軍隊改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 03:10 UTC 版)
アプトンは19世紀はもちろんアメリカ史でもアメリカ陸軍の最も影響力ある若い改革者の一人と考えられている。アメリカ海軍の改革者で戦略家のアルフレッド・セイヤー・マハンに対して陸軍のマハンとも呼ばれてきた。戦術やアジアとヨーロッパの軍隊に関する著作は影響力あるもとの考えられたが、その最大の功績は『1775年以降のアメリカ合衆国の軍事政策』だった。アプトンはこの著作に何年も費やしたが、1881年の死の時には未完だった。 『1775年以降のアメリカ合衆国の軍事政策』は議論の多い作品であり、アメリカ合衆国の軍事史を概説し、軍隊は無分別で弱いものであり、「アメリカ軍の制度の欠陥全ては基本的な、潜在的弱点である過剰な文民統制にある」と主張した。陸軍長官の影響力を過小評価し、戦場での軍事的決断は職業士官によって成されるべきであるという考え方を推奨し、ただし、大統領は総司令官の役割を保つべきであるとした。戦時には志願兵や徴兵で補充される強く常設の正規軍、プロイセン参謀本部に基づく一般幕僚のしくみ、昇進を決定する試験、ある年齢に達した士官の強制退役、先進的な軍事教育および3個大隊の歩兵連隊4個による戦闘展開を論じた。アプトンの作品は軍隊と民間の戦略に長い間豊富な影響を与え続けた。 アプトンの死後、ウェストポイントの同級で近しい友人だったヘンリー・A・デュポンが未完原稿の写しを手に入れた。それが軍隊の士官達の間で回し読みされ、多くの議論を助長することになった。米西戦争後、陸軍長官エリフ・ルートがこの原稿を読み、陸軍省に『アメリカ合衆国の軍事政策』と題して出版するよう命じた。20世紀初期のいわゆるルート改革と呼ばれるものの多くはアプトンとその著作に着想されたものである。
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