劉継宗とは? わかりやすく解説

劉継宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/03 08:47 UTC 版)

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 劉継宗
チャンパ王
在位 986年? - 989年

死去 989年
王朝 第7王朝
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劉 継宗(りゅう けいそう、ルー・ケ・トン[1]ベトナム語: Lưu Kế Tông / 劉繼宗、生年不詳 - 989年[2])は、チャンパ王国占城国中国語版)第7王朝の第6代(最後)の国王。

生涯

元は安南の管甲であったが、チャンパに亡命した[3]982年黎桓率いる前黎朝大瞿越中国語版軍がチャンパに侵攻し[1][4][5]チャンパ=大瞿越戦争 (982年)中国語版)、国王インドラヴァルマン4世が南方に逃れる[1]という混乱に乗じて権力を握り[2]、インドラヴァルマン4世の死後に[2]占城王を称した[1]。李朝仙を朝貢の使者として986年5月4日へ派遣し[1][2]通犀象・龍脳丁香・速香・箋香・沈香を献じた。劉継宗の支配していた時期、多くのチャム人がチャンパから抜け出して[2][6]宋の広州に逃れた。

後に黎桓の養子率いる大瞿越軍の侵攻を受け、捕えられて殺害された。

出典

  1. ^ a b c d e 桜井由躬雄、「南シナ海の世界」 『東南アジア史 I 大陸部』、68-69頁。 
  2. ^ a b c d e Cœdès, p. 125
  3. ^ 桃木, p. 467
  4. ^ 桜井由躬雄、「紅河の世界」 『東南アジア史 I 大陸部』、50頁。 
  5. ^ レイ・タン・コイ, p. 28
  6. ^ 桜井由躬雄、「南シナ海の世界」 『東南アジア史 I 大陸部』、70頁。 

参考資料

先代:
インドラヴァルマン4世
チャンパ王
第7王朝第6代:
986年? - 989年
次代:
ハリヴァルマン2世中国語版




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