ポルトガル海上帝国 ポルトガル海上帝国の概要

ポルトガル海上帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 05:28 UTC 版)

ポルトガル帝国
Império Português (ポルトガル語)
1415年 - 1999年
国旗(1830年 - 1910年)国章(1481年 - 1911年)

世界でかつてポルトガル帝国の一部だった地域
公用語 ポルトガル語
国教 カトリック[1][2]
首都 リスボン
リオデジャネイロ(1808年 - 1821年)
君主
1415年 - 1433年ジョアン1世
1908年 - 1910年マヌエル2世
大統領
1911年 - 1915年 マヌエル・デ・アリアガ
1996年 - 1999年ジョルジェ・サンパイオ
首相英語版
1834年 - 1835年ペドロ・デ・ソウザ・ホルステイン
1995年 - 1999年アントニオ・グテーレス
変遷
セウタ征服 1415年
インド航路開拓1498年
ブラジル植民1500年
オランダ・ポルトガル戦争英語版1588年 - 1654年
ポルトガル王政復古戦争1640年 - 1668年
ブラジル独立1822年
インド植民地の喪失英語版1961年
ポルトガルの植民地戦争1961年 - 1974年
カーネーション革命1974年 - 1975年
マカオ返還1999年
現在 アンゴラ
アンティグア・バーブーダ
バルバドス
ブラジル
カーボベルデ
アメリカ合衆国
グレナダ
ギニアビサウ
赤道ギニア
モザンビーク
ポルトガル
サントメ・プリンシペ
スリランカ
東ティモール
マカオ
シンガポール
ウルグアイ
インド
先代次代
ポルトガル王国
アメリカ先住民
コンゴ王国
モノモタパ王国
キルワ王国
マラビ王国
カアブ帝国
植民地化以前のティモール

グジャラート・スルターン朝
コーッテ王国
ジャフナ王国
マラッカ王国
ビジャープル王国
リオ・デ・ラ・プラタ副王領
ポルトガル第一共和政
ブラジル帝国
アンゴラ人民共和国
モザンビーク人民共和国
ギニアビサウ
カーボベルデ
サントメ・プリンシペ
東ティモール
マカオ
自由ダードラーおよびナガル・ハヴェーリー
インド
オランダ領セイロン
サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ
スペイン領ギアナ
オランダ領マラッカ
ポルトガルの歴史

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先史時代英語版

ポルトガル ポータル
1410年から1999年までにポルトガルが領有したことのある領域(赤)、ピンクは領有権を主張したことのある領域、水色は大航海時代に探索、交易、影響が及んだ主な海域。

世界史上における長命な帝国のひとつであり、1415年セウタ占拠から1999年ポルトガル領マカオ返還に至るまで、ほぼ6世紀にわたって君臨した。16世紀初頭からは、南北アメリカアフリカアジアオセアニアなど世界中の様々な地域にその版図を広げ、拠点を築き上げた。


  1. ^ C. Bloomer, Kristin (2018). Possessed by the Virgin: Hinduism, Roman Catholicism, and Marian Possession in South India. Oxford University Press. p. 14. ISBN 9780190615093 
  2. ^ J. Russo, David (2000). American History from a Global Perspective: An Interpretation. Greenwood Publishing Group. p. 314. ISBN 9780275968960. "the Church of England was a " state church " in the colonies the way it indisputably was in England, and as the Roman Catholic Church was in the neighboring Spanish and Portuguese empires." 
  3. ^ 当時、岡本大八事件平山常陳事件島原の乱などで、キリスト教に不信感を募らせていた幕府に対し、オランダは、ポルトガルの宣教師が、本国と結んで日本を蚕食する恐れありと伝えた。そして、一方で自分たちオランダは布教を伴わない貿易が可能であると訴えていた
  4. ^ Far Eastern Economic Review, 1974, page 439
  5. ^ The Evolution of Portuguese - Chinese Relations and the Question of Macao from 1949 to 1968, Moisés Silva Fernandes, Chinese Academy of Social Sciences, 2002, page 660
  6. ^ 羽田 2017, p. 60.
  7. ^ 岡 2010, p. 195.
  8. ^ 羽田 2017, p. 62.
  9. ^ ディウ世界飛び地領土研究会
  10. ^ ダドラ&ナガルハベリー世界飛び地領土研究会
  11. ^ ダマン世界飛び地領土研究会
  12. ^ サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ世界飛び地領土研究会


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