ESI法とは? わかりやすく解説

エレクトロスプレーイオン化

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/19 07:08 UTC 版)

エレクトロスプレー(ナノスプレー)イオン化源

エレクトロスプレーイオン化(エレクトロスプレーイオンか、: Electrospray ionizationESI)は、質量分析におけるサンプルのイオン化法の一つである。高分子をフラグメント化することなくイオン化できるため、高分子をイオン化する際に特に有用である。

ESIを用いた質量分析は、エレクトロスプレーイオン化質量分析ESI-MS)あるいは、エレクトロスプレー質量分析ES-MS)と呼ばれる。

歴史

シングル四重極質量分析計と組み合わされたフェンの最初のエレクトロスプレーイオン化源(上)

初期の研究者

ジョン・フェンによる開発

生体高分子の分析のためのエレクトロスプレーイオン化法の開発[4]により、開発者のジョン・フェンは2002年ノーベル化学賞を受賞した[5]。フェンにより使用されたオリジナルの機器の一つは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアの化学遺産財団 (Chemical Heritage Foundation) に展示されている。

イオン化機構

興味のある検体を含む液体は、エレクトロスプレーによって微細なエアロゾルへと分散される。イオン形成は溶媒の大きな蒸発を伴うため、エレクトロスプレーイオン化のための典型的な溶媒は、と揮発性の有機化合物(例:メタノールアセトニトリル)を混合することによって調製される。初めの液滴の大きさを小さくするため、誘電率を上げる化合物(例:酢酸)が習慣的に溶液に添加される。大流量のエレクトロスプレーは、窒素といった不活性ガスによる追加の噴霧化から恩恵を受けることができる。このエアロゾルは質量分析計の最初の真空部にキャピラリーを通って導入され、荷電した液滴からさらに溶媒が蒸発するのを助けるため加熱される。液滴がレイリー限界の到達して不安定化するまで、荷電した液滴からの溶媒を蒸発させる。この段階で、液滴は変形し、クーロン分裂 (Coulomb fission) として知られる過程により荷電ジェットを放出する。分裂の間、液滴は質量のごく一部(1.0-2.3%)と電荷の比較的大部分(10-18%)を失う[6][7]

気相イオンの最終生成を説明する2つの主要な理論が存在する。

イオン蒸発モデル (Ion Evaporation Model, IEM)[8]
液滴がある半径に到達すると、液滴表面の電界強度が溶媒和イオンの電界脱離の助けとなる程度まで増大する。
帯電残滓モデル (Charged Residue Model, CRM)[9]
エレクトロスプレー液滴が蒸発・分裂サイクルを経ると、平均して一つあるいはそれより少ない検体イオンを含む後代液滴が最終的に生じる。気相イオンは残りの溶媒分子が蒸発した後に形成され、液滴に含まれていた荷電検体が残る。

科学的に確かな証拠はないが、多くの間接的な証拠は、小さなイオンはイオン蒸発機構によって気相に遊離するが、より大きなイオンは帯電残滓機構によって形成されることを示唆している。

質量分析によって観測されるイオンは擬分子イオンであり、プロトン(水素イオン)の付加によって生じた[M + H]+ナトリウムイオンといったカチオンの付加による [M + Na]+あるいはプロトンの除去による [M − H]などである。[M + nH]n+といった多価イオンがしばしば観測される。大きな高分子では、多くの荷電状態があり、特徴的な荷電状態エンベロープを与える。それら全ては偶数電子イオン種である(他のイオン源と異なり、電子単独では付加あるいは脱離しない)。検体は時々電気化学過程により、マススペクトル中の対応するピークのシフトを生じる。

変法

低流速で操作されたエレクトロスプレーはより小さな初期液滴を生じ、改善されたイオン化効率を保障する。1994年、2つの研究グループが低流速で行われるエレクトロスプレーをマイクロエレクトロスプレー(マイクロスプレー)と命名した。EmmettおよびCaprioliは、エレクトロスプレーを300-800 nL/minで操作した時に、HPLC-MS分析の性能が改善されることを明らかにした[10]。WilmおよびMannは、数マイクロメートルまで引き伸ばされたガラスキャピラリーによって組み立てられたエミッターの先端において、〜25 mL/minのキャピラリー流速でエレクトロスプレーが維持できることを明らかにした[11]。後者は、1996年にナノエレクトロスプレー(ナノスプレー)と改名された[12][13]。現在、ナノスプレーの名称は自己供給型エレクトロスプレーだけでなく、低流速のポンプを用いたエレクトロスプレーに対しても使用されている。エレクトロスプレー、マイクロスプレーおよびナノエレクトロスプレーの流速の範囲は明確に定義されていない。

応用

エレクトロスプレーはタンパク質の折り畳み(フォールディング)の研究に使用されている[14][15][16]

