」 「永山基準」踏み出す(解説)」(読売新聞東京本社)
  436. ^ 諏訪雅顕 2007, p. 146.
  437. ^ 諏訪雅顕 2007, p. 151.
  438. ^ 『中日新聞』2011年3月11日朝刊第12版一面1頁「連続リンチ殺人 元少年3人 死刑確定へ 最高裁が上告棄却 「結果重大 やむなし」」「解説 刑罰と少年法理念 判断の基準示せ」(中日新聞社 解説は東京本社社会部・小嶋麻友美) - 『中日新聞』縮刷版 2011年(平成23年)3月号487頁。大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(1994年発生)の関連記事。
  439. ^ 中尾幸司 2004, p. 307.
  440. ^ 中尾幸司 2004, pp. 307–308.
  441. ^ a b 『朝日新聞』1996年12月16日名古屋夕刊第4版第一社会面9頁「アベック殺人控訴審判決 「命の重さ」見つめ9年 元少年「罪償いたい」 深くためいき、頭下げる」「遺族「何を言っても」」「苦渋の選択評価/矯正の可能性にかけた」(朝日新聞名古屋本社)
  442. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 308.
  443. ^ a b 佐藤大介 2021, p. 154.
  444. ^ a b c 中尾幸司 2004, p. 306.
  445. ^ 週刊新潮 1997, p. 184.
  446. ^ 中尾幸司 2004, pp. 306–307.
  447. ^ a b c d 西日本新聞』2009年7月6日朝刊第一社会面25頁「裁きのあと 刑罰を考える 1 矯正 命日に遺族へ謝罪文 生きて償う意味知る」(西日本新聞社
  448. ^ 光市裁判弁護団 2007, p. 96.
  449. ^ 井上薫 2009, p. 175.
  450. ^ (損害賠償との関係)第八条”. E-Gov法令検索. 犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律. デジタル庁 (1980年5月1日). 2022年11月30日閲覧。 “犯罪被害を原因として犯罪被害者又はその遺族が損害賠償を受けたときは、その価額の限度において、犯罪被害者等給付金を支給しない。”
  451. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 303.
  452. ^ 中尾幸司 2004, pp. 302–303.
  453. ^ 中尾幸司 2004, pp. 305–306.
  454. ^ 中尾幸司 2004, pp. 303–304.
  455. ^ a b 佐藤大介 2021, p. 153.
  456. ^ a b c d e f g h i 中尾幸司 2004, p. 304.
  457. ^ a b c 中尾幸司 2004, p. 313.
  458. ^ 中尾幸司 2004, pp. 304–305.
  459. ^ a b c d e f g 中尾幸司 2004, p. 305.
  460. ^ 高田章子 2012, p. 46.
  461. ^ a b c d 佐藤大介 2016, p. 250.
  462. ^ 佐藤大介 2016, p. 248.
  463. ^ a b 「たった数か月の違いで死刑になる」事件当時“少年法”に守られた少年無期懲役囚たち 塀の中で語る“贖罪”【報道特集】」『報道特集TBSテレビ、2022年8月6日、3面。2022年12月1日閲覧。オリジナルの2022年12月1日時点におけるアーカイブ。
  464. ^ a b 佐藤大介 2021, p. 157.
  465. ^ a b c d 中尾幸司 2004, p. 311.
  466. ^ 佐藤大介 2016, p. 255.
  467. ^ a b 佐藤大介 2021, p. 164.
  468. ^ 佐藤大介 2016, pp. 252–253.
  469. ^ 佐藤大介 2016, pp. 254–255.
  470. ^ a b 佐藤大介 2016, p. 254.
  471. ^ a b 佐藤大介 2016, p. 249.
  472. ^ a b 佐藤大介 2016, p. 253.
  473. ^ 佐藤大介 2016, pp. 252–254.
  474. ^ a b 『朝日新聞』2002年1月8日名古屋夕刊第一総合面1頁「無期懲役刑、悪質事件は長期服役 98年から検察指定【名古屋】」「<解説>仮釈放の趣旨と矛盾も(古知朋子)」(朝日新聞名古屋本社)
  475. ^ 凶悪無期懲役:検察が仮釈放に慎重審理求める 指定事件で」『毎日新聞』毎日新聞社、2009年10月18日。オリジナルの2009年10月19日時点におけるアーカイブ。 - 同日付の東京朝刊政治面1頁に「凶悪無期事件:仮釈放「慎重審理を」 検察マル特指定、10年で380人」として掲載された記事。
  476. ^ 佐藤大介 2021, p. 158.
  477. ^ 佐藤大介 2009, p. 73.
  478. ^ 高田章子 2012, pp. 46–47.
  479. ^ 作業報奨金に関する訓令の運用について(依命通達)〔平成18年5月23日法務省矯成第3344号 矯正局長依命通達 矯正管区長、行刑施設の長 宛て〕”. 法務省 (2006年5月23日). 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  480. ^ 佐藤大介 2021, pp. 156–157.
  481. ^ 佐藤大介 2009, p. 72.
  482. ^ 岡﨑正尚 2011, p. 385.
  483. ^ 岡﨑正尚 2011, pp. 383–385.
  484. ^ 北方農夫也 2007, p. 48.
  485. ^ a b 中国新聞』2007年5月25日朝刊第17版第一社会面33頁「光母子殺害差し戻し審 被告5年ぶり姿 遺族と目合わさず 弁護団「母恋しさ原因」」「本村さん会見「怒り通り過ぎ失笑」」(中国新聞社
  486. ^ 光市裁判弁護団 2007, p. 90.
  487. ^ a b 年報・死刑廃止 2006, p. 72.
  488. ^ 年報・死刑廃止 2006, p. 91.
  489. ^ 光市裁判弁護団 2007, pp. 172–173.
  490. ^ 北方農夫也 2007, pp. 48–49.
  491. ^ 『読売新聞』2007年7月27日西部朝刊山口県版29頁「光母子殺害差し戻し審 3日間「歯を食いしばった」 本村さん会見=山口」(読売新聞西部本社・山口総局)
  492. ^ 週刊文春 2007, pp. 148–149.
  493. ^ 高田章子 2012, p. 48.
  494. ^ 佐藤大介 2021, p. 156.
  495. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 312.
  496. ^ 中尾幸司 2004, pp. 312–313.
  497. ^ 中尾幸司 2004, pp. 274–275.
  498. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 276.
  499. ^ 中尾幸司 2004, pp. 275–277.
  500. ^ 中尾幸司 2004, p. 309.
  501. ^ 中尾幸司 2004, pp. 308–309.
  502. ^ 中尾幸司 2004, p. 310.
  503. ^ 中尾幸司 2004, p. 321.
  504. ^ a b 中尾幸司 2004, p. 315.
  505. ^ 中尾幸司 2004, p. 316.
  506. ^ 中尾幸司 2004, p. 318.
  507. ^ 中尾幸司 2004, p. 314.
  508. ^ 川名壮志 2022, pp. 68–70.
  509. ^ 川名壮志 2022, pp. 68–69.
  510. ^ 川名壮志 2022, p. 76.
  511. ^ 川名壮志 2022, pp. 70–71.
  512. ^ 兼松左知子, 福島瑞穂 & 若穂井透 1989, p. 186.
  513. ^ a b 川名壮志 2022, pp. 71–72.
  514. ^ 鮎川潤 1992, pp. 24–25.
  515. ^ 週刊文春 1989, pp. 192–193.
  516. ^ 兼松左知子, 福島瑞穂 & 若穂井透 1989, pp. 186–188.
  517. ^ 兼松左知子, 福島瑞穂 & 若穂井透 1989, p. 188.
  518. ^ 加藤幸雄 2003, p. 137.
  519. ^ a b 『中日新聞』1997年8月20日朝刊近郊版「【愛知県】門扉設置を検討 春日井の落合公園 市が園内犯罪防止で」(中日新聞社)
  520. ^ 『朝日新聞』1989年7月6日名古屋夕刊第4版第二社会面10頁「シンナー、共同生活で克服 悩み話し合い薬物依存治す」(朝日新聞名古屋本社)
  521. ^ a b 『中日新聞』1988年5月2日朝刊第12版第二社会面18頁「凶悪事件多発で愛知県警 捜査体制を強化 一個班 異例の増設 現状では手いっぱい」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)5月号54頁。
  522. ^ a b 『中日新聞』2003年3月18日朝刊第12版第一社会面35頁「中川の妊婦殺し 時効」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2003年(平成15年)3月号851頁。
  523. ^ 町田貴美江「第二部 修羅たちは静かに頭を擡げ出す > 切り裂かれた腹部に詰め込んだ「受話器と人形」――名古屋「臨月妊婦」殺人事件」『殺人者はそこにいる 逃げ切れない狂気、非情の13事件』 し-31-3、新潮社〈新潮文庫〉、2002年3月1日、154頁。ISBN 978-4101239132NCID BA55793800国立国会図書館書誌ID:000003067853全国書誌番号:20250782https://www.shinchosha.co.jp/book/123913/  - 名古屋妊婦切り裂き殺人事件を題材としたルポルタージュ。『新潮45』第18巻第10号(通巻:第210号、1999年10月号)に掲載された記事「腹部に残された受話器と人形の謎「名古屋・妊婦殺人事件」」(町田貴美江、114-121頁:NDLJP:3374840/1/58)を改題・加筆した上で収録している。
  524. ^ a b c 『中日新聞』1988年3月3日朝刊市民版18頁「名古屋市営住宅 不正使用は718戸 訴訟含め対策を検討 市議会部会で報告」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)3月号94頁。
  525. ^ 『中日新聞』1988年3月15日夕刊第二社会面8頁「名古屋市が新年度計画 市営住宅の管理強化へ「課」を新設」(中日新聞社)
  526. ^ 鮎川潤 1992, pp. 81–82.
