名古屋イスラム協会の設立
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「名古屋モスク」の記事における「名古屋イスラム協会の設立」の解説
1980年代に入ると名古屋においてイスラーム諸国からの留学生が増加した。留学生たちは、1986年年頭から名古屋大学の空き教室を利用して金曜礼拝を行っていた。しかし、大学により学内での宗教活動を禁止され、教室の利用が出来無くなった。そこで彼らはイスラミックセンター・ジャパンに、アパートを借りるための資金援助を依頼した。その後イスラミックセンター・ジャパンの理事や名古屋市外の留学生など200人が参加した会合が開かれ、その場でイスラミックセンター・ジャパンによる賃料補助が約束され、1987年1月、名古屋ムスリム学生協会(Muslim Student Association of Nagoya)が結成された。名古屋ムスリム学生協会は1988年に「名古屋イスラム協会」と改名される。名古屋イスラム協会は1988年頃に名古屋大学の東に隣接する千種区東山元町のアパートの一室を借りてムサッラー(一時的礼拝所)とした。この時は留学生の名義では賃貸を断られ、当時のコミュニティに所属していた唯一の日本人が名義人となって借りることができた。 しかし、1990年にはその日本人がコミュニティを去ったため、アパートの更新契約ができなくなった。そこで、この頃コミュニティに参加し始めたパキスタン出身の自営業者Aが、名古屋大学の西に隣接する昭和区福原町のアパートを自分の会社名義で契約し、新たなムサッラーとした。この時期にAは、会社を名古屋イスラム協会の連絡先とし、結婚や入信などに必要なイスラミックセンター・ジャパンの証明書の取次も行い、またハラールに則って処理された肉(ハラール肉)を販売するなど、コミュニティを積極的にサポートするようになっていく。この頃、1990年末にはモスク設立のための基金口座が開設され、2年で300万円ほどが集まっている。 しかしその後、湾岸戦争によるイスラームへの偏見が高まり、警察の訪問が度重なったこともあって、1992年明けにアパートからの退去を通告されたため、再び別の場所が必要になった。3ヶ月近い物件探しの末、名古屋大学から2駅離れたビルの一室をAの会社名義で借りることになった。このムサッラーでは、礼拝の他、アラビア語やハディースの勉強会や食事会なども行なわれ、ムスリムの外国人男性を中心としたコミュニティが形成されて行く。また、金曜礼拝には70人から80人ほどが参加しており、礼拝スペースが足りなかった。この新しい物件は賃料は高額だったが室内は狭く、そのうえ立地も不便であった。しかし、他に選択肢はなく、その後6年ほど、この場所をムサッラーとして使用していた。 こうした諸事情を受けて、永続利用が可能なモスクを設立する機運が高まり、1993年にはモスク建設用の土地探しが始まった。
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