ヴィクランタヴァルマンとは? わかりやすく解説

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ヴィクランタヴァルマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 17:10 UTC 版)

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 ヴィクランタヴァルマン2世
विक्रान्तवर्मन् २
チャンパ王
在位 686年? - 731年?

死去 731年?
王朝 第4王朝
父親 ヴィクランタヴァルマン1世
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ヴィクランタヴァルマン2世サンスクリット語: विक्रान्तवर्मन् २, ラテン文字転写: Vikrāntavarman II, 生年不詳 - 731年?)は、チャンパ王国林邑国中国語版)第4王朝の第8代国王(在位:686年? - 731年?)。漢文史料では建多達摩ベトナム語: Kiến Đa Thế Ma)と記される。シュリーシャーナヴァドレーシュヴァラの碑文では「王の中の獅子」、「運命と美しい肉体の主」と讃えられている。

生涯

ヴィクランタヴァルマン1世の子[1]。シュリーシャーナヴァドレーシュヴァラにヴァーメシュヴァラリンガ英語版の黄金像を建てて奉献したという。686年3月へ馴を献じて以降、691年10月695年1月・同年4月699年6月702年12月703年1月・同年10月に武周へ、706年7月709年11月711年12月・712年4月713年12月・715年6月・731年10月に唐へ、その治世に計15回もの朝貢を行った[2]。713年の朝貢では馴象5頭や沈香琥珀などを献じ、玄宗からその忠節に感じ入った旨の書を賜った。722年安南梅叔鸞が唐に反乱を起こすと、チェンラプシュカラークシャフランス語版と共にこれと結んだという。

出典

  1. ^ Sharma, p. 108
  2. ^ Cœdès, p. 72

参考資料

先代:
ヴィクランタヴァルマン1世
チャンパ王
第4王朝第8代:
686年? - 731年?
次代:
ルドラヴァルマン2世



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