  527. ^ 福島章 1991, p. 114.
  528. ^ 鮎川潤 1992, p. 83.
  529. ^ 三原憲三 2010, p. 630.
  530. ^ a b 本庄武 2004, p. 57.
  531. ^ 日弁連 2004, p. 121.
  532. ^ 日弁連 2004, p. 122.
  533. ^ 日弁連 2004, pp. 121–122.
  534. ^ 『朝日新聞』1989年6月29日東京朝刊社説・声欄5頁「社説 死刑と無期の分かれ目」(朝日新聞東京本社) - 『朝日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)6月号1391頁。
  535. ^ a b 『毎日新聞』1989年6月29日中部朝刊第11版社説・投書面5頁「社説 少年への死刑適用を考える」(毎日新聞東京本社) - 『毎日新聞』縮刷版 1989年(平成元年)6月号1177頁。
  536. ^ 斉藤豊治 1991, p. 142.
  537. ^ 三原憲三 2010, pp. 630–632.
  538. ^ 三原憲三 2010, pp. 650–654.
  539. ^ 鮎川潤 1993, p. 163.
  540. ^ 神田宏 1996, p. 28.
  541. ^ 神田宏 1996, p. 26.
  542. ^ 北芝健 2006, pp. 14–15.
  543. ^ 清水勇男 2007, p. 353.
  544. ^ a b 清水勇男 2007, pp. 352–353.
  545. ^ 清水勇男 2007, pp. 45–46.
  546. ^ 中嶋博行 2004, p. 8.
  547. ^ 中嶋博行 2004, pp. 13–15.
  548. ^ 中嶋博行 2004, pp. 15–16.
  549. ^ 少年司法運営に関する国連最低基準規則” (PDF). 子どもと法21. 子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会 (1985年). 2022年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月20日閲覧。
  550. ^ 前田忠弘 1998, p. 225.
  551. ^ 『中日新聞』1991年11月28日朝刊第二社会面30頁「駐車中取り囲み 現金など奪う 大高緑地で暴走族?」(中日新聞社)
  552. ^ 『中日新聞』1994年10月14日朝刊第一社会面31頁「長良川・木曽川リンチ殺人 若者、歯止めなき暴走 動機不明、命もてあそぶ」(中日新聞社)
  553. ^ 『毎日新聞』1994年10月21日中部朝刊社会面21頁「暴行「その場の雰囲気」 少年ら、仲間外れ恐れ加担?--木曽、長良川のリンチ殺人」(毎日新聞中部本社)
  554. ^ a b 『中日新聞』1994年10月17日朝刊第一社会面27頁「長良・木曽川リンチ殺人 接点は「シンナー」だけ 犯行グループ 名前知らぬ人物も」「疎外された集団 残虐さで一体感 赤塚行雄・中部大女子短大副学長の話」(中日新聞社)
  555. ^ 『中日新聞』1994年10月15日朝刊第一社会面31頁「長良川・木曽川のリンチ殺人 主犯格の少年逮捕 同じ仲間の犯行 逃走中、別の事件も 一宮署に出頭 全面的に容疑認める」「2日続きの凶行 異常さ浮き彫り 心理面含め解明急ぐ」(中日新聞社)
  556. ^ a b c d e f 『中日新聞』1995年7月23日朝刊第一社会面31頁「ニュース前線/ 殺人の“危険水域”一歩手前 知多、西三河のアベック襲撃 犯行エスカレート 少年ら6人 異様な集団心理」(中日新聞社 楠佳久)
  557. ^ 『読売新聞』1989年4月3日東京夕刊第一社会面19頁「女子高生リンチ殺人 歯止めなき少年暴力団 口も出せなかった親」「集団化して過激に 社会評論家・赤塚行雄さんの話」(読売新聞東京本社)
  558. ^ 『読売新聞』1994年12月18日東京朝刊気流面10頁「[メディア時評]犯罪があらわにする社会のゆがみ分析を 赤塚行雄(寄稿)」(読売新聞東京本社)
  559. ^ 鮎川潤 1997, p. 122.
