Enrique of Malaccaとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Enrique of Malaccaの意味・解説 

マラッカのエンリケ

(Enrique of Malacca から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 15:36 UTC 版)

マレーシア・マラッカ海洋博物館にあるエンリケ像

マラッカのエンリケ: Henrique de Malaca, 西: Enrique de Malaca)は、1511年から1521年までフェルディナンド・マゼラン奴隷として仕えた、マレー語圏出身の男性である。伝記作家シュテファン・ツヴァイクによれば、人類初の世界一周者である[1]

概説

マレー語圏で生まれたエンリケは、1513年マゼランの奴隷として、マラッカから西回りでポルトガルに渡った。1519年からのマゼランの西回りの世界周航に同行したエンリケは、1521年、フィリピンのリマサワ島で、自分の母語マレー語が通じる住人と出合った。ツヴァイクは、この時がまさに、歴史上初めて1人の人間が世界一周を成しとげた瞬間であるというのである。ツヴァイクが言うには、エンリケは、マレー語圏を出発して、地球を西回りに回ってマレー語圏に戻ったということである[1]

しかし正確には、フィリピンはエンリケの故郷であるマラッカもしくはスマトラより東方であり、またマレー語圏でなく交流によりマレー語を解する人間がいる地域に過ぎず、地理的には世界一周には少々不足している。ただ、マゼラン艦隊から離脱したエンリケが生まれ故郷に戻った可能性はあり、その場合は真に世界一周した最初の人物であるといえるが、記録は残されていない。確実な記録のある初の世界周航者は、マゼラン艦隊の生き残りであるセバスティアン・デ・エルカーノアントニオ・ピガフェッタら18人である(エンリケが故郷に戻ったにせよ、エルカーノらのスペイン帰着よりも後であった可能性もありえる)。

生涯

エンリケの出生等は不明であるが、マゼランの1519年の遺書によると、マラッカ生まれ26歳であるとしているので、1494年頃にマレー語圏(マラッカもしくはスマトラ)で生まれたと考えられる[註 1]。マゼランがポルトガル艦隊の一員として1505-1513年東洋に赴任したなかで、1511年のマラッカ攻略の功でマゼランに与えられた奴隷とも[2]、マゼランが買い取ったともされている[3]スペインの公式文書では、スペイン語名「Enrique」とされた)。エンリケは、彼を捕らえたポルトガル人によってキリスト教徒として洗礼を受けており、ポルトガル語名「Henrique」が洗礼証明書に記されている。彼の名はピガフェッタの著作、マゼランの遺書、及びインディアス貿易省英語版のマゼラン遠征に関する公式文書に記録されている。

エンリケという名前は、彼が捕らえられた日が7月13日神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世聖名祝日であることを意味している[4]。この日付は、アフォンソ・デ・アルブケルケに率いられたポルトガル人たちがマラッカへの攻撃を開始してから数日のことであった。

マゼランは、エンリケをマラッカの先住民であると断定している。ただし、1519年からのマゼランの世界一周探検に同行したイタリア人アントニオ・ビガフェッタによれば、エンリケは、スマトラ出身であるとされる[5]。ビガフェッタは、エンリケを「Henrich」と書き記している。エンリケを直接知る者の報告は、マゼランの遺書の他には、アントニオ・ピガフェッタ、ジネス・デ・マフラ英語版、ジェノヴァ人の水先案内人、アントニオ・デ・ヘレーラ、フアン・セバスティアン・エルカーノバルトロメ・デ・ラス・カサスによるものがあり、二次情報源としてはジョアン・デ・バロスフランシスコ・ロペス・デ・ゴマラ英語版などが、エンリケを奴隷と見なしている。

マゼランが1519年、世界一周の航海に出る前に書いた遺書においては、エンリケについて、『私の死去の日以降、マラッカの町の生まれでほぼ26歳になる、私の捕虜であり奴隷であるエンリケは、奴隷たるの一切の義務ないし服従から解放され、その後は彼の意のままに行動してよろしい。さらに私の遺産の中から現金で1万マラベディを生活扶助として彼に与えたいと思う。彼がキリスト教徒になったゆえに、また彼が私の魂の平安を祈ってくれるように、私はこの遺産を彼に贈ることを保証する。』と書き残している[6]。マゼランが1521年4月27日マクタン王ラプ=ラプとの戦いで戦死したときは、エンリケはマゼランと共に戦って負傷している[7]。これらのことから、マゼランの生前には、エンリケはマゼランにきわめて忠実に仕えていたことがうかがえる。

エンリケは、マゼランがヨーロッパに帰る際に、またマゼランが東インド諸島への西回り航路を探検する際に、マゼランに従った。彼は、奴隷兼通訳として、スペインのために働いた。ジネス・デ・マフラは、最初の著書で、エンリケのマレー語能力が探検の完成を決定づけるものであったと述べている。マフラは、「マゼランは部下たちに、彼らが目的地に着いたことを告げた。ヘレディアなる船員を上陸させ現地住民を捕らえさせたところ、その住民はマレー語、すなわちマレー半島の言語を解した」と記している。その島はフィリピン諸島の島で、捕らえた住民はマザウアの先住民だと判った。マフラはその場所をミンダナオ島であるとした。

ジェノヴァ人水先案内人は、スペインへの報告書の中で、(誤った内容の報告であるが)エンリケはマクタン島における戦闘(1521年4月27日)においてマゼランとともに死んだため、セブに戻った際には通訳がいなかったとしている。実際には、エンリケは1521年5月1日時点で生存しており[8]、セブ王がスペイン人一行を招いた饗宴に参加している。

アントニオ・ピガフェッタの記録やトランシルヴァーノの聞き取りによれば、マゼランが戦死したマクタン島での戦闘で負傷したエンリケは、艦に戻っても通訳の仕事を放棄して横になっていた。そこで、マゼランの後を継いだ艦隊の指揮官デュアルテ・バルボザはエンリケに、『主人のマゼランが死んだからといって自由になったと思ったら大間違いだ。スペインに帰ったら未亡人のベアトリス様の奴隷になるのだ。今上陸しなかったら鞭を食らわすぞ』と脅し[9]、エンリケはセブ王の元に遣わされた[10]

戻ってきたエンリケは、セブ王が艦隊幹部を宴会に招待していると報告したが、それは罠であり、宴会に出席したバルボザ以下艦隊幹部約30人は全員殺されることとなってしまった。ピガフェッタや同行の乗組員の推測では、エンリケがセブ王と図って、マゼランの死後は自由にするというマゼランの遺書を無視して自分の解放を認めようとしなかったバルボザに復讐を遂げたのだとされている[10][11]。その後のエンリケの消息は分かっていない。

脚注

注釈

  1. ^ エンリケは、マゼランの遺書によればマラッカ生まれであるが、ピガフェッタによればスマトラ島出身である。

出典

  1. ^ a b ツヴァイク『マゼラン』pp.213-214
  2. ^ 増田『マゼラン』p36
  3. ^ ピガフェッタ『マゼラン世界最初の世界一周航海』p306
  4. ^ en:Roman_Catholic_calendar_of_saints
  5. ^ ピガフェッタ『マゼラン最初の世界一周航海』p75
  6. ^ ツヴァイク 『マゼラン』 みすず書房、1972年、131頁
  7. ^ 増田『マゼラン』p215
  8. ^ ピガフェッタ『マゼラン最初の世界一周航海』p123-124
  9. ^ ピガフェッタ 『マゼラン最初の世界一周航海』長南実訳、角川文庫、2011年、122頁
  10. ^ a b 増田『マゼラン』p215-216
  11. ^ ピガフェッタ『マゼラン最初の世界一周航海』p122-123

