インドラヴァルマン3世とは? わかりやすく解説

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インドラヴァルマン3世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 08:54 UTC 版)

インドラヴァルマン3世 
इन्द्रवर्मन् ३
チャンパ王
在位 911年 - 960年

死去 960年
王朝 第7王朝
父親 バドラヴァルマン2世
母親 ウグラデーヴィー
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インドラヴァルマン3世サンスクリット語: इन्द्रवर्मन् ३, ラテン文字転写: Indravarman III, 生年不詳 - 960年頃)は、チャンパ王国占城国)第7王朝の第2代国王(在位:911年 - 960年頃)。『新五代史』『五代会要中国語版』では因徳漫ベトナム語: Nhân Đức Man)、『宋史』『冊府元亀』では釈利因徳漫ベトナム語: Thích Lợi Nhân Đức Man)と記される。シュリーシャーナヴァドレーシュヴァラの碑文ではその文学と哲学に関する知識が讃えられている[1]

生涯

バドラヴァルマン2世中国語版とウグラデーヴィー(ジャヤ・シンハヴァルマン1世の従姉妹)の子。父王の死後に即位した。918年ヤンプナガラポー・ナガル塔英語版バガヴァティー英語版の金像を建立して奉献した[1]930年には梁克貞中国語版率いる南漢軍の侵攻を受けて、宝物を献上させられた。945年から946年にかけて、ラージェンドラヴァルマン2世英語版治下のクメールから侵攻を受け、クメール軍を撃退した[1]もののポー・ナガル塔のバガヴァティー金像を奪われた[2]

951年に後周に朝貢し[1][2]958年11月5日にはアブー・ハサンを後周に遣使して、猛火油中国語版薔薇水琉璃瓶を献上した。翌959年7月22日にも朝貢の使者としてアブー・ハサンを後周に送り、龍形通犀帯と菩薩石を献上している。

出典

  1. ^ a b c d Cœdès, pp. 123–124
  2. ^ a b 桜井由躬雄「南シナ海の世界」 『東南アジア史 I 大陸部』、68頁。 

参考資料

先代
バドラヴァルマン2世
チャンパ王
第7王朝第2代:
911年 - 960年
次代
ジャヤ・インドラヴァルマン1世




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