粛宗 (高麗王)
(Sukjong of Goryeo から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/18 10:11 UTC 版)
粛宗 王顒 | |
---|---|
高麗 | |
第15代国王 | |
王朝 | 高麗 |
在位期間 | 1095年11月7日 - 1105年11月10日 |
諡号 | 文恵康正明孝大王 |
廟号 | 粛宗 |
生年 | 重熙23年7月28日 (1054年9月2日) |
没年 | 乾統5年10月2日 (1105年11月10日) |
父 | 文宗 |
母 | 仁睿王后 |
陵墓 | 英陵 |
粛宗(しゅくそう、1054年9月2日 - 1105年11月10日)は第15代高麗王(在位:1095年 - 1105年)。姓は王、諱は顒、初名は熙、諡号は文恵康正明孝大王。
甥から得た王位
粛宗は1054年文宗と仁睿太后李氏(李子淵の長女)の三男に生まれた。第12代順宗と第13代宣宗の弟。1095年に実権を握り、幼弱な甥である献宗に代わって王になった。
治世
正当な王位継承ではなかったが、粛宗は強力な王権によって高麗を安定させた。1101年には南京(現在のソウル)を新しく建設するために南京開創都監を設け、権力をさらに拡大しようとした。また貨幤政策として、入宋僧で実弟の義天の進言を容れ鋳銭都監を設置し、1102年に海東通宝、三韓通宝、海東重宝を鋳造した。
粛宗の時は東アジアの情勢が急変し、北方で成長する女真族が高麗と国境を接するようになって、戦争の繰り返しを避けることができなくなった。
粛宗は軍隊養成に力を注いだが、1105年に西京(現在の平壌)にある東明聖王(高句麗の初代王)の墓地を参拝して開京に戻る途中、車の中で死んだ。粛宗の墓は開京(現在の開城)にある英陵である。
家族
后妃
- 明懿王后柳氏
子女
- 睿宗
- 上党侯 王佖
- 円明国師
- 帯方公 王俌
- 大原公 王侾
- 斉安公 王偦
- 通義侯 王僑
- 大寧宮主
- 興寿宮主
- 安寿宮主
- 福寧宮主
「Sukjong of Goryeo」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
- Sukjong of Goryeoのページへのリンク