F12エンジン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 00:58 UTC 版)
「モトーリ・モデルニ」の記事における「F12エンジン」の解説
1989年よりF1のエンジン規定が「自然吸気3,500cc」に統一されることが決まると、キティは水平対向12気筒 (F12) エンジンを開発。日本の富士重工業(スバル)と提携し、「スバル-モトーリ・モデルニ」として1990年よりコローニへ供給することになる。 当時スバルのモータースポーツ代表者だった高岡祥郎によれば、発端はロードカー「ジオット・キャスピタ」用に3,300ccの水平対向6気筒エンジン(のちのアルシオーネSVXに搭載)をチューンするという話だった。欧州のエンジンチューナーと接触する中で童夢の林みのるにモトーリ・モデルニを紹介され、計画が「F12エンジン開発」「F1参戦」へと膨らんでいったという。 1988年1月にスバルとのジョイントが発表され、同年のイタリアGP前にミラノでF12エンジン(開発コード"1235")が初公開された。1989年にはミナルディのマシンに搭載してテストを行ったが、ミナルディ側が採用に難色を示したため、供給先をコローニへ変更した。スバルは前線基地としてスバルテクニカヨーロッパ (STE) を設立し、コローニの株式半数を取得してチームの共同運営も行った。 1990年はコローニ・C3Bに搭載され、ベルトラン・ガショーの1台体制で参戦したが、開幕から8戦続けて予備予選落ちという惨憺たる結果が続いた。エンジン性能は最高出力600ps以上、最高回転数13,000rpmと発表されたが、「ダブルベッド」と揶揄されたサイズ(743×725×399mm)、159kgという重量は当時のF1エンジンの水準に達していなかった(高岡は剛性の弱さと5バルブの不調も指摘している)。結局、スバル本社の判断により提携が解消され、第8戦イギリスGPを最後にF1から撤退した。コローニは後半戦は市販のコスワースDFR (V8) へスイッチし、少なくとも予備予選は通過できるようになった。 なお、モトーリ・モデルニはV12エンジンも開発しており、F1計画終了後はモンテカルロのスポーツカーに搭載される予定だった。 キャスピタの方は585ps/10,750rpmにデチューンしたF12ユニットを搭載する試作1号車が1989年の第28回東京モーターショーに参考出展されたが、2号車以降はジャッドV10エンジンに変更された。現在、1号車は日本自動車博物館に展示されている。
※この「F12エンジン」の解説は、「モトーリ・モデルニ」の解説の一部です。
「F12エンジン」を含む「モトーリ・モデルニ」の記事については、「モトーリ・モデルニ」の概要を参照ください。
- F12エンジンのページへのリンク