ポルトガル海上帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 05:28 UTC 版)
概説
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ポルトガルの海上発展の礎
1488年にアフリカ大陸南端に到達したポルトガルは東洋の香料貿易独占とキリスト教布教を目的としてインド洋に進出、沿岸各地に拠点を築いてムスリムと戦い、インド洋の覇権を握った。このため、エジプトのマムルーク朝などイスラム勢力から香料を仕入れて欧州での供給を独占していたヴェネツィア共和国の経済は大打撃を蒙った。ポルトガルはさらにマレー半島における香料貿易の重要な中継地であったマラッカ占領以後、東南アジアや東アジアにまで貿易網を拡大し、世界的な交易システムを築き上げた。
抗争と衰退
しかし17世紀に入ると、新教国オランダやイギリスも七つの海に進出を始め、ポルトガルと競合するようになる。特にオランダはスペインに対する独立戦争を展開しており、当時スペインと同じ君主を戴いていたポルトガルのガレオン船を拿捕したり、マラッカなどのポルトガル植民地を占領して行った。日本の禁教と鎖国も新教国オランダの反ポルトガル陰謀の結果であると言えなくもない[3]。このため17世紀後半以後ポルトガルのアジア貿易は衰退したが、南米大陸ブラジルの植民に力を注ぎ、18世紀にはブラジルで金が盛んに産出されてポルトガルは再び黄金時代を迎えることになる。しかし、1703年にイギリスと結んだメシュエン条約は結果として金の流出を招き、ポルトガル本国はそれ程経済的な恩恵を得る事が出来なかった(非公式帝国)。
19世紀になるとブラジルの金生産も低迷し、ブラジル植民地自体が独立を達成してポルトガルから離れていく。ナポレオン戦争後はイギリス帝国が世界の海に覇権を唱え、ポルトガルに残されたのは旧時代の名残りともいえるアンゴラ、モザンビークなどのアフリカ植民地とインドのゴアとディウ、マカオとティモールなどだった。
これらの植民地も第二次世界大戦後、1960年代に独立戦争が勃発した(マカオの場合は一二・三事件による中国とポルトガルの取引で戦火を逃れた[4][5]が、インドの植民地は1961年12月にインド軍の武力侵攻により制圧された)。最終的に1974年のカーネーション革命をきっかけにしてポルトガルはこれらの植民地の独立を承認した。
- ^ C. Bloomer, Kristin (2018). Possessed by the Virgin: Hinduism, Roman Catholicism, and Marian Possession in South India. Oxford University Press. p. 14. ISBN 9780190615093
- ^ J. Russo, David (2000). American History from a Global Perspective: An Interpretation. Greenwood Publishing Group. p. 314. ISBN 9780275968960. "the Church of England was a " state church " in the colonies the way it indisputably was in England, and as the Roman Catholic Church was in the neighboring Spanish and Portuguese empires."
- ^ 当時、岡本大八事件、平山常陳事件、島原の乱などで、キリスト教に不信感を募らせていた幕府に対し、オランダは、ポルトガルの宣教師が、本国と結んで日本を蚕食する恐れありと伝えた。そして、一方で自分たちオランダは布教を伴わない貿易が可能であると訴えていた
- ^ Far Eastern Economic Review, 1974, page 439
- ^ The Evolution of Portuguese - Chinese Relations and the Question of Macao from 1949 to 1968, Moisés Silva Fernandes, Chinese Academy of Social Sciences, 2002, page 660
- ^ 羽田 2017, p. 60.
- ^ 岡 2010, p. 195.
- ^ 羽田 2017, p. 62.
- ^ ディウ世界飛び地領土研究会
- ^ ダドラ&ナガルハベリー世界飛び地領土研究会
- ^ ダマン世界飛び地領土研究会
- ^ サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ世界飛び地領土研究会
固有名詞の分類
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