  560. ^ 週刊新潮 1992, p. 146.
  561. ^ 『読売新聞』1994年10月18日中部朝刊第二社会面26頁「長良・木曽川リンチ事件 集団の狂気が犯行加速 引き金は「言いがかり」/岐阜」(読売新聞中部本社)
  562. ^ 加藤幸雄 2003, p. 181.
  563. ^ 『中日新聞』2001年7月10日朝刊第一社会面33頁「連続リンチ殺人判決 識者の見方 「論拠が弱い」「妥当な結論」」(中日新聞社)
  564. ^ a b 田村雅幸 1989, p. 7.
  565. ^ a b 久田将義 2015, p. 21.
  566. ^ 久田将義 2015, pp. 46–47.
  567. ^ 久田将義 2015, pp. 51–52.
  568. ^ 兼松左知子, 福島瑞穂 & 若穂井透 1989, pp. 197–198.
  569. ^ 兼松左知子, 福島瑞穂 & 若穂井透 1989, p. 198.
  570. ^ 間庭充幸 1997, pp. 241–243.
  571. ^ 岸田秀 & 山崎哲 1990, p. 11.
  572. ^ 岸田秀 & 山崎哲 1990, p. 17.
  573. ^ a b c d e 『中日新聞』2022年10月22日朝刊第12版広域第一社会面29頁「名家裁 永久保存 元名大生事件のみ 中学生5000万円恐喝事件は廃棄」(中日新聞社 梶山佑、土屋晴康)

  1. ^ a b c d e f 少年法第51条:罪を犯すとき十八歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。この規定を適用されて無期懲役刑が確定した事例は、1966年から2007年2月までの間で、最高裁が把握している限りではAの事例を含めて3例ある[38]。A以外に同条文が適用された主な判決には、混血少年連続殺人事件広域重要指定106号事件)の犯人(事件当時16歳)に対し千葉地裁松戸支部(浅野豊秀裁判長)が1971年9月9日に宣告した判決[39][40]金沢市夫婦強盗殺人事件の犯人(事件当時17歳)に対し金沢地裁(堀内満裁判長)が2006年12月18日に宣告した判決[41](2007年2月13日付で確定[42])がある[38]
  2. ^ a b c d e f g h 事件当時Kが住んでいた「政和荘」は、名古屋市港区辰巳町11番地26(座標)に所在していた[174](現在の辰巳町11番地26の1)[175]。犯行途中、Kは「政和荘」近くのパーキングに駐車して「政和荘」に戻っているが、その時に駐車したパーキングも港区辰巳町である[73]
  3. ^ 「市営汐止住宅」とする報道もある[116]。同住宅は、現在の市営みなと荘7棟駐車場付近に位置していた[117]
  4. ^ 1983年(昭和58年)10月に家賃滞納問題が発生したとする報道もある[84]
  5. ^ 事件発生時点で約5年間分の家賃が滞納されていた[122]
  6. ^ 10歳代の少年[122]
  7. ^ a b 『週刊文春』 (1988) はKの父親について、Kの同僚が「市バスの運転手」と述べていることを報じている[139]
  8. ^ 「死刑廃止の会」がまとめた死刑事件の被告人一覧(1991年7月10日時点)や、『年報・死刑廃止』の1996年・1997年版、および集刑 (1992) には、犯人Kの実の姓名(イニシャルは「K・S」)が掲載されている[128][129][130][131]。また『高等裁判所刑事裁判速報集』に収録された判決文にも、Kの姓(イニシャル「K」)が掲載されている[132]
  9. ^ その他の仮名表記は、『オール讀物』 (1989) では「富村久仁雄」[133]、『週刊新潮』では「藤原和彦」[134]真神博 (1990) では「島田芳夫」[135][96]、中尾幸司 (2004) では「石田滋」[112]、佐藤大介 (2021) では「中川政和」[136]
  10. ^ ただし、同年9月13日に名古屋家裁で審判不開始となった[54]
  11. ^ 小笠原和彦 (1988) によれば、Kにこの職場を紹介した人物はKの父親の知人である[148]
  12. ^ 中尾 (2004) によれば、侵入した先は友人宅である[150]
  13. ^ その前日(7月20日)付で名古屋家裁により、別件保護中との理由から不処分となっており、処分決定後も継続して勤務することが決まっていた[55]
  14. ^ 、『オール讀物』 (1989) では「古河克彦」[156]、『週刊新潮』では「犬丸公一」[134]、真神博 (1990) では「徳岡伸雄」[96]、中尾幸司 (2004) では「西山照久」[112]
