アル・クーパー
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| アル・クーパー | |
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1966年
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| 基本情報 | |
| 出生名 | アラン・ピーター・クーパーシュミット |
| 生誕 | 1944年2月5日(82歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック、ブルースロック、ルーツ・ロック |
| 職業 | シンガーソングライター、キーボーディスト、ギタリスト、音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | ボーカル、ハモンドオルガン、ピアノ、キーボード、ギター、ベース、パーカッション |
| 活動期間 | 1959年 - 現在 |
| レーベル | コロムビア・レコード ユナイテッド・アーティスツ・レコード ミュージック・マスターズ・ロック フェイヴァード・ネイションズ |
| 共同作業者 | ロイヤル・ティーンズ ボブ・ディラン ブルース・プロジェクト ブラッド・スウェット&ティアーズ マイク・ブルームフィールド スティーヴン・スティルス シュギー・オーティス レーナード・スキナード |
| 公式サイト | alkooper |
アル・クーパー(Al Kooper、1944年2月5日 - )は、アメリカの作曲家・ミュージシャン・プロデューサーである。
1960年代半ばにボブ・ディランのレコーディングに参加し、ブラッド・スウェット&ティアーズ結成を経て、1969年からソロで活動。
来歴
生い立ち
本名アラン・ピーター・クーパーシュミット (Alan Peter Kuperschmidt)。ニューヨークブルックリン区のユダヤ人の一家に生まれ[1]、クイーンズ区ホリス・ヒルズで育つ[2]。
独学でピアノやギターを弾き、1959年、ロイヤル・ティーンズにギタリストとして加入してプロデビューした[1]。
1960年代
1965年
ソングライターとして活動するうち、1月にボブ・ブラス及びアーウィン・レヴィンと共作した「恋のダイアモンド・リング」がゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのデビュー曲に起用される。同曲は同年2月に全米1位[1]となる。ジーン・ピットニーのためにブラスらと共に「I Must Be Seeing Things」を書いた。
6月15日にボブ・ディランがアルバム『追憶のハイウェイ 61』のレコーディングを開始する。クーパーは見学のためにスタジオに入りマイク・ブルームフィールドと出会う[3][4]。6月16日に「ライク・ア・ローリング・ストーン」録音の際、即興でオルガンの演奏を提案し、飛び入りでセッションに参加した[4]。7月20日、シングル「ライク・ア・ローリング・ストーン」が発売される[5]。
7月22日から25日にかけてニューポート・フォーク・フェスティバルが開かれた[6]。ディランは24日のワークショップに参加し、アコースティック・ギターで5曲歌った[4]。そして最終日はバンドといっしょに舞台に立つことを決め、マイク・ブルームフィールドにその話を持ち掛けた[7]。25日、本番前のサウンドチェックでクーパーとバリー・ゴールドバーグはオルガンを担当した。ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのベーシストのジェローム・アーノルドは「ライク・ア・ローリング・ストーン」のアレンジがうまくいかなかったため、クーパーが「ベースなら僕が弾けるよ」と提案した。同日夜のディランのコンサートで、クーパーは1曲目の「マギーズ・ファーム」ではオルガンを弾き、2曲目の「ライク・ア・ローリング・ストーン」と3曲目の「悲しみは果てしなく」ではベースを弾いた[7][4]。バンド演奏はそこで終了し、4曲目の「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」と5曲目の「ミスター・タンブリン・マン」はディランが一人で演奏した[4]。
この年の後半にブルース・プロジェクトのオーディションに参加してメンバーになった。
1966年
1月から3月にかけてディランのアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』のレコーディングに参加する[8]。ほかにピーター・ポール&マリーの『The Peter, Paul and Mary Album』[9]、トム・ラッシュの『Take a Little Walk with Me』[10]などのレコーディングにも参加した。
3月にブルース・プロジェクトのデビュー・アルバム『Live at The Cafe Au Go Go』が発表された。クーパーはオルガンを弾き、「I Want to Be Your Driver」でリード・ボーカルを担当した。
エレクトラ・レコードが6月に発売したコンピレーション・アルバム『What's Shakin'』で自作曲「Can't Keep From Crying Sometimes」を発表する。
1967年
6月16日から18日にかけて開催されたモントレー・ポップ・フェスティバルの17日昼の部にソロで出演した。
ブルース・プロジェクトを脱退して、秋にブラッド・スウェット&ティアーズ(BST)を結成する。
12月に発売されたザ・フーの3枚目のアルバム『セル・アウト』でオルガンを弾いた。
1968年
1968年初頭にモビー・グレープのジャム・セッションにブルームフィールドとともに参加する。クーパーは「Black Currant Jam」で、ブルームフィールドは「Marmalade」でピアノを弾いた。これらの楽曲は4月に発売されたモビー・グレープのセカンド・アルバム『Wow/Grape Jam』に収録された[11]。
2月21日にBSTのファースト・アルバム『子供は人類の父である』が発売される[12][注釈 1]。3月にBSTを脱退[13]。
