今上天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 09:23 UTC 版)
今上天皇(きんじょうてんのう)は、その時々における在位中の日本の天皇を指す語[1]。
注釈
- ^ 徳富蘆花(徳富健次郎 名義)の小説『黒い眼と茶色の目』(cf. )(1914年〈大正3年〉)の「其八 突貫」の「(一)彼は東へ」に「(...略...) 敬二は教場で見る其本を懐中して校門を出で、今出川門を入り、今上陛下御誕生水の前を御苑に入つた。」という一文が見られる。
- ^ 例としてラーマ8世、エリザベス2世
- ^ 本項で省略した前段も踏まえて要約すれば、「太上天皇(※聖武太上天皇)がお隠れ遊ばされたのち、今上天皇(※即位前の安倍内親王、崩御後の孝謙天皇)は、飛鳥浄御原宮・藤原宮・平城宮の三宮の御宇(ぎょう。御世)から伝わる御宝物を東大寺盧舎那仏(※奈良の大仏様)に献納あそばされた」旨の内容である。なお、これらの宝物は、実務上は東大寺の正倉(南倉・北倉・中倉)に収蔵された。今日まで伝えられた正倉院宝物の最も重要な所蔵品群である。
- ^ 1947年(昭和22年)に当時の宮内省(後の一時期は宮内府、現在の宮内庁)と報道各社の間で結ばれた協定に基づく。
- ^ 「天皇」と呼び諱を避けることは、それ自体一定の敬意を示した表現であるため。
- ^ 「明仁天皇」の例(刊行日順):[15][16][17][18][19][20]。「徳仁天皇」の例:[21]。
出典
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- ^ a b “今上陛下”. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。 アーカイブ 2014年7月5日 - ウェイバックマシン
- ^ “黒い眼と茶色の目” (PDF). 国立国会図書館デジタルコレクション(公式ウェブサイト). 国立国会図書館. 2019年6月7日閲覧。 アーカイブ 2020年8月18日 - ウェイバックマシン※該当文は265頁(コマ番号では 136/165)にある。
- ^ “今上”. 三省堂『大辞林』第3版. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。 アーカイブ 2014年7月10日 - ウェイバックマシン
- ^ “今上”. 小学館『精選版 日本国語大辞典』. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。 アーカイブ 2014年7月10日 - ウェイバックマシン
- ^ a b “今上天皇”. 小学館『日本大百科全書:ニッポニカ』. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。 アーカイブ 2014年7月9日 - ウェイバックマシン
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- ^ 山路實 (1990年(平成2年)10月31日). “『和算』第67号” (PDF). 公式ウェブサイト. 近畿数学史学会. 2019年6月5日閲覧。※17頁(コマ番号では9/11)。
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- ^ 酒井充 (2016年1月16日). “「天皇」と呼び捨てにしながら開会式に出席する共産党ってどういうこと? 「人間として当たり前」って…”. 産経ニュース. 産経デジタル. p. 2. 2019年11月15日閲覧。 アーカイブ 2023年12月4日 - ウェイバックマシン
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