  15. ^ Aの父親は近隣住民によれば暴力団関係者で、息子に対し「将来、ヤクザにでもなれ」と言っていたという[158]。息子Aが事件を起こした当時はトラック運転手として働いていたが、『週刊文春』の取材を受けた際、息子が逮捕されたことを聞いても動ずる様子もなく「勘当したから今は何をしているかまったく知らない」と述べている[139]
  16. ^ 多田はAの父親が酒浸りになる前、家業の不振に加え、彼の娘(Aの妹)が突然死するという不幸に見舞われていたことを述べている[159]
  17. ^ 『オール讀物』 (1989) では「田家哲介」[162]、真神博 (1990) では「高田伸一」[96]
  18. ^ 運輸会社就職後の1987年5月7日付で、名古屋家裁から保護観察処分に付されている[54]
  19. ^ 『オール讀物』 (1989) では「舟橋定弘」[133]、『週刊新潮』では「佐竹安雄」[134]、真神博 (1990) では「伊藤竜一」[96]、中尾幸司 (2004) では「菅原義夫」[163]
  20. ^ この事件については1984年1月19日、名古屋家裁で不処分になっている[56]
  21. ^ 『オール讀物』 (1989) では「倉山スミ子」[156]、『週刊新潮』では「横寺恵美」[134]、真神博 (1990) では「寺田理花」[96]、中尾幸司 (2004) では「寺前恵美」[164]
  22. ^ 『オール讀物』 (1989) では「大林明美」[166]、『週刊新潮』では「筒見英子」[134]、真神博 (1990) では「井上好子」[96]、中尾幸司 (2004) では「井田由紀」[167]
  23. ^ なお、鮎川潤 (1992) は『法廷での態度から判断するとF子〔=E〕は父親に対しては悪い感情は抱いてないようである」と述べている[168]
  24. ^ Cが犯行に用いたグロリア(C車両)は、名古屋市南区の山口組系暴力団組長が1986年11月に購入したものだったことが報じられている[172]
  25. ^ 金城埠頭は当時、夜間は人が少なく、公衆電話も埠頭内に計5か所しかなかった[185]
  26. ^ a b 2022年現在は19時閉門(翌7時開門)となっている[190]
  27. ^ 冒頭陳述によれば、この時にはAもYへの暴行に加わっていた[194]
  28. ^ 中尾幸司 (2004) は冒頭陳述書からの引用として、AはCがYを姦淫している間、その様子を見ながらYの口に自己の陰茎を含ませていた[195]
  29. ^ チェイサーに取り付けてあったもの[59]
  30. ^ この車の運転手は早朝トレーニングのため、大高緑地公園に来ていた[193]。2人はその人物に対し、「車を当てられたんだけど、証人になってもらえますか」と言っていた[59]
  31. ^ 「オートステーション」は、名四バイパス国道23号)沿いの海部郡弥富町中原ろの割(現:弥富市富島2丁目9番地)に所在していた(座標[203]。同所は現在、「出光(株)西日本宇佐美東海支店 2号名四弥富SS」が所在している[204]
  32. ^ KたちがCの上役にどう説明するかを相談していた際、Dは話の途中で「(朝食を)食べたから出る」と言って退店しており、次いでEも「眠いから」との理由で、途中から入店してきたBとともに退店している[206]
  33. ^ Kは第一審でBの公判に出廷した際も、同店における謀議は本気ではなかったことを証言している[205]
  34. ^ 「ホテルロペ39 ロペ39中部観光(有)」は、中村区城屋敷町1丁目15番地に所在しており(座標[214]、2021年時点でも同地で「ホテルロペ39」として営業している[215]
  35. ^ 喫茶店「まいか」[61]。名古屋市熱田区西野町一丁目32番地(座標)に「メゾン西野」があり[218]、同ビル1階に「喫茶まいか」が入居していた[219]
  36. ^ a b Kたちが犯跡隠滅のために利用した洗車場は、「コイン洗車大高」[207](名古屋市緑区大高町字丸ノ内:座標[220]。2022年現在は「(株)ピットストップモーターズ」が所在している[221]
  37. ^ 喫茶店「TOTO」[61]。名古屋市港区入場一丁目312番地に「ハイツ幹」(座標)が所在しており、同ビル1階に「コーヒーTOTO」[222](「喫茶とと」とも)が入居していた[223]
  38. ^ 同地点(熱田区一番1丁目21番18号)には、2022年時点で「ガスト 熱田一番店」がある[225][226]
  39. ^ 名古屋市中村区本陣通6丁目(座標)には1988年当時、「喫茶店ぴーく」があり、その西側には名古屋競輪場駐車場があった[236]。後者の駐車場は2022年現在、かつや名古屋本陣通店(本陣通6丁目35番地の1)に、「喫茶店ぴーく」の所在地は同店の駐車場になっている[237][238]
  40. ^ 判決文では「奥那須原」と表記されているが、三重県公式サイトでは「奥那須原」の表記と[239]、「奥那須原」の表記が混在している[240]。伊賀市上阿波奥那須ケ原地区の位置図:参考[240][241]
  41. ^ 名古屋地裁 (1989) 、名古屋高裁 (1996) の認定より[76][69]。検察官の冒頭陳述書では、KとAが立っていた位置が正反対(KはYの左側、Aは右側)になっている[247]
  42. ^ 冒頭陳述書によればこの際、Yがうつ伏せに倒れ、彼女の脈を診たBも「脈がない」と言ったが、Kは念のため、Xの両手を縛っていた洗濯用ロープで改めてYの首を絞めることにしている[248]
  43. ^ 当時の大高緑地 - 金城埠頭間の道路における主な経路は、国道23号・国道1号を経由するもので[78]、経路の総距離は約15 - 16 kmである[189]
  44. ^ Cは毎週木曜日の夜、実家に電話で近況報告することを習慣としていた[177]
  45. ^ a b 少年鑑別所では、留置された被疑者に附添人をつけることが認められている。通常は弁護士が附添人になるが、願い出れば保護者が附添人になることも可能である[262]
  46. ^ 法律扶助協会は、身寄りや金銭的余裕がない人物に弁護士などを斡旋する機関で、ここからの紹介でついた附添人は一般刑事事件における国選弁護人に相当する[262]
  47. ^ 中学校の英語の教科書[269]
  48. ^ 同日付で、5人は少年鑑別所を退所した[183]
  49. ^ 内訳は、無期懲役の仮釈放中に殺人を再犯した事例(3件)と、少年時代に殺人・死体遺棄・強姦致傷などの前歴を有するほか、住居侵入・準強盗未遂で懲役刑に処され、その刑期満了直後に殺人を犯した事例(1件:「事件一覧表」における整理番号12番)[281]。前者の主な例には、整理番号244番[280]豊中市2人殺害事件[282])がある。
  50. ^ 1件のみ。「事件一覧表」における整理番号:158番[283]富山・長野連続女性誘拐殺人事件[284])。
  51. ^ 全10件。例:「事件一覧表」における整理番号266番[283]本庄保険金殺人事件[285])、274番[283]長崎・佐賀連続保険金殺人事件[286])。
  52. ^ 例:「事件一覧表」における整理番号211番[287]飯塚事件[288])。
  53. ^ 「事件一覧表」における整理番号246番[287]池袋通り魔殺人事件[282])。
  54. ^ 例:「事件一覧表」における整理番号80番[287]市原両親殺害事件[290])。その他の事例には、生きたまま浴槽内に頭部を沈めて殺害した事案(整理番号111番)、知人を自己の加虐的暴力的嗜好の対象とし、数々の虐待を重ねてついに殺害した事案(同245番)がある[291]
  55. ^ その他の事例は、整理番号314番[293]いわき2人射殺事件[294])、同341番[293]秋田児童連続殺害事件[295])など。
  56. ^ 刑集 (1983) より[300]。『中日新聞』の報道では、同年1月の記事で「38件」[299]、同年6月の記事で「40件」(法務省などの調べ)となっている[301]
  57. ^ 後述の28件を上告棄却の年代別に見ると、昭和20年代が12件(前半5件・後半7件)、昭和30年代が11件(前半6件・後半5件)、昭和40年代前半が2件である[302]
  58. ^ 後述の28件のうち、昭和40年代後半、昭和50年代前半の各2件[302]
  59. ^ この9件のうち1件は、後に再審で元死刑囚の無罪が確定した財田川事件(1957年1月22日に最高裁で上告棄却判決)である[303]
  60. ^ 分離公判では、個別に被告人質問が行われた[315]
  61. ^ 当初は同年3月14日に開廷される予定だったが[356]、延期された。
  62. ^ 愛知県弁護士会所属[22]
  63. ^ 加藤は1995年秋、共犯者2人の証人尋問における供述を基に弁護団に対し、「犯罪心理鑑定書」を補充し、共犯者全員の鑑定もしくは証人尋問を求める意見を述べた[380]
  64. ^ 1996年3月末時点で[389]、名古屋拘置所に収監されていた死刑囚は、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝[390]半田保険金殺人事件のIおよびH(旧姓T)[390][391]、日建土木事件の死刑囚N、勝田清孝、先妻家族3人殺害事件の死刑囚Mの計6人がいたが[392]、奥西以外は2012年以前にいずれも死刑を執行されており、奥西も2015年に八王子医療刑務所で病死している。また当時、最高裁上告中の死刑事件被告人が1人(富山・長野連続女性誘拐殺人事件女性死刑囚M)[393]、高裁控訴中の被告人1人がそれぞれ同拘置所に収監されていたが[129]、前者(1998年に死刑確定)は2022年時点でも存命である一方[394]、後者[同年7月2日に名古屋高裁(松本光雄裁判長)で控訴棄却判決、2001年に死刑確定]は死刑確定後の2003年に獄中死している[395]
  65. ^ a b 『朝日新聞』声の欄(1996年12月23日、および26日)にはそれぞれ、被害者の立場や結果の重大性などの観点から、控訴審判決を非難する投書が掲載されている[398]
  66. ^ このSに対する死刑求刑や死刑判決の宣告は、ともに少年事件としては本事件のKが受けて以来、約5年ぶりである[400][401]
  67. ^ これら2判決はいずれも第一審の無期懲役判決を不服とした検察官が控訴して死刑を求めていたが、いずれも棄却されたものである[408]。甲府信金OL誘拐殺人事件の判決理由で、東京高裁は「近年の死刑の適用傾向を見ると、殺害された者が1名の事案については、やや控えめな傾向がうかがえる」として「死刑には、躊躇を覚えざるを得ない」と結論づけていた[409][410]
  68. ^ 殺人事件で第一審判決を宣告された被告人の人数は、1996年が567人だった一方、2004年は795人で、この間の増加割合は約1.4倍である[416]。一方、第一審から上告審までのいずれかの審級で死刑判決を受けた被告人の人数は、1996年は8人だったが、「連続上告」がなされた1997年 - 1998年を境に急増し(1997年は9人、1998年は19人)、2004年は42人(1996年の5倍強)となっている[416]
  69. ^ 犯罪被害者等給付金支給法第8条1項[271]:「犯罪被害を原因として犯罪被害者又はその遺族が損害賠償を受けたときは、その価額の限度において、犯罪被害者等給付金を支給しない。」[450]の規定により、被害者遺族が給付金額を上回る損害賠償を受けた場合、給付金は支給されない[271]
  70. ^ 内訳は逸失利益・死亡慰謝料・近親者慰謝料・葬儀費で、Xの逸失利益は2,326万3,459円、Yの逸失利益は2,618万3,026円[451]。また、両者ともに死亡慰謝料は2,000万円、近親者慰謝料は500万円、葬儀費は100万円である[451]
  71. ^ 岡山刑務所の受刑者数は2015年末時点で585人であり、その約3分の1(約200人)が無期懲役囚である[462]。同刑務所では社会復帰に向けて受刑者を努力させるため、服役態度などによって受刑者を1 - 5類に分類し、区分ごとに面会や手紙の回数、所内での集会の参加回数などを決めているが、「1類」の受刑者は約30人である[31]。Kは2022年時点で19年間、模範囚(規則違反なし)であり[463]、通常は30分程度まで認められている面会時間を60分まで延長されたり、独房内でヘッドフォンを用いてCDの音楽を聴いたり[464]、通常は21時までとなっている消灯時間を22時まで延長して作業を行ったりすることが許可されている[31]
  72. ^ 佐藤大介はKへの取材を通じて文通を重ね、2007年(平成19年)からは知人として面会を続けていた[461]
  73. ^ 無期懲役囚の仮釈放に当たっては、住居や仕事の確保が審査対象となっているため、家族や有事から見放された無期懲役囚にとっては負担が大きく、また収容期間が30年を過ぎると社会復帰への意欲が大きく減退するという調査結果もある[470]。佐藤もある元刑務官の「40歳代以降に無期懲役になった受刑者は仮釈放されず、獄死するケースが多い。無期懲役は実質的に終身刑になっている」という声を取り上げている[470]。2005年(平成17年)から2014年(平成26年)までの間に仮釈放された無期懲役囚は54人である一方、その間に獄死した無期懲役囚はその3倍近くに当たる154人に達している[471]
  74. ^ これは2005年(平成17年)の改正刑法成立により、有期刑の上限が30年になったことに伴う措置である[472]。2014年に仮釈放された無期懲役囚は6人で、平均収容期間は31年4か月である[471]
  75. ^ 『朝日新聞』 (2002) によれば、その運用を指示した1998年6月の通達は「終身か、それに近い期間、服役すべき受刑者がいると考えられる」と明記した上で、指定事件については管轄の地検・高検が最高検と協議した上で、判決確定直後に刑務所側へ「安易に仮釈放を認めるべきではなく、仮釈放申請時は特に慎重に検討してほしい」「(将来)申請する際は、事前に必ず検察官の意見を求めてほしい」と文書で伝えた上で関連資料を保管し、刑務所や地方更生委員会から仮釈放について意見照会があった場合、そのような経緯や保管資料などを踏まえ、地検が意見書を作成するよう指示している[474]
