内丹術 歴史概況

内丹術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 13:43 UTC 版)

歴史概況

道の思想と養生の誕生

老子』『荘子』の書は春秋戦国時代の作とされている。『老子』は神秘思想を語った章があり日本では哲学と考えられていたが、現在では何らかの修行を伴ったとする研究者が増えている[22][23][24]。『荘子』は道と一体になる手段として「坐忘」「心斎」を説いている[25]。それを承け紀元前から紀元2世紀の『淮南子』までの初期道家で、虚に至る高度な瞑想実践が行われたとする説も発表されている[26]

黄帝内経』は春秋時代からの気の思想を受け継ぎ戦国時代から前漢までに完成したと考えられる、人体を対象として深化させた気の医学である。現代の中国医学でも基本とする古典であり[13]、道家思想に基づき陰陽五行思想や天文学を吸収し集大成したものである[27]。医学書と同時に神仙の書として[28]仙道とも密接な繋がりがある。歴史的に医師が道士である例は多く、道教と中医学の関わりは深い[29]

行気」は気を行(めぐら)して活力を全身に行き渡らせる術である。戦国初期の出土文物「行気玉佩銘」(zh[30]には既に行気による養生法が述べられ、導引の発達とともに行気も重視されるようになった。代の『抱朴子』「釈滞篇」[31]には房中・服薬とともに三大養生法に挙げられている。初期の『養性延命録』は病の箇所に意識で気を導き治療させることを説いている。[27]

導引」とは身体を屈伸して正気を導き身心を調整する養生術である。春秋時代には既に行われていたと考えられる。1973年に馬王堆漢墓から出土した代の『導引図』[32][33]には多数の人物による様々な動作が描かれている。後漢華佗は禽獣の動作を参考に「五禽戯」(zh)を考案した。の巣元方(zh)は『諸病源候論』(zh)で治療に導引を用いている。初の『雲笈七籤』は多くの導引法を所収している。[34][27]

存思」は様々な対象を想起して気を操作する技法である。隋代の『諸病源候論』は五臓の病に対して相当する光の色を存思して病を癒す法などが記載されている。宋初の『雲笈七籤』には、神々や洞天福地や日月星辰などを思い浮かべて気を取り入れる法などが説かれている。身中に体内神があたかも存在するかのように存思して長生を図る法が晋の上清派の『黄帝外景経』などにみえる。[34][27]

房中」は男女という陰陽の交わりの術である。1973年に馬王堆三号漢墓から房中術の貴重な文献六点が発掘された。この文献の成立年代は春秋戦国時代にさかのぼるという。漢代には道教に取り込まれ長生の秘術とされた。房中術の「還精補脳」の技法と内丹の関連性を指摘する研究者もいる。房中術は陰丹とも呼ばれた[35]。後代には、房中術を取り入れた系統の「内丹術」も存在する。

胎息」は胎児が体内にいた時のように、鼻や口に依らないで気を取り入れることを目標にした呼吸法の一種である。呼吸法の歴史は古く、春秋戦国時代の『荘子』「刻意篇」には「吹呴呼吸、吐故納新」[36]と記されている。胎息は『後漢書』「方術伝」に方術士・王真が行ったとの記述がある。晋の『抱朴子』「釈滞篇」にも具体的な修行の様子が説明されている。宋初の『雲笈七籤』には多くの胎息経が所収されている。[37][27]

外丹の流行と没落

外丹術は金石草木を服用する「服食」と呼ばれる古代の神仙方術のひとつの発展形である。『神農本草経』は中国最古の医薬書とされるが本来の目的は仙薬を求めることにあった[38]。初期は草木中心の仙薬であったが、次第に鉱物から人工的に合成したものを不老不死の丹薬として重視するようになり「外丹術」が発展していった。外丹術の萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』を著した西晋東晋葛洪らによって確立した。葛洪は丹砂・金液などの鉱物から合成した丹薬に最上の価値を置く煉丹術を唱えた。後漢の人とも三国の人とも言われる魏伯陽(zh)の『周易参同契[39]は、汞(水銀)との配合を煉丹の基本とした。この外丹書は易理を用い、陰陽五行の複合的シンボリズムに基づくさまざまな隠語で煉丹の材料や過程を表現している。「鉛汞」といえば煉丹術の代名詞となり、鉛汞を表す青龍・白虎といった術語は後の内丹術に引き継がれた。『周易参同契』は五代北宋の頃から内丹道の古典とみなされるようになり、内丹の観点から解釈した注釈書がいくつも作られた。

外丹には水銀化合物や砒素化合物が含まれ、強い毒性があったと考えられる。煉丹術の流行により水銀や水銀化合物を服用して逆に命を縮める人が後を絶たなかった。そのため宋代には鉱物性の丹薬を作る外丹術は衰退していき、唐代より次第に重んじられるようになった内丹術が主流となっていった。外丹術は不老長生の薬を作るという本来の目的では完全な失敗に終わったが、中国の医薬学と化学の発展に貢献した。

内丹の興起

内丹術は物理的に丹を作る外丹術から取って代わるように歴史の表舞台に登場した。内丹という語は、南北朝時代天台宗第二祖南嶽慧思の『立誓願文』に「神丹の薬を足らしめてこの願いを修(おさ)め、外丹の力を藉(か)りて内丹を修めん、衆生を安(やす)んぜんと欲して先ず自(みずか)らを安んずるなり」[40][41][42]と見えるのが文献上の初出とされる。ここでは内丹の語の具体的な意味に言及していないが、仏道修行の援けとして芝草や神丹(外丹)を利用し、自分の生を安んじながら禅の修行(内丹)に邁進しよう、との抱負を述べたものとも解される[43]。また、宋代の『南嶽総勝集』叙[44]に「東晋の鄧鬱が内外丹を修めた」との佚文が収載されている。このように、内丹・外丹の別を立てる事例は六朝期にもわずかながらみられるが、まだ内丹の語の定義は決まっておらず、後世と同じ意味での「内なる丹」という概念がいつ頃明確化したのかはよく分かっていない。

