E・F家乗っ取り事件(2009年4月~2011年11月)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:19 UTC 版)
「尼崎事件」の記事における「E・F家乗っ取り事件(2009年4月~2011年11月)」の解説
2009年4月、Xが「孫の乗ったベビーカーが車両のドアに挟まれた」と鉄道会社にクレームをつけた。これに対応したのが、当時その会社に勤めていたEだった。Eは上司と一緒に何度もXの自宅マンションに謝罪のために足を運んだ。Xは話し合いの場にKを同席させ、「この子は元ヤクザ。怒らせると何するかわからんで」と脅かす一方で、Eが話し合い中に一度も時計を見なかったことを褒めるなどして、徐々にEを取り込んでいった。やがて、Eは家族や将来の夢などプライベートな話をXにするようになり、妻や2人の娘とともに、家族ぐるみで付き合うようになった。 しかし、XはEの日頃から抱いていた喫茶店を開きたいという夢を聞き出すと、Eにその夢を実現させる為として執拗に退職を迫るようになった。Xらに会社にまで乗り込まれるなどされて、2010年4月にEは退職した。その後もXのE家への過剰な干渉は続き、E夫妻を頻繁に呼び出し、Eが退職前に妻としていた事前の約束を破って競馬をしていたことや、浮気話をEの妻から聞いたXは、二人に離婚を迫るようになった 。そのことでE家夫婦家族やE妻の母Fが住んでいた尼崎市内の二世帯住宅にF家長女(Eの妻の姉)やEの親族らも集められ、家族会議が開かれた。Xが会議を取り仕切り、2010年11月に二人は離婚した 。 離婚後もXの干渉は続き、EをXの自宅マンションに隣接するワンルームマンションに引っ越させ、離婚のことで近所に変な噂がたっていると理由づけて、二世帯住宅に住んでいたEの妻や子供達を転居させた 。Xはその後再び親族らを集め、子供の養育問題について家族会議を開かせた。家族会議は連日行われ、徹夜で開かれることもあった。会議では些細なことでE元夫妻が吊し上げられ、時には飲食の制限などの虐待や、親族同士で暴力を振るわせることもあった。また、この会議では親族関係にないXやKも、Eらに暴力を振るうことがあったという。そうしているうちに、2011年当時小学6年生と小学4年生だった2人の娘はXに懐き、Xの自宅マンションで暮らすようになり、両親を敬遠するようになっていた。 2011年6月、東京の親類のところへ身を隠していたFが連れ戻された 。EのワンルームマンションでE元夫妻、Fの長女、F、そしてEの次女ら5人で共同生活をさせ、子供の養育費の捻出や二世帯住宅の処分などについて話し合いをさせた。Eの長女だけはXに優遇され、Xの自宅マンションで起居した。
※この「E・F家乗っ取り事件(2009年4月~2011年11月)」の解説は、「尼崎事件」の解説の一部です。
「E・F家乗っ取り事件(2009年4月~2011年11月)」を含む「尼崎事件」の記事については、「尼崎事件」の概要を参照ください。
- EF家乗っ取り事件のページへのリンク