液体クロマトグラフィー/質量分析 (LC-MS)

エレクトロスプレーイオン化は、液体クロマトグラフィー質量分析の組み合わせでイオン源として選択されている。分析は、LCカラムから溶出された液体を直接エレクトロスプレーに供給する(オンライン)か、フラクションを集めた後、古典的ナノエレクトロスプレー質量分析装置で分析する(オフライン)かどちらかの方法によって分析が行なわれる。エレクトロスプレー-LCMSにおける様々なイオン対試薬(TFA[17]等)の効果が研究されている。

気相における非共有結合性相互作用

エレクトロスプレーイオン化は、気相における非共有結合性相互作用を研究するのに理想的である。エレクトロスプレープロセスでは、液相中の非共有結合性錯体を非共有結合性相互作用を壊すことなく気相に移動させることができる。これによって、その他の質量分析技法を用いて、気相における2分子クラスターを研究することが可能になった。興味深い例は、酵素とその阻害剤の相互作用の研究である。阻害剤は一般的に非共有結合性相互作用によって妥当な親和性で標的酵素に結合し作用するため、この非共有結合性複合体を本手法で研究することができる。新規薬剤候補を探索するため、STAT6と阻害剤の競合試験が本手法により行われた[18][19][20][21]

脚注

  1. ^ Zeleny, J. (1914). “The Electrical Discharge from Liquid Points, and a Hydrostatic Method of Measuring the Electric Intensity at Their Surfaces”. Phys. Rev. 3 (2): 69. Bibcode1914PhRv....3...69Z. doi:10.1103/PhysRev.3.69. 
  2. ^ Dole, M.; Mack, L. L.; Hines, R. L.; Mobley, R. C.; Ferguson, L. D.; Alice, M. B. (1968). “Molecular Beams of Macroions”. J. Chem. Phys. 49 (5): 2240–2249. Bibcode1968JChPh..49.2240D. doi:10.1063/1.1670391. 
  3. ^ Alexandrov, M. L.; L. N. Gall, N. V. Krasnov, V. I. Nikolaev, V. A. Pavlenko, and V. A. Shkurov (1984). Экстракция ионов из растворов при атмосферном давлении - Метод масс-спектрометрического анализа биоорганических веществ [Extraction of ions from solutions at atmospheric pressure - A method for mass spectrometric analysis of bioorganic substances]” (Russian). Doklady Akademii Nauk SSSR 277 (2): 379–383. http://md1.csa.com/partners/viewrecord.php?collection=TRD&recid=N8524706AH. 
  4. ^ Fenn, J. B.; Mann, M.; Meng, C. K.; Wong, S. F.; Whitehouse, C. M. (1989). “Electrospray ionization for mass spectrometry of large biomolecules”. Science 246 (4926): 64–71. Bibcode1989Sci...246...64F. doi:10.1126/science.2675315. PMID 2675315. 
  5. ^ Markides, K; Gräslund, A. “Advanced information on the Nobel Prize in Chemistry 2002” (PDF). 2011年8月31日閲覧。
  6. ^ Li, K.Y.; Tu, H.H.; Ray, A.K. (2005). “Charge Limits on Droplets during Evaporation”. Langmuir 21 (9): 3786–3794. doi:10.1021/la047973n. PMID 15835938. http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/la047973n. 
  7. ^ Kebarle, P.; Verkerk, UH. (2009). “Electrospray: From ions in solution to ions in the gas phase, what we know now”. Mass Spectrom. Rev. 28 (6): 898–917. doi:10.1002/mas.20247. PMID 19551695. 
  8. ^ Iribarne J. V.; Thomson B. A. (1976). “On the evaporation of small ions from charged droplets”. J. Chem. Phys. 64 (6): 2287–2294. Bibcode1976JChPh..64.2287I. doi:10.1063/1.432536. 
  9. ^ Dole M.; Mack L. L.; Hines R. L.; Mobley R. C.; Ferguson L. D.; Alice M. B. (1968). “Molecular beams of macroions”. J. Chem. Phys. 49 (5): 2240–2249. Bibcode1968JChPh..49.2240D. doi:10.1063/1.1670391. 
  10. ^ Emmett MR, Caprioli RM (1994). “Micro-electrospray mass spectrometry: ultra-high-sensitivity analysis of peptides and proteins”. J. Am. Soc. Mass Spectrom. 5 (7): 605–613. doi:10.1016/1044-0305(94)85001-1. 
  11. ^ Wilm MS, Mann M (1994). “Electrospray and Taylor-Cone theory, Dole's beam of macromolecules at last?”. Int. J. Mass Spectrom. Ion Proc. 136 (2-3): 167–180. Bibcode1994IJMSI.136..167W. doi:10.1016/0168-1176(94)04024-9. 
  12. ^ Wilm M, Mann M (1996). “Analytical properties of the nanoelectrospray ion source”. Anal. Chem. 68 (1): 1–8. doi:10.1021/ac9509519. PMID 8779426. 
  13. ^ Gibson GT, Mugo SM, Oleschuk RD (2009), “Nanoelectrospray emitters: Trends and perspective”, Mass Spectrom. Rev. 28 (6): 918–936, doi:10.1002/mas.20248, PMID 19479726 
  14. ^ Konermann, L; Douglas, DJ (1998), “Equilibrium unfolding of proteins monitored by electrospray ionization mass spectrometry: Distinguishing two-state from multi-state transitions”, Rapid Commun. Mass Spectrom. 12 (8): 435–442, doi:10.1002/(SICI)1097-0231(19980430)12:8<435::AID-RCM181>3.0.CO;2-F 
  15. ^ Nemes P, Goyal S, Vertes A (2008), “Conformational and Noncovalent Complexation Changes in Proteins during Electrospray Ionization”, Anal. Chem. 80 (2): 387–395, doi:10.1021/ac0714359, PMID 18081323 
  16. ^ Sobott; Robinson (2004), “Characterising electrosprayed biomolecules using tandem-MS—the noncovalent GroEL chaperonin assembly”, Int. J. Mass Spectrom. 236 (1-3): 25–32, Bibcode2004IJMSp.236...25S, doi:10.1016/j.ijms.2004.05.010 
  17. ^ Garcia, M. C. (2005). “The effect of the mobile phase additives on sensitivity in the analysis of peptides and proteins by high-performance liquid chromatography–electrospray mass spectrometry”. J. Chromat. B 825: 111-123. doi:10.1016/j.jchromb.2005.03.041. PMID 16213445. 
  18. ^ Touboul D, Maillard L, Grässlin A, Moumne R, Seitz M, Robinson J, Zenobi R (2009). “How to deal with weak interactions in noncovalent complexes analyzed by electrospray mass spectrometry: cyclopeptidic inhibitors of the nuclear receptor coactivator 1-STAT6”. J. Am. Soc. Mass Spectrom. 20 (2): 303-311. doi:10.1016/j.jasms.2008.10.008. PMID 18996720. 
  19. ^ Czuczy N, Katona M, Takats Z (2009). “Selective detection of specific protein-ligand complexes by electrosonic spray-precursor ion scan tandem mass spectrometry”. J. Am. Soc. Mass Spectrom. 20 (2): 227-237. doi:10.1016/j.jasms.2008.09.010. PMID 18976932. 
  20. ^ Jecklin MC, Touboul D, Bovet C, Wortmann A, Zenobi R (2008). “Which electrospray-based ionization method best reflects protein-ligand interactions found in solution? a comparison of ESI, nanoESI, and ESSI for the determination of dissociation constants with mass spectrometry”. J. Am. Soc. Mass Spectrom. 19 (3): 332-343. doi:10.1016/j.jasms.2007.11.007. PMID 18083584. 
  21. ^ Rosu F, De Pauw E, Gabelica V (2008). “Electrospray mass spectrometry to study drug-nucleic acids interactions”. Biochimie 90 (7): 1074-1087. doi:10.1016/j.biochi.2008.01.005. PMID 18261993. 