文献上知りうる限り、内丹説の骨子は代の道士、蘇元朗(zh)によって初めて示されたとされる。『羅浮山志会編』に引かれたその所説には「神丹を心煉に帰する」とあり、すでに性命双修(zh)の思想が表れている。それ以降、内丹は社会に知られることとなり、隋唐期のさまざまな文献に内丹の語が現れるようになった。外丹術が隆盛を極めた代には、『上洞心経丹訣』[45]をはじめとして内外丹の双修を説く丹経も多かったが、外丹術は代には次第に下火になっていった。これは中毒の事例に対する反省のためとする説もある[46]。それと同時に内丹術が外丹から独立した修行法として確立し、外丹術の衰微と反比例するかのように唐末から宋代にかけて盛んになった。五代の成立とされる鍾離権呂洞賓の鍾呂派の丹法は、初期の内丹術のひとつの完成した形を示した。経典として『霊宝畢法』があり、『道蔵』太清部に『秘伝正陽真人霊宝畢法』という書名で収められている[47]。その体系は五代の施肩吾の撰とされる北宋の書物『鍾呂伝道集』などに詳しい。後に鍾離権と呂洞賓は全真教の祖師に奉られた。鍾呂派などの本格的な内丹は、先行する行気・導引・存思・胎息などの気の養生術を否定し、内丹説を宣揚する形で登場したが、実際にはそれらの気の技法の組み合わせから総合的に昇華発展したものと考えられている。北宋期には、が影響を与え合う三教融合の思潮の時代[48]禅宗見性の考え方を取り入れて、紫陽真人張伯端が『悟真篇』(zh)を著し、性命双修を提唱した。この丹経は『周易参同契』と並ぶ内丹の古典となり、南宋以降に北宗・南宗などに分かれる内丹道に規範として影響を与えた[49]

内丹の発展

道との合一を表現した『虛空粉碎圖』

代の王重陽打坐と内丹を取り入れて全真教を興し、後に北宗(zh)(北派)と呼ばれた。修養は先に性(精神)の修行から始め、次に命(身体)を修煉する先性後命の丹法である。北七真(zh)と称される王重陽の七人の高弟からは丘長春が北宗の最大流派となる龍門派(zh)の祖となった。末と代には龍門派より伍守陽(zh)と柳華陽(zh)を輩出し、その独自の丹法から伍柳派(zh)と呼ばれた。これら北派の系譜は内丹道で最も修煉者が多いとされる。先命後性の丹法を創始した張伯端を初代とする五名は南五祖(zh)と称され、この道統は後に全真教の南宗(zh)(南派)と呼ばれるようになった。代には、李道純(zh)が儒家の所説を大きく取り入れた中派(zh)の内丹道の流派を開いた。明代には各地を雲遊し武当山を主たる本拠地とした張三丰(zh)が三丰派の、神交法の丹法の陸潜虚(zh)が東派(zh)の祖となった。清代には李涵虚(zh)が神交法の西派(zh)を創始した[7]。以上の代表的な流派の他に、支派・分派などを含めて多くの流派がある。

現代の「気功」は内丹術の理論と技術の基礎の一部分が提供され変化したものであり、内丹術は気功の重要な源流の一つとなった。

近現代と日本

20世紀前半の民国時代には、後の1961年に中国道教協会会長となる全真教龍門派の学者、圓頓子陳攖寧(zh)が内丹仙学を提唱した[50]。1960年代から1970年代は、文化大革命により伝統文化は否定され、大陸の多くの道観は破壊されて道士の大半は還俗させられた。1980年代以降は徐々に復活しているものの、共産党政府の厳しい統制下にある[51]

1953年の劉貴珍の『気功療法実践』の出版を契機として、気の養生術が政府の指導の下で「気功」と命名され近代化して復活した。文革による中断を挟みながら1970年代後半から中国で広まっていった。中国全土では古来の多彩な気の技法が気功の名称に統一されて出版紹介と普及を始め、1980年代から1990年代は気功の花開いた時代となった。内丹道では、密かに道士より法嗣と認められた龍門派の王力平(zh)が1980年代からその一端を公開した[52]。しかし1999年の法輪功事件以後、中国政府は新たに制定した健身気功を含む一部の認可した気功以外を禁止として自由な活動を制限したため、中国の状況は以前とは程遠いものとなったが[51]、内丹の修煉を隠れて続けている実践者はいるだろうとしている[7]

虞陽子台湾隠仙派の弟子:トウ豊洲の打坐

上海仙学院で陳攖寧の教えを受けた虞陽子袁介圭は内丹仙学を台湾に伝えた[53]。日本では1970年頃、台湾人の秦浩人が三峯派の房中派内丹術を日本語の書籍で紹介した[54]。秦浩人の著書を読み、付属の資料を参考にして台湾の「清修派」の内丹仙学の実践家と接触した高藤聡一郎は、1970年代後半から1990年代に内丹術に関する参究書を大陸書房学習研究社などより発表し、仙道ブームを起こした。また、日本軍の諜報・宣撫活動のため中国で道士となり恒山で修煉し、第二次大戦終戦直後に当時の白雲観の観首に口訣を授けられたという田中教夫(五千言坊玄通子)が、日本に帰国後、「仙道連」という修仙の会を開いた[55]。こうしたことから現代日本では、内丹派の煉丹術を中心とした修行法を「仙道」と呼ぶことが多い。


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