4月15日にニューヨークのジェネレーション・クラブでクーパー(オルガン)、フィリップ・ウィルソン(ドラムズ)、バジー・フェイトン(ベース)の顔ぶれで、ジミ・ヘンドリックス、B.B.キング、ポール・バターフィールド、バターフィールド・ブルース・バンドのエルヴィン・ビショップとジャム・セッションをした。「ライク・ア・ローリング・ストーン」も取り上げられ、クーパーはオリジナルと同様にオルガンを弾いた[14]。この演奏はいくつかの非公式CDに収載されている[15]。
7月22日にクーパー、ブルームフィールド、スティーヴン・スティルスの名義でアルバム『スーパー・セッション』を発表する。
8月23日にロサンゼルスのハリウッド・ボウルで行われたサイモン&ガーファンクルのコンサートで、録音エンジニアを務める。この音源もいくつかの海賊盤に収載されている[16]。
9月26日から27日にかけて、サンフランシスコのフィルモア・ウェストでブルームフィールドと共演する。28日は出演不可能となったブルームフィールドの代役として、エルヴィン・ビショップ、カルロス・サンタナ[注釈 2]らが出演した。
この年はほかに、ローリング・ストーンズの「無情の世界」、バターフィールド・ブルース・バンドの『In My Own Dream』、ジミ・ヘンドリックスの「長く暑い夏の夜」などのレコーディングに参加する。
1969年
前年にブルームフィールドと共演したライブにオーバーダビングを施し、1月に2枚組のアルバム『フィルモアの奇蹟』として発表。同月、B.B.キングのアルバム『Live & Well』のレコーディングに参加。
2月、初のソロ・アルバム『アイ・スタンド・アローン』を発表。同アルバムは全米54位[17]となった。9月発売のジャニス・イアンのアルバム『愛のためらい (Who Really Cares )』にオルガンで参加[18]する。
前年にシュギー・オーティス(ギター)と録音した[注釈 3]セッションを収録した『クーパー・セッション』を、オーティスとの連名で発表。
1970年代以降
1970年3月3日から5日にかけてニューヨークのコロムビア・レコーディング・スタジオに入り、ボブ・ディランのアルバム『セルフ・ポートレイト』のレコーディングに参加[19]。同年5月、ハル・アシュビー監督の長編デビュー作『真夜中の青春』(原題:The Landlord)が公開される[20]。同作品にクーパーの新作である「Brand New Day」と「Love Theme from The Landlord」が使用される。同年6月1日からディランのアルバム『新しい夜明け』のレコーディングに参加[19]。同年8月、前述の2曲を含む3枚目のソロアルバム『Easy Does It』を発表。
1972年にジョージア州アトランタへ移住[3]し、9月にジョン・プライン「サム・ストーン」のカバー・バージョンをシングルとして発表[21]する。12月にアルバム『赤心の歌』を発表する。同アルバムに収録された「ジョリー」は日本で格別に愛聴された[22]。同年にはMCAレコードのサブ・レーベル「サウンズ・オブ・ザ・サウス」を設立し、レーナード・スキナードを世に出して[注釈 4]サザン・ロック・ブームの一翼を担う。
1975年、サンフランシスコ出身のザ・チューブスのデビュー・アルバムをプロデュースした[注釈 5]。
1980年代以降は寡作となるが、2003年に初めて日本で公演し、2005年7月に11年ぶりの新作『ブラック・コーヒー』を発表した[23]。
2016年12月10日放送の「NHKスペシャル ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」で「ディランをよく知るミュージシャン」として取材を受ける。
ディスコグラフィ
アルバム
- 『アイ・スタンド・アローン』 - I Stand Alone(1969年)
- 『孤独な世界』 - You Never Know Who Your Friends Are(1969年)
- 『イージー・ダズ・イット』 - Easy Does It(1970年)
- 『紐育市(お前は女さ)』 - New York City (You're A Woman)(1971年)
- 『早すぎた自叙伝』 - A Possible Projection of the Future / Childhood's End(1972年)
- 『赤心の歌』 - Naked Songs(1972年)
- 『倒錯の世界』 - Act Like Nothing's Wrong(1976年)
- 『チャンピオンシップ・レスリング』 - Championship Wrestling(1982年)
- Rekooperation(1994年)
- Soul of a Man(1995年)※ライブ・アルバム
- Rare and Well Done(2001年)※ボックス・セット
- 『ブラック・コーヒー』 - Black Coffee(2005年)
- 『ホワイト・チョコレート』 - White Chocolate(2008年)
コラボレーション・アルバム
- 『スーパー・セッション』 - Super Session(1968年)※マイク・ブルームフィールド、スティーヴン・スティルスと連名
- 『フィルモアの奇蹟』 - The Live Adventures of Mike Bloomfield and Al Kooper(1969年)※マイク・ブルームフィールドと連名
- 『クーパー・セッション』 - Kooper Session(1969年)※シュギー・オーティスと連名
- 『フィルモア・イーストの奇蹟』 - Fillmore East: The Lost Concert Tapes 12/13/68(2003年)※マイク・ブルームフィールドと連名、1968年録音
著書
- Kooper, Al; Edmonds, Ben (1977). Backstage Passes: Rock 'N' Roll Life in the Sixties. New York: Stein & Day Pub. ISBN 978-0812821710
- Kooper, Al (2008). Backstage Passes & Backstabbing Bastards: Memoirs of a Rock 'n' Roll Survivor. New York: Backbeat Books. ISBN 978-0879309220
日本公演
- 2003年 6月15日 渋谷クラブクアトロ、17日,18日 SHIBUYA-AX、20日 心斎橋クラブクアトロ
- 2005年 10月5日,6日 東京国際フォーラムホールC
- 2007年 12月7日 Billboard Live OSAKA、9日,10日 Billboard Live TOKYO、12日 Billboard Live FUKUOKA
- 2009年 4月10日 名古屋Bottom Line、11日 大阪BIG CAT、14日,15日 Shibuya O-EAST
脚注
注釈
- ^ 第11回グラミー賞のBest Contemporary-Pop Performance - Vocal Duo or Groupの候補に選ばれた。
- ^ 当時はレコード・デビューの前だった。
- ^ オーティスはジョニー・オーティスの息子で、録音時には15歳だった。
- ^ アルバム『レーナード・スキナード』(1973年)、『セカンド・ヘルピング』(1974年)、『ナッシン・ファンシー』(1975年)をプロデュースした。
- ^ 収録曲「ホワイト・パンクス」がイギリスのシングルチャートで28位を記録した。
- ^ "Musical Excellence"部門の受賞。
出典
- ^ a b c Eder, Bruce. “Al Kooper - Biography”. AllMusic. 2015年8月7日閲覧。
- ^ “Like a Rolling Stone: Rock legend Al Kooper opens up to Princeton’s Sean Wilentz about making music with Bob Dylan, and more”. tabletmag.com. Nextbook Inc. (2013年4月8日). 2017年6月1日閲覧。
- ^ a b Daley, Dan (2005年1月). “Al Kooper”. Sound On Sound. SOS Publications Group. 2015年8月7日閲覧。
- ^ a b c d e Olof Björner. “Still On The Road 1965 Concerts and Recording Sessions”. Still On The Road. 2024年9月7日閲覧。
- ^ “Almanac: "Like a Rolling Stone"”. CBS NEWS (2014年7月20日). 2024年3月1日閲覧。
- ^ “Newport Folk Festival 1965 Setlists”. setlist.fm. 2026年2月11日閲覧。
- ^ a b Barry Goldberg and Dan Epstein (2022年7月24日). “I was up onstage with Bob Dylan at Newport the night he went electric”. forward.com. 2016年2月11日閲覧。
- ^ Olof Björner. “Still On The Road 1966 Blonde on Blonde Recording Sessions and World Tour”. Still On The Road. 2026年2月11日閲覧。
- ^ Peter, Paul And Mary - Album (Vinyl, LP, Album) at Discogs
- ^ Tom Rush - Take A Little Walk With Me (Vinyl, LP, Album) at Discogs
- ^ Moby Grape - Grape Jam (Vinyl, LP, Album) at Discogs
- ^ “www.grammy.com”. 2025年10月11日閲覧。
- ^ Eder, Bruce. “Blood, Sweat & Tears - Biography”. AllMusic. 2015年8月7日閲覧。
- ^ ““1968-04-15: Generation Club, New York” by Jimi Hendrix & B.B. King”. MusicBrainz. 2023年7月12日閲覧。
- ^ Jimi Hendrix & B.B. King - The Kings' Jam (CD) at Discogs
- ^ Simon And Garfunkel* - Voices Of Intelligent Dissent (CD) at Discogs
- ^ “Al Kooper - Awards”. AllMusic. 2016年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月19日閲覧。
- ^ Janis Ian - Who Really Cares (Vinyl, LP, Album) at Discogs
- ^ a b Olof Björner. “Still On The Road 1970 Recording Sessions”. Still On The Road. 2026年2月5日閲覧。
- ^ The Landlord - IMDb
- ^ 45cat - Al Kooper - Sam Stone / (Be Yourself) Be Real - Columbia - USA - 4-45691
- ^ Sony Music Shop | Al Kooper・赤心の歌
- ^ “アル・クーパー (Al Kooper)、ソロ新作7月に”. CDJournal.com. 音楽出版社 (2005年4月12日). 2015年8月7日閲覧。
- ^ “rockhall.com”. 2025年10月31日閲覧。
関連項目
「Al Kooper」の例文・使い方・用例・文例
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