鉄道史上の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/17 22:12 UTC 版)
インターアーバン路線は既存の鉄道と別個のシステムとして登場したため、既存鉄道の影響を受けることが少なく、経営状態がそれほど良くなかったために増収を図る必要もあって様々な新機軸を生み出し、後の鉄道に影響を与えた。 インターアーバンは運行指令において本格的に電話を採用した最初の鉄道システムであった。インターアーバンの建設を進められた時期はグラハム・ベルの電話機の特許が切れ、AT&T以外の長距離電話網が一時的に展開された時期にあたり、インターアーバンの建設を行った資本家や技術者も電話事業に強い関心を持っていた。電話による運行指令は電信のように訓練された技術者を必要とせず、人件費の節減にも役立ったことから、既存の鉄道各社にも広まることになった。 またインターアーバンのほとんどは、1時間ないしは2時間おきというように等間隔で列車を走らせていたが、ヨーロッパで類似のサービスがインターシティとして行われるようになったのは1934年で、アメリカのインターアーバンの等時間隔運転は先駆的なものであった。 インターアーバンの貨物輸送にも色々な工夫が見られ、貨物電車の運行も行われた。都市内では併用軌道を走行する必要があるために、インターアーバンの貨車には様々な工夫がなされたが、シカゴのノースショアー線は、トラックを貨車に積み込んでそのまま輸送するピギーバック輸送を行っていた。後にアメリカで盛んに行われるようになるピギーバック輸送も、インターアーバンが先駆者であったのである。
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