LynxとEpyx社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 07:50 UTC 版)
「Atari Lynx」の記事における「LynxとEpyx社」の解説
もともとLynxはアタリではなく、米国のゲームソフトメーカー・Epyx社が開発していた。 Epyx社にはAmigaの開発に参加していたスタッフも在籍しており、この時期前後から将来を見据え独自のハードウェア構想を膨らませていく。そうした中、1987年頃から社内で"Handy"と呼ばれた携帯ゲーム機の開発に着手する。"Handy"は1989年1月に開催されたCES(Consumer Electronics Show)で公開され、上々の評価を得た。 しかしこの時期前後から、Epyx社がゲームをリリースしていたメインプラットフォームのコモドール64は販売不振に陥り、Epyx社のゲーム売上も減少していく。また、ハードウェア開発への多額の投資が祟り、負債を抱え始めていた。そのため"Handy"を商品化するにあたっては、外部企業の生産販売パートナーを探す必要があった。 交渉先の中には同年にゲームボーイをリリースする事になる任天堂もあった。基本性能の高さに興味を示すも、本体サイズと駆動時間、予想販売価格をネックに断られた。 そんな中、最終合意に至ったアタリコープが生産およびマーケティングを、Epyx社がソフト開発をすることで合意した。そして"Handy"をベースにいくつかの改良をし、1989年10月、"Lynx"を発表した。Epyx社が"Handy"の開発を始めて2年の歳月が流れていた。 同年、Epyx社の財政状況は改善せず、ついに破産。連邦倒産法第11章を適用されている。Epyx社は、倒産処理に従い1991年に自社の携帯ゲーム機である"Handy"に伴う多くの権利を売却("Handy"の権利を売却するにあたって、それをベースにした"Lynx"の権利を持つアタリコープ社との間で裁判にもなった)。最盛期には200人近くいた従業員も、財務処理の為8人を残し、その幕を閉じた。 なお、Epyx社のゲームの版権は2006年、ゲームソフト開発会社"System 3"が獲得。"カリフォルニア・ゲームズ"のリメイク版をニンテンドーDS、Wiiに投入することを発表している。
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