参考文献

関連項目

関連書籍

  • Bergreen, Laurence. 2003. Over The Edge of The World: Magellan’s Terrifying Circumnavigation of the Globe. New York.
  • Blair, Emma Helen and Robertson, James Alexander. 1901-1907. The Philippine Islands 1493-1898, 55 vols. Cleveland. Abbreviated BR in citations.
  • De Jesús, Vicente Calibo. 2004. Mazaua, Magellan's Lost Harbor.
  • Fry, Stephen. 2006. "The Book of General Ignorance". London.
  • Genoese Pilot. 1519. Navegaçam e vyagem que fez Fernando de Magalhães de Seuilha pera Maluco no anno de 1519 annos. In: Collecção de noticias para a historia e geografia das nações ultramarinas, que vivem nos dominios Portuguezes, ou lhes sao visinhas. Lisboa 1826. Pp. 151–176.
  • Mafra, Ginés de. 1543. Libro que trata del descubrimiento y principio del Estrecho que se llama de Magallanes. Antonio Blazquez y Delgado Aguilera (eds.) Madrid 1920. Pp. 179–212.
  • Manchester, William. 1993. A World Lit Only By Fire, The Medieval Mind and the Renaissance. Boston.
  • Maximilian Transylvanus. 1523. De Moluccis insulis. In: The First Voyage...Filipiniana Book Guild. Manila 1969: Pp. 103–130.
  • Morison, Samuel Eliot. 1974. The European Discovery of America: The Southern Voyages 1492-1616. New York.
  • Parr, Charles McKew. 1953. So Noble a Captain: The Life and Times of Ferdinand Magellan. New York.
  • Pigafetta, Antonio. 1524. Various editions and translations:
  • 1524a. Magellan’s Voyage, Vol. II. Facsimile edition of Nancy-Libri-Phillipps-Beinecke-Yale codex. New Haven 1969.
  • 1524b. Primo viaggio intorno al globo terracqueo, ossia ragguaglio della navigazione...fatta dal cavaliere Antonio Pigafetta...ora publicato per la prima volta, tratto da un codice MS. Della biblioteca Ambrosiana di Milano e corredato di note da Carlo Amoretti. Milan 1800.
  • 1524c. Il primo viaggio intorno al globo di Antonio Pigafetta. In: Raccolta di Documenti e Studi Publicati dalla. Commissione Colombiana. Andrea da Mosto (ed. and tr.). Rome 1894.
  • 1524d. Le premier tour du monde de Magellan. Léonce Peillard (ed. and transcription of Ms. fr. 5650). France 1991.
  • 1524e. Magellan’s Voyage, 3 vols. James Alexander Robertson (ed. and tr. of Ambrosian). Cleveland 1906.
  • 1524f. Magellan’s Voyage: A Narrative Account of the First Circumnavigation. R.A. Skelton (ed. and tr. of Yale ms.). New Haven 1969.
  • 1524g. * of Ms. fr. 5650 and Ambrosian ms.). London 1874.
  • 1523h. The Voyage of Magellan: The Journal of Antonio Pigafetta. Paula Spurlin Paige (tr. of Colínes edition). New Jersey 1969.
  • 1524i. Il Primo Viaggio Intorno Al Mondo Con Il Trattato della Sfera. Facsimile edition of Ambrosian ms. Vicenza 1994.
  • 1524j. The First Voyage Around the World (1519-1522). Theodore J. Cachey Jr. (ed. based on Robertson’s tr.) New York 1995.
  • 1524k. Pigafetta: Relation du premier voyage autour du monde... Édition du texte français d'après les manuscrits de Paris et de Cheltenham. Jean Denucé (text transcribed from Ms. 5650, collating Mss. Ambrosiana, Nancy-Yale and 24224 in notes.) Anvers 1923.
  • Quiriño, Carlos. 1980-1995. "The First Man Around the World Was a Filipino." In: Philippines Free Press, December 28, 1991. --"Pigafetta: The First Italian in the Philippines." In: Italians in the Philippines, Manila: 1980. -- "Enrique." In: Who's Who in the Philippines. Manila: Pp. 80–81.
  • Ramusio, Gian Battista. 1550. La Detta navigatione per messer Antonio Pigafetta Vicentino. In: Delle navigationi e viaggi…Venice: Pp. 380–98.
  • Torodash, Martín. 1971. “Magellan Historiography.” In: Hispanic American Historical Review, LI, Pp. 313–335.
  • Zweig, Stefan. 1938. Conqueror of the Seas: The Story of Magellan. New York.

「Enrique of Malacca」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Enrique of Malaccaのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Enrique of Malaccaのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマラッカのエンリケ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS