インターアーバン 日本における歴史(アメリカとの比較)

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インターアーバン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 09:54 UTC 版)

日本における歴史(アメリカとの比較)

日本における初期のインターアーバン路線

アメリカにおけるインターアーバン発達の情報は日本にも早期に伝わった。当時の日本で電気鉄道を積極的に推進していた電気技師としては藤岡市助が有名であるが、藤岡は工学寮電信科卒で、著名な物理学者ウィリアム・トムソンの弟子であり、電気計測機器の開発で名を馳せた物理学者エアトンに直接教育を受けてもおり、知識の上では欧米諸国の技術者と同等以上の水準であった。また、阪神電鉄の建設に携わった三崎省三スタンフォード大学の電気工学科で教育を受けており、アメリカのインターアーバン建設に携わった同窓には事欠かなかった。電気鉄道の隆盛を報じたアメリカの業界誌は、日本でも技術者や帝国大学で購読されており、その記事の中には日本人技術者が投稿した日本の電気鉄道の動向に関するレビューすら存在した。このため、インターアーバン建設にあたっては技術的な問題よりも、日本の法律規制)、交通事情、経済事情に合致する路線をどう建設するかというのが大きな課題となった。

こうした課題を乗り越え、日本で最初にインターアーバンを開業させたのは阪神電気鉄道(阪神)であった。阪神は、大阪 - 神戸間の並行線開業に反対する鉄道作業局が所管する私設鉄道法ではなく、内務省と鉄道作業局が共同で所管していた軌道条例に依拠し、しかも当時の内務省幹部であった古市公威から「線路のどこかが道路上にあればよかろう」との了解を得ることで、ほぼ全線を高速運転に有利な専用軌道とするという、法の抜け穴を突いた奇策によって、1905年(明治38年)4月大阪出入橋 - 神戸三宮間のインターアーバン路線(後の阪神本線)を開業させた。従来の路面電車に比べ、軌道、車両ともに高規格の設備は、当時の阪神電鉄技師長であり建設時にもアメリカ視察を行った三崎の意向を反映したもので、建設ブームの真っ只中にあったアメリカのインターアーバンに範を採ったものであった。この阪神を前例として、同年12月には京浜電気鉄道神奈川まで延伸され、品川(東京) - 神奈川(横浜)間の都市間運行を行うようになった(後の京急本線)。

日本での初期のインターアーバンとしては、この他に1910年(明治43年)の名古屋電気鉄道郡部線(後の名鉄犬山線津島線など)、京阪電気鉄道京阪本線の事例などを挙げることができる。いずれもアメリカのインターアーバンの影響を強く受けていた。特に郡部線は小型車による短距離運行ではあったものの、やはりアメリカのパシフィック電鉄での視察結果をもとに建設され、多くの事例に倣い、市街電車路線を利用して都心部に乗り入れていた[注釈 4]。京阪本線も路線免許の競合に由来する諸事情により同様の計画を持っていたが、大阪市側の政策変更で市街電車路線(大阪市電)への乗り入れは実現しなかった[注釈 5]

日本におけるインターアーバンの展開

これ以降も、インターアーバン的な私鉄路線の建設は盛んに行われたが、その性質は本家のアメリカのものとは徐々に乖離するようになっていった。アメリカのインターアーバンの建設が1908年を境にあまり行われなくなったのに対し、日本ではむしろそれ以降に盛んとなり、1930年代まで新規路線の開業が続いたのは、もっとも大きな相違点といえる。第一次世界大戦以降は、日本のインターアーバンはアメリカのものとは別個に、独自の発展を遂げることになった。

建設時期や専用軌道区間が多く、通勤輸送が主体であるという特徴はロサンゼルスのパシフィック電鉄などにも共通した特徴であるが、日本はアメリカとは異なり、電気鉄道の発展期に自動車の影響をほとんど受けなかった。モータリゼーションの遅れから1930年代までバスの影響を受けず、バスが普及した1930年代以降も道路整備が貧弱であったことから、零細規模な路線を除いては鉄道がバスより優位であった。さらに自家用車に至っては1960年代まで競争相手とはならず、路線の近代化などを後年まで継続して行うことができた。

さらに日本のインターアーバン各社は、輸送需要の喚起を兼ねた経営多角化に積極的に取り組んだ。電鉄会社が副業として不動産業遊園地を経営する事例はアメリカでも多くみられ、駅に併設された市場フィラデルフィアのレディングターミナルなど)や百貨店(クリーブランドユニオン駅など)もアメリカの事例が先行するが、長期間に渡って鉄道業とともに安定的な発展を成し遂げ、高い知名度を得るようになったという点で、日本の事例は特異的である。

電鉄企業自体がディベロッパーとなった沿線不動産開発や、日本における鉄道駅併設型百貨店(ターミナル・デパート)経営などは、小林一三率いる阪急によって先鞭が付けられ、1930年代以降特に盛んとなり、鉄道事業本体と並んで私鉄企業の重要な収益部門へと成長していった。やがて大手電鉄企業各社は鉄道業のみに留まらず、半ばコングロマリット(多角化大企業)化するという特異な発達経過をたどる。

