NHK経営委員長
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NHK経営委員長は、富士フイルムの幹部だった古森重隆の後任として就任したが、2010年暮れ以降、「もう年だから」と退任することを決めていた福地茂雄の後任となる会長の選任を巡って、様々な問題を引き起こした。結局松本正之を後任に据えたことを契機に、混乱を引き起こした責任を取るとして委員長を辞任しただけでなく、政府に対しても経営委員自体の辞表を提出する羽目となった。
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NHK経営委員長
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2007年6月、NHK経営委員に任命され、委員の互選により委員長に選出される。この人事は、当時の首相だった安倍晋三の強い意向によるものとされる[信頼性要検証]。 同年10月、経営委員会は、当時の執行部が作成した5ヵ年経営計画に対して、「抽象的、部分的な改善策ではなく、抜本的に踏み込んだ改革策が求められる。問題を先送りすることなく、正面から取り組まなければならない」として計画を承認せず、再提案を要請。また、新会長として福地茂雄の起用を提案。新たな執行部体制の構築を進めた。 2008年3月、国際放送に関して、「利害が対立する問題については日本の国益を主張すべきだ。国際放送をただ強化するだけでなく一歩踏み出せ」と発言した。 経営委員会における古森の活動や発言に対しては、強権的・政治的との批判があり、日本ジャーナリスト会議は2008年5月12日、古森の委員長辞任を要求する声明を出した。「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」などの市民団体は、2008年5月9日に、当時の首相・福田康夫に古森の委員長罷免を要求する文書を送付し、同年11月16日には、12月に任期満了となる古森の再任に反対する内容の申し入れ書を、麻生内閣の首相・麻生太郎宛てに送付した。 2008年11月11日の会見で、「私としてやれることは大体やれた」と発言。その後委員長の任期満了とともに経営委員自体も退任した。古森の任期は、本業の不祥事が原因で退任した前任者の残り期間であり、2008年12月21日で終わった。
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