インドラ・クマール・グジュラールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > インドラ・クマール・グジュラールの意味・解説 

インドラ・クマール・グジュラール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 01:54 UTC 版)

インドラ・クマール・グジュラール
Inder Kumar Gujral
1997年撮影
生年月日 1919年12月4日
出生地 イギリス領インド帝国
パンジャーブ州ジェラム
没年月日 (2012-11-30) 2012年11月30日(92歳没)
死没地 インド
ハリヤーナー州グルグラム
所属政党 (インド国民会議→)
ジャナタ・ダル

第12代首相
在任期間 1997年4月21日 - 1998年3月19日
大統領 コチェリル・ラーマン・ナラヤナン

財務大臣
在任期間 1997年4月21日 - 1997年5月1日

在任期間 1989年12月5日 - 1990年11月10日
テンプレートを表示

インドラ・クマール・グジュラール英語: Inder Kumar Gujralヒンディー語: इन्द्र कुमार गुजराल1919年12月4日 - 2012年11月30日)は、インド政治家ラージヤ・サバー議員、駐ソ連インド大使、インド首相(第12代)などを歴任した。

経歴

イギリス統治下のパンジャーブ州ジェラム(現在のパキスタン領内)で生まれる。10代のころからインドの独立運動に積極的に参加し、1942年にはクイット・インディア運動英語版の学生指導者として投獄されている[1]。また学生時代にはインド共産党のメンバーでもあった[2]

インドとパキスタン分離独立した際に、ラホールからデリーへと移り住んだ。デリーの地方政治に携わるようになり、1958年にはニューデリー市議会の副議長に就任している。その後、インド国民会議へと入党し1964年にラージヤ・サバー議員となる [3]インディラ・ガンディー政権では情報放送大臣などの閣僚ポストを経験したのちに、駐ソ連インド大使を務めた。

1980年代の半ばにインド国民会議から離党し、ジャナタ・ダルに参加した[4]1989年の総選挙ではインド国民会議が敗北し、ヴィシュワナート・プラタープ・シンを首班としたジャナタ・ダル政権が発足した。同選挙でグジュラール自身もパンジャーブ州の選挙区で当選を果たし、外相として入閣した。

首相

1997年4月21日に首相に就任[5]

脚注

公職
先代
デーヴェー・ガウダ
首相
1997年 - 1998年
次代
アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「インドラ・クマール・グジュラール」の関連用語

インドラ・クマール・グジュラールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



インドラ・クマール・グジュラールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのインドラ・クマール・グジュラール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS