The road not taken(選ばれざる道)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:55 UTC 版)
「ロバート・フロスト」の記事における「The road not taken(選ばれざる道)」の解説
黄色い森の中で、道が二つに分かれていた 残念ながら、両方の道を進むことはできない ひとりで旅する私はしばらく立ちどまり、 片方の道をできるだけ奥まで見ると、 その道は、先で折れて草むらの中に消えていた 次に、もう一方の道に目をやった こちらも劣らず美しいし、 むしろ良さそうに見えたのは、 草が生い茂っていて踏み荒らされていなかったからだ。 もっとも、それを言うなら、その道を通る事によって 実際にはどちらもほとんど同じように踏み均されてしまうのだが。 あの日、どちらの道も同じように、 まだ踏まれずに黒ずんでいない落ち葉に埋もれていた。 あぁ、私は最初の道を、別の日のために取っておくことにした! しかし、道が先へ先へと続いていることは分かっていたから、 この場所に戻ってくるかどうかは、疑わしかった。 この先、私はため息まじりに語り続けるつもりだ。 今から何年、何十年先になっても言い続けるつもりだ。 ずっと昔、森の中で道が二手に分かれており、私は――― 私は、踏みならされていない道を選んだ。 そしてそれが、決定的な違いを生んだ。
※この「The road not taken(選ばれざる道)」の解説は、「ロバート・フロスト」の解説の一部です。
「The road not taken(選ばれざる道)」を含む「ロバート・フロスト」の記事については、「ロバート・フロスト」の概要を参照ください。
The road not taken
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:55 UTC 版)
「ロバート・フロスト」の記事における「The road not taken」の解説
この詩は、1916年にMountain Interval(英語版)に収録された物語詩の作品である。フロストは1912年から15年の間を英国で過ごし、そこで同じく詩人であるEdward Thomasと親しくなる。フロストは1915年にニューハンプシャーに戻った後、この詩の初稿を彼に送った。この詩を彼は個人的に深く受け止め、そして第一次世界大戦に従軍するという決断に大きな影響を与えた。その後、Thomasは2年後にアレスの戦い(英語版)で戦死している。 アメリカの多くの子供は、彼の詩であるThe road not taken(選ばれざる道)を学ぶ。 それは、長年にわたって親しまれ、彼の詩の中でもっとも有名なものとなっている。しかし、研究者の中には、これは最も誤解されている詩であると言う人もいる。この詞は、自由意志を重んじ「自らの道を進め」という内容の詩ではなく、フロストの代名詞でもある、アイロニーに満ちた諦観に満ちた詩であるのだと彼らは述べている。 最後のスタンザで、語り手は「今から何年、何十年先に」老人なった時、この物語を「ため息」と共に語り続けると述べている。「ため息」は後悔か満足のどちらかを表す表現であるが、原文において明言はされていないのである。 フロストの伝記を記したLawrence Thompsonによると、フロスト自身が一度この詞を朗読した際に、観客に向かって"You have to be careful of that one; it's a tricky poem — very tricky," と、この詞に皮肉が含まれている可能性があると仄めかした。と述べている。
※この「The road not taken」の解説は、「ロバート・フロスト」の解説の一部です。
「The road not taken」を含む「ロバート・フロスト」の記事については、「ロバート・フロスト」の概要を参照ください。
- The road not takenのページへのリンク