A-3からA-7型
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「フォッケウルフ Fw190」の記事における「A-3からA-7型」の解説
1942年の3月-4月頃にはBMW 801 D-2エンジン(離昇出力1,700馬力)を搭載し最高速度660km/hを発揮するFw 190 A-3の量産が開始された。胴体下面に爆弾架(ETC-501)を装備し、戦闘爆撃機としての運用も可能となった。また様々な改修キットが用意された、最初の他用途型でもある。7月中旬頃からはエンジンに水メタノール噴射装置MW50を追加し、これは短時間ながら最大で2,100馬力を発揮した他、無線機を変更するなどしたFw 190 A-4に移行した。これらのタイプは空対空ロケット弾を装備するR6型など多くの改修型が作られ、一部は後にFw 190 F型・G型として制式化される。偵察機型も運用されており、これはU4仕様とされていた。1942年9月頃からは第51戦闘航空団(JG51)を皮切りに、東部戦線にもFw 190が配備されはじめた。A-3は509機、A-4は906機または894機が生産された。 続く1942年末のFw 190 A-5ではエンジンの取付架を前方に152.5mm延長し重心位置を修正。ほとんどがなんらかの改修型とされ、ノーマルの機体は少なかった。723機生産。この型式はやはり多くの改修型が作られており、U型については夜間戦闘機仕様から雷撃機仕様まで様々なものがあり、U17までナンバリングされている。そのうちA-5/U10は1943年5月以降Fw 190 A-6として量産され、主翼外翼のMG FF 20mm機関砲をより強力なMG 151/20 20mm機関砲(弾数各140発)へ変更した。ただし内翼の機関砲は従来通り各250発を装備していた。武装はMG 17 7.92mm機関銃×2、MG 151/20 20mm機関砲×4となる。これは当初は東部戦線で地上攻撃機として運用されたもので、コックピット周辺に防弾装甲が付されている。突撃型・夜間戦闘機型も作られた。また主翼の強度を高める改修が行なわれ、戦闘爆撃型であるF-3型では主翼への爆弾懸吊能力が増している。この型は569機生産。また1943年末頃からは機首のMG 17 7.92mm機関銃をMG 131 13mm機関銃へ変更したA-5/U9を制式化したFw 190 A-7が、アラド社により80機または701機生産される。
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