1920年代から1930年代初頭にかけ、日本における第二世代のインターアーバン路線として阪神急行電鉄(現:阪急神戸本線)、愛知電気鉄道豊橋線(現:名鉄名古屋本線神宮前以東)、神戸姫路電気鉄道(現:山陽電気鉄道本線明石以西)、新京阪鉄道(現:阪急京都本線)、阪和電気鉄道(現:JR西日本阪和線)、小田原急行鉄道(現:小田急小田原線など)、東武鉄道(現:東武日光線など)、奈良電気鉄道(現:近鉄京都線)、大阪電気軌道(現:近鉄奈良線など)、九州鉄道(現:西鉄天神大牟田線)などが建設された。また関西では、1934年京阪神緩行線が開業し、日本でも珍しい官営インターアーバンが誕生した。

これらはいずれも直線主体の線形を備え、直流1,500 V電化や100ポンド級(45 - 50 kg)重軌条の採用など概して高規格であり、その中でもレベルの高かった阪急・新京阪・阪和・参急等の関西私鉄では、当時の鉄道省国鉄特急列車表定速度を凌ぐほどの高速電車が運行されていた。阪和が運行した超特急に至っては、戦後も14年間破られない日本の表定速度記録を有したほどである。

これら日本の第二世代インターアーバン各社は1910年に改良工事を行い、専用軌道上では平均105 km/hの運行を行っていたワシントン・ボルチモア・アナポリス電鉄や、1919年シカゴ高架鉄道への直通運転を開始したノースショアー線など、アメリカでの事例を参考にしたものとも考えられるが、同時期のアメリカでは、既存の大手幹線鉄道であるペンシルバニア鉄道ニューヨーク・セントラル鉄道のニューヨーク近郊区間で電化が進められてもおり、いずれの事例を参考にしたかは定かでない。

以後の影響

衰退期に入っていた1920年代のアメリカのインターアーバンから日本が直接に学ぶことは少なかったが、それでもなお技術的な影響は強かった。第二次世界大戦前の日本の第二世代インターアーバンはその相当部分が、ウェスティングハウス・エレクトリックゼネラル・エレクトリックウェスティングハウス・エア・ブレーキJ.G.ブリルボールドウィン等々のアメリカの鉄道関連メーカーの技術的支配・系譜の下にあったと評しても過言ではない[注釈 6]

こうしたアメリカの電気鉄道技術自体は、インターアーバン衰退後も主要都市の地下鉄車両などを基盤として、第二次世界大戦直後まで世界的な優位に立っており、日本で1950年代に成し遂げられた電車の高性能化カルダン駆動方式電磁直通ブレーキなどの新技術導入)も、多くはアメリカ発の技術であった。

日本のメーカーは戦後まで、欧米のメーカとの提携により、その技術を吸収していた。例えば電気機器は、以下のような関係が存在した。現在でもその影響は残っている。

大半の電機メーカーは提携先メーカー製品の完全なデッドコピー品[注釈 7]を製造してそのノウハウの吸収に努めたが、日立製作所に限っては電動機も制御器もその最初期より独自設計の方針を打ち出していた。

インターアーバンの系譜上にある日本の電気鉄道および電気車技術が、アメリカの影響を脱して独自性を発揮するに至るのは1950年代後半以降のことである。


注釈

  1. ^ そもそも、Interurban は英語で Inter(~間) urban(都市) であって、ドイツ語の「道」bahn と全く別であるから、インターバーンはドイツ語としては意味をなさない。
  2. ^ 世田谷線は軌道時代の支線を受け継ぐ
  3. ^ 日本における寝台車の電車は、1967年581系電車が初例である。
  4. ^ 市内区間は後に名古屋市電へ譲渡された。
  5. ^ 詳細は市営モンロー主義の項を参照されたい。なお、アメリカにおいても市街路線への乗り入れは困難を伴うケースもあった。市街鉄道の線路幅が標準軌ではなく、2線式の架線を有していたシンシナティ市街への乗り入れはその代表的な事例とされている。またデトロイト市では、市街路線の公有化により、インターアーバンの市街路線乗り入れが中止された時期が存在した。
  6. ^ それ以外はイングリッシュ・エレクトリックの電動カム軸制御器やAEGの他励界磁制御による直卷電動機を用いる電力回生ブレーキなど、ヨーロッパ由来の技術が大半を占め、少なくとも戦前の日本の電気鉄道においては、基礎理論レベルからの独自開発技術は皆無に等しかった。
  7. ^ スケッチ生産品とも呼ばれる。ただし、ウェスティングハウス・エレクトリック製電動機のデッドコピー品を東芝(芝浦製作所)が製造するなど、提携外のメーカーの製品をコピーした例も少なくない。

出典



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