范胡達とは? わかりやすく解説

范胡達

(Bhadravarman I から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/03 10:20 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
バドラヴァルマン1世 
भद्रवर्मन् १
チャンパ王
在位 380年 - 413年

全名 ダルママハーラージャ
死去 413年
王朝 第2王朝
父親 范仏?
テンプレートを表示

バドラヴァルマン1世サンスクリット語: भद्रवर्मन् १, ラテン文字転写: Bhadravarman I, 生年不詳 - 413年)は、チャンパ王国林邑国中国語版)第2王朝の第3代国王(在位:380年 - 413年)。『晋書』『宋書』『大越史記全書』では范胡達(はんこたつ、ベトナム語: Phạm Hồ Đạt)、『梁書』『南史』では范須達ベトナム語: Phạm Tua Đạt)、『太平御覧』が引く『林邑記』と『晋義熙起居注』では范明達ベトナム語: Phạm Minh Đạt)と記される。サンスクリット名が確認される最初のチャンパ王であり、ダルママハーラージャと称された。

生涯

范仏の子[1](『晋書』による。『梁書』『南史』では孫とする)。先王の死後に即位した。382年3月に遣使した。先王の代に被害を受けたカンダプルプラベトナム語版に代わってシンハプラベトナム語版を都とし、クルンベトナム語版を整備した[2]。シンハプラの西に位置する[3]シュリーシャーナヴァドレーシュヴァラに最初の寺院となる、シヴァを祀ったヴァドレーシュヴァラ廟を建立した[4]。シュリーシャーナヴァドレーシュヴァラの碑文によると、その支配域は現在のトゥーボン川英語版盆地[2]から南部のダーラン川英語版河口にかけて広がっていたとされ、シヴァの他にもアグニプリティヴィーが崇拝されていたとされる。

399年3月、晋の日南郡九徳郡に侵攻し、日南太守源と九徳太守の曹炳をそれぞれ捕らえたが、交趾太守のが派遣した都護の逸らの反撃を受けて敗北した[5]405年407年にも相次いで日南郡に侵攻した[5]が、杜が派遣した海邏督護の阮斐に敗れた。413年2月には九真郡に侵攻して行郡事の杜慧期(杜の子)と交戦したが、子の交龍王范甄知や部将の范健を殺され、子の范那能を生け捕りにされるなどの大敗を喫し、バドラヴァルマン1世も行方不明となった[5]。『晋書』『大越史記全書』では交州刺史杜慧度に殺害されたとする。

出典

  1. ^ Sharma, p. 107
  2. ^ a b 桜井由躬雄、「南シナ海の世界」 『東南アジア史 I 大陸部』、61頁。 
  3. ^ Cœdès, p. 48
  4. ^ レイ・タン・コイ, p. 27
  5. ^ a b c Cœdès, p. 56

参考資料

先代:
范仏
チャンパ王
第2王朝第3代:
380年 - 413年
次代:
ガンガーラージャ




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「范胡達」の関連用語

范胡達のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



范胡達のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの范胡達 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS