Visceral Gamesへのブランド変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/14 08:24 UTC 版)
「Visceral Games」の記事における「Visceral Gamesへのブランド変更」の解説
『DEAD SPACE』は大きな成功を収め、2009年にスタジオはVisceral Gamesへと改称されることになった。これに伴い、スタジオはEA Gamesから離れ、EAの下で独立した部門となった。デッドスペースのような三人称視点のアクションゲームを開発することに重点を置いた、EAにおける最初のジャンルスタジオとなった。また、ブランド変更と平行して、ケベック州モントリオールにVisceral Montreal、オーストラリアメルボルンにVisceral Melbourneと、2つの姉妹スタジオが設立された。 ディヴァイン・コメディに触発された作品である『ダンテズ・インフェルノ』と並行して、2009年、スタジオは切り裂きジャック(The Jacket the Ripper)に触発された『The Ripper』というタイトルの計画を発表した。しかし、『The Ripper』は2009年の早い段階で中止されたことが確認されている。業界の噂では、そのプロジェクトが中止される前、Visceral Melbourneにおいて『Blood Dust』の計画引き伸ばしが行われていることを示唆した。2011年9月19日、Visceral Melbourneは閉鎖された。 2010年にリリースされた『ダンテズ・インフェルノ』はさまざまな評価を受け、その後、デッドスペースシリーズへと戻り、2011年に続編となる『Dead Space 2』をリリースした。前作と同様に続編も大きな成功を収めたが、スタジオが閉鎖された後の2017年に、この作品がEAにとって「財政的な失望」とみなされていたことが明らかになった。当時レベルデザイナーを務めていたZach Wilsonによると、開発コスト約4700万ドルと同等のマーケティング予算を掛けていたが、それに対する売上高が400万本と十分に回収できなかったと見積もった。 スタジオは最初の作品と同じような方法で続編の『Dead Space 3』の制作を続けたが、Wanatによれば、このアプローチや作品にチームによる協力プレイを導入するなどといった大きな変化は、EAにとっては懸念があった。それは、ゲーム展開をより速くし、幅広い消費者層にアピールできるような作品にすることであるが、ホラーシャンルシリーズのルーツとは相反するアプローチであった。2013年にリリースされ概ね好意的であったが、前作よりもはるかに少ない売上となった。2013年7月、EAの副社長であるパトリック・ソダーランド(英語版)はインタビューで、デッドスペースは貴重なブランドであり続ける。『Dead Space 3』に続く4作目の制作は取り組んでいないが、代わりに2つの新しいプロジェクトが割り当てられていると述べた。 スタジオはVisceral Montrealと共同で『Army of TWO ザ・デビルズカーテル』を開発していた。そのプロジェクトが完了した2013年2月21日、EAはVisceral Montrealを解散させた。もう1つのプロジェクトは、バトルフィールドシリーズで警察と犯罪者の戦いを描いた『バトルフィールド ハードライン』であった。その後は小さなチームとなり、海賊をテーマにした「Jamaica」と呼ばれるプロジェクトに取り掛かった。
※この「Visceral Gamesへのブランド変更」の解説は、「Visceral Games」の解説の一部です。
「Visceral Gamesへのブランド変更」を含む「Visceral Games」の記事については、「Visceral Games」の概要を参照ください。
- Visceral Gamesへのブランド変更のページへのリンク