名古屋オリンピック招致
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 09:59 UTC 版)
1979年(昭和54年)に名古屋市と愛知、岐阜、三重の3県は1988年(昭和63年)の第24回オリンピックを名古屋市と周辺の施設で開催するため招致運動を開始した。1980年(昭和55年)に正式立候補した当初は名古屋有利と言われたが、同じく候補地に名乗りを上げた、韓国・ソウル招致関係者のIOC委員への接待など、派手な招致活動に対抗しようとした名古屋招致関係者に、清川は「IOC委員は高潔な人々。過剰な接待はかえって反感を買う。」と釘を刺した。しかし、同年9月に当時の西ドイツ・バーデン=バーデンで行われたIOC総会でソウルに52票対27票で敗れた。 その後の大会の候補地選考でも(清川が警告した)過剰な招致活動は続き、皮肉なことに1998年(平成10年)の第18回冬季オリンピックの招致合戦では過剰接待で、長野が招致に成功したといわれた。だが、ついに第19回冬季オリンピックの候補地選考では買収スキャンダルまでに進展することとなった。拡大するオリンピックの商業主義は、清廉潔白としたアマチュアリズムの清川の思想とはそぐわないものとなってしまった。清川自身はIOCの信用回復に腐心していたがその改革を見届られずに亡くなっている。 また、日本体育協会(当時)と日本オリンピック委員会(JOC)が政府・文部省(当時)の圧力に屈して1980年モスクワオリンピックの不参加を決めたのは、清川がIOC副会長およびJOC理事在任中の出来事であった。この点に関しても清川は体協やJOCの体質改善を強く望んでいた。
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