オスカル・ルジェリ オスカル・ルジェリの概要

オスカル・ルジェリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 15:43 UTC 版)

オスカル・ルジェリ
ボカ・ジュニアーズでのルジェリ(1980年)
名前
本名 オスカル・アルフレド・ルジェリ
Óscar Alfredo Ruggeri
愛称 エル・カベソン
ラテン文字 Óscar Ruggeri
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1962-01-26) 1962年1月26日(62歳)
出身地 コラル・デ・ブストススペイン語版
身長 183cm
体重 82kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
ユース
1970-1980 ボカ・ジュニアーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1984 ボカ・ジュニアーズ 147 (11)
1985-1988 リーベル・プレート 81 (4)
1988-1989 ログロニェス 34 (1)
1989-1990 レアル・マドリード 31 (2)
1990-1992 ベレス・サルスフィエルド 55 (5)
1992 アンコーナ 7 (1)
1992-1993 クラブ・アメリカ 27 (4)
1994-1997 サン・ロレンソ 114 (12)
1997 ラヌース 13 (2)
代表歴
1983-1994 アルゼンチン [1] 97 (7)
監督歴
1998-2001 サン・ロレンソ
2001-2002 グアダラハラ
2003 テコス
2003 インデペンディエンテ
2003-2004 エルチェ
2004 クラブ・アメリカ
2006 サン・ロレンソ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

1980年、当時ディエゴ・マラドーナが所属していたボカ・ジュニアーズでキャリアをスタートする。1985年にライバルのCAリーベル・プレートに移籍し、1986年のアルゼンチンリーグコパ・リベルタドーレスインターコンチネンタルカップの3冠獲得に貢献した。1989年からレアル・マドリードで1シーズンプレー、コパデルレイでは決勝でFCバルセロナに敗れ優勝を逃したが、リーグ戦では31試合に出場し[3]リーグ優勝に貢献した。その後ベレス、1992年にはイタリアセリエAのアンコーナCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロなどに在籍する。1997年にラヌースで現役引退した。

アルゼンチン代表としては97キャップを記録し、3回のFIFAワールドカップに出場した。代表キャップ数はディエゴ・シメオネに抜かれるまで最多記録であった。1986年のメキシコW杯では、大会で出場した最も優れたストッパーと賞賛されるプレーで優勝に貢献[2]、1990年のイタリアW杯では5試合に出場したが、決勝の西ドイツ戦では負傷で途中交代を強いられ[4]、チームは敗れ、準優勝に終わった。1994年のアメリカW杯では、ディエゴ・マラドーナが大会から追放された後はキャプテンを務めた、決勝トーナメントのルーマニア戦で敗れ、その試合が最後の試合となった[5]

コパ・アメリカでは1991年、1993年大会で優勝している。また1991年は、キャプテンとしてコパ・アメリカの優勝にも貢献し、南米最優秀選手を受賞した。

引退後は監督として、古巣のサン・ロレンソなど複数のクラブを率いている。

所属クラブ




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