インドラヴァルマン4世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/03 08:45 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動インドラヴァルマン4世 इन्द्रवर्मन् ४ |
|
---|---|
チャンパ王 | |
在位 | 982年 - 986年 |
|
|
死去 | 986年? |
王朝 | 第7王朝 |
インドラヴァルマン4世(サンスクリット語: इन्द्रवर्मन् ४, ラテン文字転写: Indravarman IV, 生年不詳 - 986年?)は、チャンパ王国(占城国)第7王朝の第5代国王(在位:982年 - 986年)。『宋史』では施利陀盤呉日歓(ベトナム語: Thi Lợi Đà Bàn Ngô Nhựt Hoan)、『宋会要輯稿』では施利陀盤(ベトナム語: Thi Lợi Đà Bàn)と記される。
生涯
982年に黎桓率いる前黎朝大瞿越軍がチャンパに侵攻し[1][2][3](チャンパ=大瞿越戦争 (982年))、パラメーシュヴァラヴァルマン1世が戦死すると即位した。インドラヴァルマン4世は王都インドラプラを脱出して南方に逃れた[2][4]。983年1月17日、宋に遣使して[2]象を献上した。太宗は象を広州で畜養するように命じた。同年10月9日にも宋に遣使して[2]馴象を献じ、太宗は都開封近くの寧陵県で畜養するように命じた。
985年3月18日、インドラヴァルマン4世は婆羅門金歌麻を宋に遣使して龍脳・玳瑁・象牙・越諾布を献じ、大瞿越の侵略を訴えた[2][4]。太宗は両国に睦まじくするよう詔を下した。インドラヴァルマン4世が南方に逃れている間、安南人の劉継宗が権力を握り[4]、インドラヴァルマン4世が死去する[4]と占城王を称した[2]。
出典
参考資料
- George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681.
- 『東南アジア史 I 大陸部』石井米雄、桜井由躬雄編、山川出版社〈新版 世界各国史 5〉、1999年12月20日。 ISBN 978-4634413504。
- レイ・タン・コイ『東南アジア史』石澤良昭訳、白水社〈文庫クセジュ〉、2000年4月30日、増補新版。 ISBN 978-4560058268。
- 『宋史』巻四 本紀第四 太宗一
- 『宋史』巻五 本紀第五 太宗二
- 『宋史』巻四百八十九 列伝第二百四十八 外国五 占城
- 『宋会要輯稿』巻百十九 蕃夷四 占城
|
|
|
- インドラヴァルマン4世のページへのリンク