アイヌ料理
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アイヌ料理の現在
今まで述べてきたアイヌ民族の食生活は江戸時代後期から明治初期頃までの例である。以降は明治時代に本格化した開拓事業やエゾシカ大量死などの自然災害などによって、猟の獲物も腹を満たすほどには得られなくなった。現在のアイヌ民族は周囲の和人と殆ど差のない食生活を送っている[119]。
しかし山間部に住むアイヌ民族にとっては、春の山菜狩りは今なお一大イベントである。先祖と同じくギョウジャニンニクを大量に採集し、おひたし、酢味噌和え、卵とじ、醤油漬けなど和人の調理法を取り入れて賞味している。
前述のオハウ(汁物)は味噌を加えられ味噌汁と同化したが、それでも食生活の中では重要な位置を占めている。ラタシケㇷ゚は獣脂や魚油の代わりにバターを使用し、ポテトサラダ風になって現在でも親しまれている。ミキサーを使ってオオウバユリの球根をすり潰し、抽出した澱粉を中華料理やコーンスープのとろみ付けに使う例もあるという[119]。
アイヌ料理の伝統は、形をかえつつも今なお伝承されているのである。
アイヌ料理が食べられる店、イベント
北海道
北海道南西部の白老町にある「ウポポイ(民族共生象徴空間)」や北海道東部「阿寒湖アイヌコタン」の飲食店などで味わうことができる[120][121]。「チセのある個室居酒屋 海空のハル」には、当時の食事を再現した伝統食セットがある[122]。駅弁などとして、イベント的に期間限定で販売・提供されることもある[123]。
東京
新宿区新大久保のアイヌ料理・北海道創作料理店「ハルコロ」は、首都圏におけるアイヌ文化の拠点的な役割も果たしている[124][125]。「ハルコロ」の前身は「レラ・チセ(風の家)」(1994 - 2009)であり、この店で働いていた母子が2011年に開店した[126][127]。「チャランケ祭」などのイベントにも屋台を出店する[125][128]。
大阪
大阪道頓堀の『魔女の厨房 CAULDRON (コルドロン)』には、チタタㇷ゚作りを体験できるコースがある[129]。
- ^ 松浦武四郎は自著『東蝦夷日誌第四編』に、安政5年(1858年)夏に日高国での体験として、「静内、新冠の分水嶺となる山中の草原を見下ろせば、三丁四方が赤く染まっていた。同行の土人(ママ)に尋ねたところ、彼はすぐさま弓矢を携えて駆け出していく。途端に赤い集まりは八方に四散した。赤い枯草の連なりと見たのは、鹿の群れだったのだ。その数は万に及ぶだろう」と書き残している。
- ^ 平成19年、厚真町のニタップナイ遺跡の発掘調査で、江戸時代初期の地層からエゾシカの頭骨が25頭分、雄と雌に分別した上で4-5段に積み上げられた状態で出土した。これは「送り儀礼」に関わる頭骨の安置場所と推定されることから、エゾシカにおける「神格」の有無は時代により変化したとの見方もある。(『アイヌ史を問い直す』p75-77より。)
- ^ エゾエンゴサク(アイヌ語名:トマ)は、アイヌが古くから食用としてきた山菜である。芋状にふくれた根を煮て、獣脂や魚油をつけて味わう。
- ^ アイヌ語では心臓を「サンペ」と呼ぶ。鮭の心臓はじめ内臓を入れた「サンペの汁物」が、「三平」の語源、三平汁の起源である、との説がある。
- ^ 『分類アイヌ語辞典 植物編』p135より。気候が寒冷な北海道ではクスノキは生育しない。しかし海岸に打ち上げられる木片の中に特別に香気に優れた物を見出すことで、クスノキという植物の存在は知られていた。クスノキのアイヌ語名「チㇷ゚ラス」は、直訳すれば「船の削り屑」である。松浦武四郎は『後方羊蹄日記』に「札幌岳の山頂に奇妙な木が生えていた。文化年間にあるアイヌがその枝葉を持ち帰ったことで、クスノキだということが判明した。神が内地から持ち帰って植えた物だろうとのことだ。」との伝説を書き残している
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