アイヌ料理 嗜好品

アイヌ料理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 04:18 UTC 版)

嗜好品

1930年代に行われたイオマンテで、神に酒を捧げる男性たち。オッチケ()やタカイサラ(天目台)の上に載せられたイタンキ()の酒を、イクパスイ(椀に渡された箆状の器物)で天界に届ける。右側には、仕込みに使われたシントコ(行器)が見える。

アイヌ語で「酒」を意味する言葉には、「サケ」「トノト」「アㇱコㇿ」がある。サケは言うまでも無く日本語だが、トノトも和人の有力者を意味する「トノ」(殿)から与えられた食べ物、飲み物の意があり、和人の影響下にある言葉と見なせる[105]。アイヌの酒は稗を麹で醸した醸造酒で、見た目や味はどぶろくに酷似している。

酒作りは、すべて女性の手で行われる。周囲からカッケマ(淑女・奥様)と尊崇される人徳備わった女性が担い手にふさわしい。反対に若い女性、特にメノコタスム(生理。直訳すれば「女の病」)は不浄とされ、作業には加われない[106]

酒の材料は、ピヤパ(稗)かメンクㇽ(黍)が最良とされる。まず大鍋で穀物を粥に炊き、人肌に冷めたところでを混ぜ込む。麹は和人との交易で入手するほか、稗、ドングリ、オオウバユリの球根を煮たものに桂の皮の粉末を振り掛けて自製した。なお、アイヌ語で麹を意味する言葉「カㇺタチ」は、日本語の古語で糀を意味する言葉「かむたち」と同一である[107]

酒を仕込んだシントコ塗りの)には、魔除けとして熾火を沈める。これはアペフチ(火の神)の分身をいただくことで酒を悪神から守り、仕込みの成功を祈る信仰である[106]。さらに魔除けとしてシントコの上にタシロ(山刀)やエムㇱを載せた上で、カムイプヤラ(チセの一番奥の神聖な窓)の傍に安置し、10日ほど置く。充分に発酵が進んだら先に仕込んだ消し炭を炉に返したのち、もろみをイチャリ()で濾し、シラリ(酒粕)を分離して完成させる[108]。酒はサケピサㇰ(酒柄杓)でかき混ぜてエトウヌㇷ゚(片口)に取り、イタンキ()に注ぐ[109]。神に酒を捧げる際は、タカイサラ(天目台)に載せたイタンキの酒にイクパスイ(奉酒箆)を浸し、イナウに塗り付ける。イクパスイを介することで、人間界では一滴の酒が天界には一樽分もの量になって届くとされた[110]。アイヌにとって酒は「神と共に、皆で味わうもの」とされる。独りでの手酌酒はあり得ない行為だった[105]

静内町など日高地方のアイヌには、「津波の神は酒粕を嫌う」との伝承があった。そのため家の周囲に酒粕を撒き、津波除けのまじないとした[111]

飲料

ホオノキの実・煎じ汁を飲用にする

「茶」と言ってもツバキ科の常緑樹チャ」の葉を加工した飲料ではなく、冷帯気候の北海道に自生する木の実や皮、薬草の煎じ汁(茶外茶)である[3]

アイヌ民族はプㇱニ(pusni ホオノキ)の枝や実、オマウクㇱニ(omawkusni コブシ)の皮や枝、スムヌハㇱ(sumnuhas クロモジの枝)、キキンニ(kikinni エゾノウワミズザクラ)の皮、ハㇱポ(haspo イソツツジの葉)、エント(ento ナギナタコウジュの茎葉)、ウペウ(upew イブキボウフウの根)、ピットク(pittok オオハナウドの根)、ムヌシ(munusi エゾオオバセンキュウの根)を、煎じて茶のように飲んでいた[3][112]。また海岸に寄り上がるチㇷ゚ラス(ciprasu クスノキ)も、同様に使われた[note 5]樺太地方ではヌフチャ(nuxca カバフトツツジの茎葉)、オタルフニ(otaruxni ハマナスの木)の削り花の綿、キナカオホニ(kinakaoxni エゾイチゴの茎葉)が煎じて飲まれていた[33]

近代以降は本州から移入された日本茶が広く飲まれるようになった。

樹液

シラカバの幹。樹液を飲用とするほか、脂分を含んだ樹皮は剥いで編み、松明として用いた。

北海道に自生する樹木の中には、甘い樹液を蓄えたものもある。アイヌはこれら樹木のニワッカ(樹液。訳すれば「木の水」)を飲料や調味料に用いた。

春先のカパッタッニ(kapattatni シラカバの幹)に傷を付ければ、大量の樹液が流れ出す。この樹液をタッニ・ワッカ(tatni wakka シラカバの水)と呼び、周囲に水場がない場所で野営する際の炊事の水に用いていたが、このシラカバ樹液に刻んだシケㇾペキナ(ヒメザゼンソウ)を入れて風味を付け、飲用とすることも行われていた[112]。樺太アイヌは、放置して固まりかけたシラカバ樹液にクロスグリの汁を入れて発酵させ、酒を造った。

北米のサトウカエデと同じ種に属するトペニ(イタヤカエデ。アイヌ語で「乳の木」の意)の幹に傷をつければ、甘みのある樹液が流れ出す。冬期のトペニの幹に傷を付けて得られた「樹液のつらら」をアイスキャンデーのように楽しむほか、煮詰めて甘味料として使用する。これで豆や菱の実を煮込んだ料理は、上等のラタㇱケㇷ゚として好まれた[113]。明治以降の砂糖の流入で樹液利用も廃れたが、太平洋戦争時の物資不足の折には樹液利用が一時的に復活したという。

煙草

タンパク・オㇷ゚(煙草入れ)

煙草アイヌ語で「タンパク」(tampaku)といい、和人との交易で漆器や鉄製品、米、綿織物とともに入手していた。ごく少数、アイヌ自らが栽培していた「トイタタンパク」(toyta tampaku)もあった[112]。「トイタ」(toyta)は畑仕事の意で「自ら栽培した煙草」という意味合いである。

幌別地方では、栽培している煙草を「アエトイタ・タンパク」(aetoyta tampaku)と呼び、野生化したタバコをヤイトゥッカ・タンパク(yaytukka tampaku)と呼ぶ[33]

煙草は刻んでからキセリ(kiseri 煙管)に詰めて使用された。クッタㇻ(kuttarイタドリ)、ハッハㇺ(hatham ヤマブドウの葉)、ウペウ(upew イブキボウフウ)、エフルペㇱキナ(ehurpeskina コタニワタリ)を混ぜることもあった[33]。 また煙草の代用品としてオイナマッキナ(oynamatkina ノブキ)、ハㇱポ(haspo イソツツジ)、リヤハㇺ(riyaham キバナノシャクナゲ)、リヤエムㇱ(riyaemus エゾユズリハ)、エフルペㇱキナ(コタニワタリ)が使われることがあった[33]

煙管は交易で入手するほか、中が空洞になっているラスパ(rasupa ノリウツギ)の枝で自製したニキセリ(nikiseri 木煙管)もあった[112]

アイヌの言い伝えでは、人間が好む煙草は神や妖怪もまた好むものとされていた。そこで儀式の際はカムイに煙草を捧げる。また、山の中でキムンアイヌ(kimun aynu 雪男のような妖怪)やミントゥチ(mintuci 河童)に遭遇した際も、煙草を差し出せば悪さをされないばかりか、猟運や宝物を授けてくれるという[114][115]


  1. ^ 松浦武四郎は自著『東蝦夷日誌第四編』に、安政5年(1858年)夏に日高国での体験として、「静内新冠の分水嶺となる山中の草原を見下ろせば、三丁四方が赤く染まっていた。同行の土人(ママ)に尋ねたところ、彼はすぐさま弓矢を携えて駆け出していく。途端に赤い集まりは八方に四散した。赤い枯草の連なりと見たのは、鹿の群れだったのだ。その数は万に及ぶだろう」と書き残している。
  2. ^ 平成19年、厚真町のニタップナイ遺跡の発掘調査で、江戸時代初期の地層からエゾシカの頭骨が25頭分、雄と雌に分別した上で4-5段に積み上げられた状態で出土した。これは「送り儀礼」に関わる頭骨の安置場所と推定されることから、エゾシカにおける「神格」の有無は時代により変化したとの見方もある。(『アイヌ史を問い直す』p75-77より。)
  3. ^ エゾエンゴサク(アイヌ語名:トマ)は、アイヌが古くから食用としてきた山菜である。芋状にふくれた根を煮て、獣脂や魚油をつけて味わう。
  4. ^ アイヌ語では心臓を「サンペ」と呼ぶ。鮭の心臓はじめ内臓を入れた「サンペの汁物」が、「三平」の語源、三平汁の起源である、との説がある。
  5. ^ 『分類アイヌ語辞典 植物編』p135より。気候が寒冷な北海道ではクスノキは生育しない。しかし海岸に打ち上げられる木片の中に特別に香気に優れた物を見出すことで、クスノキという植物の存在は知られていた。クスノキのアイヌ語名「チㇷ゚ラス」は、直訳すれば「船の削り屑」である。松浦武四郎は『後方羊蹄日記』に「札幌岳の山頂に奇妙な木が生えていた。文化年間にあるアイヌがその枝葉を持ち帰ったことで、クスノキだということが判明した。神が内地から持ち帰って植えた物だろうとのことだ。」との伝説を書き残している
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