アイヌ料理
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おもな料理
オハウ ohaw(煮込み汁)
獣肉や魚肉、山菜、野菜を鉄鍋で煮込んだ汁物。単なるスープに留まらず、鍋料理とも言えるほど具沢山の汁物で、主食が存在しない狩猟・漁撈民族であるアイヌの食生活の中心を成す料理だった。北海道の郷土料理として名高い石狩鍋、三平汁の起源とも言われている[note 4][65][66]。 具材に特に決まりはないが、大体以下の様な方法で調理される[67]。
- 鍋に水を張り、獣骨や小魚の焼き干しを入れて火にかけ、出汁を取る。
- 大まかに切り分けた肉、魚を入れて煮る。乾肉、乾魚の場合は時間をかけて煮る。肉や魚のアクは一種の薬効成分と考えられているので、取り除かない[68]。
- 野菜は根菜などの煮えにくいものから入れ、つぎに繊維の多い山菜、そして葉物野菜を入れる。それらが柔らかくなるまで煮込む。
- 動物性脂肪、魚油、少量の塩で味を整え、最後に風味付けとして焼き昆布の粉末、乾燥させたプクサ(ギョウジャニンニク)をふりかける。
※肉のアクが気になるようであれば、後から入れる野菜や薬味に吸わせる[68]。
中心となる具材からそれぞれ「チェㇷ゚オハウ」(cep ohaw 魚汁)、「カㇺオハウ」(kam- 肉汁)、「カムイオハウ」(kamuy- 熊汁)、「キナオハウ」(kina- 野菜汁)などと呼ばれていた。ニリンソウは汁と相性が良いため「オハウキナ」(ohawkina 汁の草)と呼ばれ、具材として特に好まれていた[69]。
「オハウ」とロシア語「ウハー」(魚のスープ)
ドブロトウォルスキー[70]の『アイヌ語・ロシア語辞典』は、アイヌ語の「yхау(ウハウ)」はロシア語の「уха(ウハー)の意味であるとしており[71]、この辞典は「o」と「u」の音の混同が見られることが指摘されている[72]。2つの言語に似た単語が存在する場合、同じ祖語に発する同根語[73]の場合や、交流を通して取り入れられた借用語[74][75]の場合が考えられる[76]。アイヌ語の言語系統は不明だが[77]、ロシア語の「ウハー(魚のスープ)」は、古代スラヴ語で「スープ(液体)」を意味する「jucha」を語源としており、その語頭の「j」が落ちたものである[78][79][80]。「jucha」はさらに「煮汁、スープ」を意味するインド・ヨーロッパ語共通の語彙にまでさかのぼることができる[81]。また、アイヌ民族はオオウバユリの根を加工してオハウに入れ澱粉を摂取するが、同様にロシア・ハバロフスク地方の少数民族ナナイがウハー(уха)に植物の根を入れて澱粉を摂取しており、これは北方民族に広く伝わる食習慣であった[82]。
ラタㇱケㇷ゚ rataskep(野草による煮物や和え物)
直訳すれば「混ぜたもの」。山菜や野菜、豆類を柔らかく汁気が無くなるまで煮込み、軽く潰してから獣脂、魚油、少量の塩で味を整えた料理[83]。 日常食としても作られるが、儀式の供物や振る舞いには欠かせない、ハレ食である。
使用する材料によって限りない種類がある[83]。
- シケㇾペキナラタㇱケㇷ゚ sikerpekina rataskep
- 乾燥させたシケㇾペキナ(ヒメザゼンソウ)を湯で戻してから、弱火で数時間、汁気が無くなるまで炊く。食べやすい大きさに刻み、獣脂と塩少量で味を整える。
- プクサラタシケプ pukusa rataskep
- 豆を柔らかくなるまで炊き、プクサ(ギョウジャニンニク)の茎を加えてさらに炊く。獣脂と塩で味を整える。
- チスイェラタㇱケㇷ゚ cisuye rataskep
- 初夏に採集したチスイェ(アマニュウ)で作る。豆を炊いて柔らかくなったところにチスイェを加えてさらに炊き、獣脂と魚油で味を整える。
- カンポチャラタㇱケㇷ゚ kampoca rataskep
- 豆を柔らかくなるまで炊き、切干にして保存しておいた南瓜を水で戻して入れ、さらに炊く。南瓜が煮崩れたところで、塩と魚油で味を整える。香辛料としてシケレペ(キハダ)の実をふりかける。
- チポㇿラタㇱケㇷ゚ cipor rataskep
- 「チポㇿイモ」とも呼ばれる料理。馬鈴薯は皮ごとゆでる。別の鍋にチポㇿ(筋子)を入れ、弱火で潰しながら半煮えにする。茹で上がった馬鈴薯は皮をむいて厚切りにし、先ほどの煮えたチポロを入れ、塩を加えてよく混ぜる。
- ニセウラタㇱケㇷ゚ nisew rataskep
- ニセウ(どんぐり)は殻を取り、渋皮つきのまま数回ゆでこぼしてアクを抜く。ここにあらかじめ水戻ししておいた豆を水と共に入れ、沸騰したら煮汁を捨てる。再度水を注いで全体が柔らかくなるまで煮込み、玉蜀黍の粒を入れてさらに煮る。好みの柔らかさになったら米の粉を入れ、全体を練り上げる。塩と脂で味を整え、出来上がり。
なお、チエトイ(珪藻土。アイヌ語で「我ら食べる土」の意)で山菜類を和えた食品も、珍味として好まれていた[84]。
サヨ sayo(粥)
ピヤパ(稗)やシアマム(米)で炊いた薄い粥。大抵は穀物のみで炊かれるが、山菜などを炊き込む場合もある。農耕民族のような主食としての粥ではなく、脂こい汁物や焼肉、焼き魚で腹を満たしたのち、「口直し」として茶のように啜られるものである[85]。そのため脂気が混じらないように、それ専用の小鍋で炊かれる。盛り付けの際も、掬うカスㇷ゚(お玉杓子)は汁用とは別のサヨカスㇷ゚(粥杓子)を用い、汁の味が混ざらないよう気を配った[3]。穀物の利用は薄い粥が中心だったため、一人あたりの穀物消費量は1か月で1升、5人家族でも年に6斗あれば事足りた[86]。
このサヨには、以下の種類がある[85]。
- トゥレㇷ゚サヨ turep sayo
- トゥレㇷ゚(オオウバユリ)から澱粉を採集した際の澱粉滓を醗酵させた保存食オントゥレㇷ゚(on turep)を入れた粥。まず硬く乾燥したオントゥレㇷ゚を臼で搗き砕き、水で戻す。水の沈殿物で直径3センチほどの団子を作り、稗の薄い粥に入れてさらに炊く。
トゥレㇷ゚の球根の鱗茎を入れた粥も、同じ名前で呼ばれる。 - イルㇷ゚サヨ irup sayo
- オオウバユリのイルㇷ゚(澱粉)を団子にして入れた粥。
- エントサヨ ento sayo
- 山菜の一種であるエント(ナギナタコウジュ)を入れた粥。独特の香気が好まれる。
- サッシラリサヨ satsirari sayo
- トノト(どぶろく)を作ったときにできるシラリ(酒粕)を、粥に入れる。
- キキンニサヨ kikinni sayo
- キキンニ(エゾノウワミズザクラ)の皮を入れた粥。
- チポㇿサヨ cipor sayo
- 米で粥を炊き、チポㇿ(イクラ)を入れる。生イクラを使ったチポㇿサヨは、秋にしか食べられないごちそうである。それ以外の季節は、サッチポㇿ(sat cipor 乾燥筋子)を入れた粥を作る。
シト sito(団子)
団子。名称の「シト」は、大和言葉でペースト状にすりつぶした生の穀物や団子をさす「しとぎ」と同系統とされている[3][87]。かつて穀物の精白や製粉を臼による手作業でこなしていた時代は、その手間ゆえに贅沢な食品であり、日常の食品としてよりもイオマンテ(熊送り)やイチャルパ(祖霊祭)その他、ハレの日の供物やご馳走して作られることが多かった[88]。
材料はメンクㇽ(黍)、ムンチロ(粟)、シアマㇺ(米)。メンクㇽで作られた物を本式とする。時代が下がればエモ(馬鈴薯)、カンポチャ(南瓜)も材料として加わった。日本の草餅と同じく、ノヤ(ヨモギ)を混ぜ込んだ「ノヤシト」も春の味として好まれていた[69]。
作り方は以下の通り[89]。
- 精白された穀物を一晩水に漬ける。水から上げたのち、一晩水を切る。
- 穀物を臼に入れ、数人でイウタウポポ(杵搗き歌)を唄い調子を取りながら搗いて粉にする。
- 出来上がった粉を湯で練上げ、直径7、8センチ、厚さ1センチほどの大きさに丸める。
- 大鍋に沸かした湯で、鍋底に焦げ付かないように注意しながら茹で上げる。
茹で上がったシトは、供物にするならばそのままシントコ(sintoko 行器、漆塗りの桶)、パッチ(patci 木鉢)、オッチケ(膳)に盛り付けるか、ミズキの串に刺した巨大な串団子「ニッオシト」にして神前に捧げる[88]。人間が食べる際は、チポㇿ(イクラ)を半潰しにしたものか、焼いた昆布を砕き、脂で練ったタレをつける[90]。
シトの食品としての歴史は古く、厚真町で発見された擦文時代の遺跡からもアワ製の団子が発見されている[46]。一方でアイヌの伝統的な食文化に蒸した穀物を臼で搗き潰した「餅」は存在しなかった。アイヌが日本式の餅に接したのは、場所請負制などで和人の往来が増えた江戸時代後期以降である[91]。
チタタㇷ゚ citatap(肉や魚のたたき)
チタタㇷ゚というアイヌ語を訳すれば、「チ・タタ・ㇷ゚」(ci-tata-p 我々が・たくさん叩いた・もの)。その名の通り、魚のたたきである。
以下は、代表的な作り方[92]。
- 鮭のアラ、頭、白子をイタタニ(丸太を輪切りにして作った俎板)に乗せ、鉈のような重みのある刃物で刻み、叩く。
- ペースト状になるまで叩いたら葱、メンピロ(ノビル)、プクサ(ギョウジャニンニク)のみじん切りを薬味として加える。
- 焼き昆布と塩で味を整える。
鮭以外でも、スプン(ウグイ)、ウッタㇷ゚(カスベ)、イチャニウ(マス)、チマカニ(カジカ)などあらゆる魚、さらにユㇰ(鹿)、キムンカムイ(ヒグマ)、モユㇰ(狸)、イソポカムイ(兎)、さらにルオㇷ゚(シマリス)などの獣肉も刻んで薬味を加え、チタタㇷ゚に加工された。老いた獣の肉は固いことが多いので、チタタㇷ゚に加工すれば食べやすい[93]。
食品が傷みにくい冬期には大量にチタタㇷ゚を作り、数日間かけて食べた。これらチタタㇷ゚の鮮度が落ちた場合は、つみれのように汁に入れる[94]。
イオマンテ(iomante)の際は、熊の脳のたたき「チノイペコタタㇷ゚」が作られる。材料は熊の頬肉、脳味噌、葱、塩。儀式で飾り付けた熊の頭から脳味噌を取り出し、あらかじめゆでて刻んだ熊の頬肉と混ぜる。薬味として葱を効かせ、塩で味付けする。熊送りの際しか作られない貴重な料理なので、量も少ない。儀式を司るコタンの有力者から、掌に直に下賜される[95]。1952年、旭川近文アイヌの長・川村カ子トからこの料理(ここでは「ノイペフイベ=生の脳味噌」の名で記されている)を振舞われた動物学者の犬飼哲夫は、「クマを神とするアイヌの信仰からくる心理的影響が大きいからで、我々には通用しない味である」と感想を述べている[96]。
- ^ 松浦武四郎は自著『東蝦夷日誌第四編』に、安政5年(1858年)夏に日高国での体験として、「静内、新冠の分水嶺となる山中の草原を見下ろせば、三丁四方が赤く染まっていた。同行の土人(ママ)に尋ねたところ、彼はすぐさま弓矢を携えて駆け出していく。途端に赤い集まりは八方に四散した。赤い枯草の連なりと見たのは、鹿の群れだったのだ。その数は万に及ぶだろう」と書き残している。
- ^ 平成19年、厚真町のニタップナイ遺跡の発掘調査で、江戸時代初期の地層からエゾシカの頭骨が25頭分、雄と雌に分別した上で4-5段に積み上げられた状態で出土した。これは「送り儀礼」に関わる頭骨の安置場所と推定されることから、エゾシカにおける「神格」の有無は時代により変化したとの見方もある。(『アイヌ史を問い直す』p75-77より。)
- ^ エゾエンゴサク(アイヌ語名:トマ)は、アイヌが古くから食用としてきた山菜である。芋状にふくれた根を煮て、獣脂や魚油をつけて味わう。
- ^ アイヌ語では心臓を「サンペ」と呼ぶ。鮭の心臓はじめ内臓を入れた「サンペの汁物」が、「三平」の語源、三平汁の起源である、との説がある。
- ^ 『分類アイヌ語辞典 植物編』p135より。気候が寒冷な北海道ではクスノキは生育しない。しかし海岸に打ち上げられる木片の中に特別に香気に優れた物を見出すことで、クスノキという植物の存在は知られていた。クスノキのアイヌ語名「チㇷ゚ラス」は、直訳すれば「船の削り屑」である。松浦武四郎は『後方羊蹄日記』に「札幌岳の山頂に奇妙な木が生えていた。文化年間にあるアイヌがその枝葉を持ち帰ったことで、クスノキだということが判明した。神が内地から持ち帰って植えた物だろうとのことだ。」との伝説を書き残している
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