FA宣言選手への対応
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「広島東洋カープ」の記事における「FA宣言選手への対応」の解説
1993年に日本プロ野球でもFA制度が導入されたが、導入当初の広島は「FA権の行使後の残留(FA残留)は一切認めない」という方針であった。これは、FA権を行使した選手の年俸および契約金が翌年以降の活躍如何に拘わらず高騰してしまうリスクがあるためであり、資金力に乏しい広島の経営を圧迫する危険性があるからである。また、松田耕平前オーナーの『球団は家族。選手は子供。両天秤にかけて家族を選ぶ子供が居るだろうか』というチーム観が遺訓として残っているという事もある。しかし、選手にとっては他球団の評価を聞くにはFA権の行使が必要であるため、浅井樹(当時選手会長)や金本知憲などのベテラン選手はFA残留を認めるように球団と再三交渉をしてきたが、結局認められず、行使した金本は残留の選択肢がないため阪神へ移籍した。 そんな中、2006年オフにエースの黒田博樹がFA宣言を示唆する発言をした。投手陣が弱体化している球団にとって、唯一安定した成績を残していた黒田の流出はチームの死活問題となりかねなかったため、この時は例外的にFA残留を認める方針を掲げた(結局黒田はこの年は行使せず残留したが、翌2007年オフにロサンゼルス・ドジャーズにFA移籍。その後、2015年より広島に復帰)。この影響で球団もスタンスを変更し、現在ではFA残留を基本的には認めないと、態度を軟化させている。 事実、2007年オフに新井貴浩が、2008年オフに東出輝裕が、2018年オフに丸佳浩がFA権を取得した際、球団はそれぞれの選手のFA残留を認める方針であった事を明らかにしている(新井と丸はFA権を行使しそれぞれ阪神、巨人へ移籍(新井は後に広島に復帰)、東出は行使せず残留)。ただし行使後に残留に至った実例は2020年現在無く、中には2015年オフの木村昇吾のようにFA宣言するも獲得に乗り出す球団が現れず、広島との再契約も認められなかったため、FA選手で初めて他球団の入団テストを受ける事態となった例も存在する(木村はその後入団テストに合格して西武入りが決まったが、手続き上はあくまで「FAの行使による移籍」として扱われている)。 他球団のFA宣言選手の獲得については、2009年に日本ハムからFA宣言した藤井秀悟について調査し(実際には獲得戦線に参入せず)、2010年に横浜からFA宣言した内川聖一の獲得戦線に参戦していた。しかし内川はソフトバンクに入団したため、2020年現在広島はセ・パ12球団の中で唯一のFA選手獲得経験のない球団となっている。
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