IT技術者、WIDEプロジェクトメンバーとして
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「徳川義崇」の記事における「IT技術者、WIDEプロジェクトメンバーとして」の解説
IT技術者として黎明期のインターネットの技術開発に関わり、WIDEプロジェクトのメンバー。吉村伸、村井純らと下掲の著作物がある。 1979年、学習院高等科時代に選択科目で初めてコンピューターに触れる。高等科に隣接する大学の大型計算機センタの汎用機・三菱MELCOM、OSはUTS/VSであった。 1980年、学習院大学入学時にNEC PC-8001を購入。プログラムの製作を開始し、アルバイトで事務計算や回帰分析のプログラム製作をおこなった。その後PC-9801でC言語を使い始める。 1984年、アスキーでアルバイトを開始。アスキーネットもこの時に使用を開始。 1986年、ダイデンインテリジェンステクノロジー(現在のディアイティ)でアルバイトを開始、その後就職。慶応大学の村井純と出会う。UniPress EMACSの日本語化に携わる。 1988年、WIDE Projectの活動が具体化し、JUS(Japan Unix Society)の幹事となる。 1989年、ディアイティがWIDE Projectに参加。この頃よりネットワーク研究を仕事として本格的に関わる。1990年9月、ディアイティのインターネット接続に成功。 1992年、JUNET協会を発足し、副会長に就任。初代会長は吉村伸。BSD/OS用のAPM/PCMCIAドライバ「Wildboar」の開発を開始。 1997年、家業が忙しくなりディアイティを退職。その後もWIDE Projectの研究活動は継続。
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