参考文献

  • Cole, Richard (1997). Electrospray ionization mass spectrometry: fundamentals, instrumentation, and applications. New York: Wiley. ISBN 0-471-14564-5 
  • Gross, Michael; Pramanik, Birendra N.; Ganguly, A. K. (2002). Applied electrospray mass spectrometry. New York, N.Y: Marcel Dekker. ISBN 0-8247-0618-8 
  • Snyder, A. Peter (1996). Biochemical and biotechnological applications of electrospray ionization mass spectrometry. Columbus, OH: American Chemical Society. ISBN 0-8412-3378-0 

関連項目

外部リンク


ESI(ElectroSpray Ionization、エレクトロスプレーイオン化)法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 09:45 UTC 版)

質量分析法」の記事における「ESIElectroSpray Ionizationエレクトロスプレーイオン化)法」の解説

主にLC/MSにて使用されるイオン化方法であり、大気圧イオン化 (API) 法の一種である。試料溶媒に溶かして高電圧をかけたキャピラリー導入噴霧帯電液滴形成させ、更にここから溶媒分子蒸発させることで液滴表面電荷表面張力打ち勝ち液滴分裂する。これを繰り返していき、最終的にイオン生成する方法である。MALDI同じく高分子量化合物イオン化に特に優れた特性多価イオン生じやすい)を示す。キャピラリーヒーターにより加熱し噴霧するAPCI法とは異なるが、市販装置ではイオン化部交換のみで本体共用できる場合が多い。もっともソフトなイオン化法の1つである。適用できる分子量範囲2001000000程。

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