  76. ^ 「作業報奨金」は2006年までは「作業賞与金」と呼ばれていた[479]。これは刑務作業の給与のことで、時給10円から数十円程度である[53]
  77. ^ 彼はこの手紙を書いた2010年当時、一・二審で死刑判決を受けて上告中だった[482]
  78. ^ Fは2007年3月以降、広島拘置所内で1日6時間の労務作業を行い、初めて得た1か月分の報奨金約900円を供養代として、初めてFに妻子を殺害された被害者遺族の男性に送金しているが、Fの関係者はFがそのような行動を取るようになった要因の1つとして、FがKと文通を始めたことを挙げている[485]
  79. ^ 1984年4月25日に横浜地裁川崎支部で宣告された判決[532]
  80. ^ 永山事件の審理で第一審:死刑→控訴審:無期(原判決破棄)→上告審:破棄差戻し→差戻控訴審:死刑(控訴棄却)と量刑が揺れ動いていたことや、日本では死刑存置論が優勢だった一方、西欧先進国では成人を含めて死刑廃止が大勢になっていたことなど[535]
  81. ^ a b 第三章 少年の刑事事件 > 第二節 手続
    第五十条(審理の方針) 少年に対する刑事事件の審理は、第九条の趣旨に従つて、これを行わなければならない。
  82. ^ a b 第二章 少年の保護事件 > 第三節 調査及び審判
    第八条(事件の調査) 家庭裁判所は、第六条第一項の通告又は前条第一項の報告により、審判に付すべき少年があると思料するときは、事件について調査しなければならない。検察官、司法警察員、警察官、都道府県知事又は児童相談所長から家庭裁判所の審判に付すべき少年事件の送致を受けたときも、同様とする。
    2 家庭裁判所は、家庭裁判所調査官に命じて、少年、保護者又は参考人の取調その他の必要な調査を行わせることができる。
    第九条(調査の方針) 前条の調査は、なるべく、少年、保護者又は関係人の行状、経歴、素質、環境等について、医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的智識特に少年鑑別所の鑑別の結果を活用して、これを行うように努めなければならない。
  83. ^ 清水は1964年に検事任官され、1987年に東京地検刑事部副部長から名古屋地検公判部長に転出、1989年に札幌高検刑事部長へ転出するまで同職を務めた[544]。1995年に退職するまでに本事件の公判指揮のほか、千葉大チフス菌事件・ロッキード事件フライデー襲撃事件戸塚ヨットスクール事件あさま山荘事件埼玉愛犬家連続殺人事件など、様々な事件の捜査・公判を担当したが[544]、彼が関与した死刑の論告は本事件のみである[21]
  84. ^ 同規則2.2 (a) で「少年」 (juvenile) とは、「各国の法制度の下で犯罪のゆえに成人とは異なる仕方で扱われることのある児童 (child) もしくは青少年 (young person) 」と定義されている[549]
  85. ^ 同事件では暴力団員6人(20歳代の成人2人と、18歳および19歳の少年計4人)が、強盗や婦女暴行罪で起訴、家裁送致となっている[556]
  86. ^ 犯行動機は主に上納金などの金欲しさで、一夜に3組を襲撃したこともあった[556]。また、女性への乱暴は口封じの狙いもあった[556]
  87. ^ 最高裁は1992年の通達で、特別保存の対象を「全国的に社会の耳目を集めた事件」などと規定した[573]。2019年に東京地裁で重要な憲法解釈を含む訴訟記録の廃棄が判明したことを機に、名古屋家裁は2020年7月、最高裁の呼びかけに応じて運用要領を作成し、「主要日刊紙2紙以上に終局に関する記事が掲載された事件」などといった具体的な基準を策定した[573]
  88. ^ これらの事件のうち、木曽川・長良川連続リンチ殺人事件と西尾ストーカー殺人事件は名古屋地検に逆送致された事件である[573]






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「名古屋アベック殺人事件」の関連用語

名古屋アベック殺人事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



名古屋アベック殺人事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの名古屋アベック殺人事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS