名古屋イスラム協会の設立とは? わかりやすく解説

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名古屋イスラム協会の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 11:58 UTC 版)

名古屋モスク」の記事における「名古屋イスラム協会の設立」の解説

1980年代に入ると名古屋においてイスラーム諸国からの留学生増加した留学生たちは、1986年年頭から名古屋大学空き教室利用して金曜礼拝行っていた。しかし、大学により学内での宗教活動禁止され教室利用出来無くなった。そこで彼らはイスラミックセンター・ジャパンに、アパート借りるための資金援助依頼したその後イスラミックセンター・ジャパンの理事名古屋市外の留学生など200人が参加した会合開かれその場でイスラミックセンター・ジャパンによる賃料補助約束され1987年1月名古屋ムスリム学生協会Muslim Student Association of Nagoya)が結成された。名古屋ムスリム学生協会1988年に「名古屋イスラム協会」と改名される。名古屋イスラム協会1988年頃に名古屋大学の東に隣接する千種区東山元町アパート一室借りてムサッラー(一時的礼拝所)とした。この時は留学生名義では賃貸断られ当時コミュニティ所属していた唯一の日本人名義人となって借りることができた。 しかし、1990年にはその日本人コミュニティ去ったため、アパート更新契約ができなくなった。そこで、この頃コミュニティ参加し始めたパキスタン出身自営業者Aが、名古屋大学の西に隣接する昭和区福原町アパート自分会社名義で契約し新たなムサッラーとした。この時期にAは、会社名古屋イスラム協会連絡先とし、結婚入信などに必要なイスラミックセンター・ジャパンの証明書の取次行い、またハラール則って処理された肉(ハラール肉)を販売するなど、コミュニティ積極的にサポートするようになっていく。この頃1990年末にはモスク設立のための基金口座開設され2年300万円ほどが集まっている。 しかしその後湾岸戦争によるイスラームへの偏見高まり警察訪問度重なったこともあって、1992年明けアパートからの退去通告されたため、再び別の場所が必要になった。3ヶ月近い物件探しの末、名古屋大学から2駅離れたビル一室をAの会社名義で借りることになった。このムサッラーでは、礼拝の他、アラビア語ハディース勉強会食事会なども行なわれムスリム外国人男性中心としたコミュニティ形成されて行く。また、金曜礼拝には70人から80人ほどが参加しており、礼拝スペース足りなかった。この新し物件賃料高額だった室内狭く、そのうえ立地も不便であった。しかし、他に選択肢はなく、その後6年ほど、この場所をムサッラーとして使用していた。 こうした諸事情受けて永続利用可能なモスク設立する機運高まり1993年にはモスク建設用の土地探し始まった

※この「名古屋イスラム協会の設立」の解説は、「名古屋モスク」の解説の一部です。
「名古屋イスラム協会の設立」を含む「名古屋モスク」の記事については、「名古屋モスク」の概要を参照ください。

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