瑞祥
読み方:ズイショウ(zuishou)
めでたいしるし
瑞兆
瑞祥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 09:48 UTC 版)
魏の嘉平年間(249年 - 254年)、劉豹の妻である呼延氏が龍門において子宝が授かるように祈っていると、突如としてその前に頭に2本の角がある1匹の大きな魚が現れた。その魚は鱗を躍らせながら祭壇に上り、その後しばらくして去っていった。彼女はこの事について巫に尋ねると、みな一様に「これは吉兆ですぞ」と告げた。その夜、呼延氏は不思議な夢を見た。その内容は、昼間に目撃した魚が人に変貌すると、左手に持っていた鶏卵の半分程の大きさの光る物を呼延氏に手渡して『これは日の精である。これを飲めば、優れた価値のある子を産むことが出来るだろう』と告げた。呼延氏は目が覚めてから劉豹に夢の話をすると、劉豹は「良い夢を見たな。私がかつて邯鄲にいる張冏の母司徒氏の下に行った時、彼女はひとつの予言をした。私の子孫は高貴な身分となり、3代のうちに必ず大いに栄えると。お前の夢はこれと合致する」と喜んだ。それから13ヶ月して劉淵が生まれた。その左手には『淵』という紋様が浮き出ていたので、それをもって名前を付けたという。
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瑞祥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 14:56 UTC 版)
ある時、李雄の母である羅氏は、2つの虹が門から天へと道を作り、その途上で1本が途切れる夢を見た。その後、李雄の兄である李蕩を生んだ。またある時、羅氏は水を汲みに行き、うっかり眠り込んでしまった。その時、大蛇がその体にからみつくという夢を見た。その後、妊娠していた事が分かり、14ヶ月後に李雄を生んだ。羅氏はいつも2人の子のどちらかが亡くなれば、残った方は大富貴に至るであろうと語っていたという。その予言の通り、李蕩が303年に亡くなると、李雄は成漢皇帝に至ったという。
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瑞祥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 03:41 UTC 版)
安帝を殺して恭帝を推戴したのは、劉裕が「昌明(孝武帝の字)の後、なお二帝あり」という予言を気にしたためである、という。 元興3年(404年)から元熙元年(419年)にかけ、金星が昼間に見えることが7回あった。それは占いによれば「皇帝の姓が変わる兆しである」と解釈された。 義熙7年(411年)、東の空に五つの虹がかかった。これは天子が廃され、新たな聖人が迎えられる兆しである、とされた。 義熙9年(413年)、土星・木星・金星・火星が一か所に集合した。惑星集合は大いなる乱の起こりと、新たなる覇者の誕生を兆すとされていた。 義熙13年(417年)、土星が太微垣に入る。占いでは「新たな王が立つ兆しである」とされた。 元熙元年(419年)の冬、黒龍が四体、天に登った。「冬に龍が見えるのは、新たな王者が天命を授かる兆しである」とされた。
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